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倉田真由美 くらたまバッシング おかわり

無自覚な事大主義女の不愉快



くらたまの本をまたうっかり読んでしまった。 以前長文テキストで充分いびったのだが、またまたふつふつと怒りが湧きあがってきたので記す。これでオーラスにしたい。

一言でいえば、くらたまの漫画でやっていることは「弱い者いじめ」にすぎないと私は思う。 自分より立場の上の人間には阿諛追従し、下の人間は見下す。この姿勢が常に漫画に一貫してあるように見えてならない。

そもそも、漫画の中での彼女から"自分にとっての基準"というのがいまいち感じられない。 金とか地位とか仕事といったわかりやすい物差しで彼女は人物を判断するし、 目上の人間の他愛のない一言で自分を見失うし、いつも自分と他人とを見比べ、 自信のない自分の存在を補填するかのように、格下と思った人間を見下し、自分と同レベルと無意識に認識している者が自分より成功するとはげしく嫉妬する。 漫画にある彼女は、典型的な事大主義者に過ぎないように見える。

物書きとして気概であるとかそれ以前の人間であるし、愚かが過ぎる人間――漫画にある彼女は、そうとしか私には見えない。 何のために物書きをしているのか、理解に苦しむ。自分の仕事の無益さに気づいたりなどしないのだろうか。――などと余計なことまで心配してしまう。

―――しっかし、どんなに愚かな発言や笑える発言であっても、自分より立場の上の人間の話はおとなしく拝聴する、という彼女の姿勢はひとまず「ギャグ漫画家として」どうかと思うなぁ。 オタキングの岡田斗司夫の「俺ってモテモテ」話にまったくツッこまなければ、笑いにも持っていかないのってのは、ギャグ漫画家として、どうよ。あなた、自分の仕事は何か知っている?



自分の分を知らない人間の浅墓なしたり顔や猿知恵の披瀝に「こんなバカな女がいるんだな」と男は鼻で笑い、女は「私はここまでバカじゃないわ」あるいは「私みたいなバカな女はひとりじゃない」と今の自分に安心する。 彼女の漫画が一定の支持を得ている、その構図の実体というのは、こういうものなのではなかろうか、と私は推測する。 そのおめでたくも残酷な構図にひとり無自覚な彼女は「ブレイクした」と浮かれて人生相談などと分を超えた仕事を喜喜として引き受ける。それが今の彼女である。 私がそこに組することはとてもじゃないが良心が痛む。

とはいえ、そんな無自覚な猿芸を続ける彼女を可哀相と感じる気持ちにはまったくならない。 一般的な男性が持つ通俗的な女性の趣味をあげつらいながら、では自身の男の趣味は? と問われると、「逞しくて、ワイルドで」と平気な顔で通俗的で手垢のついた男性趣味を披瀝する彼女。 ブサイクな女をブサイクというだけで殴る男を激しく非難しながら、一方で、モテナイ男をモテナイというだけで人格を含めて全否定する彼女。 その姿を見てしまうと、どうにもこうにも擁護する気になれない。なれやしない。

彼女は自分の姿が見えていないのだろう。 だからかように自身の鏡像を無自覚に批判できるのだろう。 思慮ぶかい者ならまずできないなんともフォロー不可能な芸当といえる。

そんな彼女に奉げるいい歌がある。ダウンタウンブギウギバンドの「ダメな女の四畳半」という歌。是非ともこの歌を彼女に贈りたい。


誰かを愛したこともなく 愛してくれるのを待ってる
口紅ひとつするわけじゃないし 太りたいだけ太ってさ
だって君は女の子なのに 自分の部屋に鏡もないもんね

誰かが失恋したら お祝いを持って駆けつけ
私もそうよと泣き泣き  とてもおいしくご飯をパクパク
そして君は涙をすすりあげ  女の人って弱いの なんてね

(作詞・作曲 宇崎竜童)



最後に寸どめなしで書く。
くらたまの癌はなにか。それは学歴社会幻想と、男性原理的な少女趣味幻想なのではなかろうか。

学校でいい成績をとっていれば、そしてそこからいい企業に就職すれば絶対幸せは訪れるという妄信。 いつか白馬の王子様がやってきてそれによって幸せな結婚生活がもたらされるはずだという妄信。

そうした妄信に対して彼女は表層的な批判を繰り返し、"わたしは乗り越えてた"となんども作中で表明しているように見えて、それは何かの裏返しに過ぎない、というか、 結局のところ、このふたつのマインドコントロールが彼女の頭にべったりはりついていまだ離れていないようにわたしには見える。 そうした吹っ切れなさ、諦めの悪さ、未練がましさ、が作品全体に漂っていて、彼女の作品はどれも読後感が悪い。ねっとりとしていて、他に何かすっきりしたものが欲しくなる。

自虐を装った強い自己愛と、同族と認めた者以外の他者への冷たさ、さらに上面を撫でただけの底の浅い分析力。彼女の基本のパーソナリティ―にこの度の強い「幻想」が掛けあわさることによって、彼女の自意識の歪みは最大限まで肥大する。

確かにこの幻想は現代社会が女性に押し付けた二大幻想であるわけで、彼女はその幻想と現実に引き裂かれ不幸の淵に落ちている状態といえるわけなのだが、 だからといって彼女の漫画を認める、というわけにはいかない。だって深遠でもなければ爽快でもない、ただひたすらな厭な自我をおしつけられるだけなんだもん。

ともあれ、自分につけられた幻想の色眼鏡に気づかずに色眼鏡の向こうの世界をいくら語ろうともそれは無益としかいいようがないわけで、 この妄信に彼女自身が気づかなくては彼女の毒舌はただの嫉妬と嘲笑でしかなく、彼女の作る漫画はハイミスのヒステリーと同義であり、女性週刊誌的価値しかそこに見出せないだろう。 自分のなかに誰の押し付けでもない自分だけの「価値=勝ち」が生まれなくては彼女はいつまでも、ダメな負け組である。


ちなみに、モーニング娘。のメンバーをネタにした「加護ちゃんはセクシー系+可愛い系だよね」などという詮無い的外れな分析は、ただの頭の悪いキモオタの与太話にしか見えないからなるべくやめといたほうがいい。 ほんっっと、分析能力のない奴に限ってこういう分析したがるんだよなぁ。ピンぼけ過ぎるのに自信満々なものだから見ていて痛々しいっちゅうの。


2004.08.25
加筆 2004.11.07
加筆 2005.08.10
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