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中森明菜 心の履歴書  〜不器用だからいつもひとりぼっち〜

「中森明菜」を引きうけるか、否か


(1994.12.27/麻布台出版)


中森明菜のファンをしていると、「あぁ、今『中森明菜のファンでいる自分』というものを試されているなぁ」としみじみ思う出来事が何度か起こる。
ファンである期間が長ければ長いほど、彼女にのめりこめばこむほど、より重い十字架を背負われてしまう瞬間というか、彼女のファンであることが、ずしっとわが身に響く時というか。そういう出来事が何度かおこる。

1つ目は、89年の彼女の自殺未遂とそれにまつわる様々な騒動だった。 週刊誌に飛び交う様々な悪意のある憶測。事務所移籍。恋人との別離。家族との絶縁。
2つ目は91〜93年頃、自殺未遂事件後、ジャニーズ事務所とワーナーが用意した事務所を飛び出した彼女に巻き起った様々なトラブルだった。 ほとんど機能しなかった個人事務所「コンティニュー」とファンクラブ「キャトルベーゼル」、レコード会社との契約トラブル、謎の後見人木村恵子……。 この2つの騒動の内実はともあれ、ファンにとっては「中森明菜が歌を歌わない」そのことだけがつらかった。

そして、ようやく歌が歌える状況が揃いつつあった頃――三つ目の試される時がすぐにやってきた。
それは、そうした一連の騒動とこれまでの自分を語りだす中森明菜自身だった。
彼女は、自らの心の底にたまった澱を吐き出すように様々な告白をした。
他のファンがどうであったかは知らない。ともあれ、わたしはそこにある「歌手・中森明菜」の光と影に少なからず、おののいた。


ここに「中森明菜・心の履歴書」という本がある。著者は「ポポロ編集部」とあり、出版は「麻布台出版」。
「ポポロ」というのはまあいうなれば「明星・平凡」といったローティーン向けのアイドル雑誌の年齢層をもうひとつ上にあわせたような雑誌で、90年代前半、中森明菜はこの雑誌によく登場しては、グラビアを飾ったり、ロング・インタビューを受けたりしていた。
それらのインタビューをまとめたのが、この「中森明菜・心の履歴書」であった。

今あたらめて、読み返すに(――なんかこれ書いている人、文章下手だな、と余計なことを考えたりもするがともあれ)彼女の語る言葉の重さに 思わずこちらまでも鬱状態に陥ってしまいそうになる。
この本で多く紙数を割かれているのは、彼女がデビューするまでの幼い日々である。しかし、それは単純なスターの成功物語とはなっていない。 幼い頃の自分を語る中森明菜と、それを語る寄る辺ない中森明菜の今、これが常に二重映しになっている。 ゆえに、そこには容易に飲みこめない孤独感がごろっと転がっている。


幼い頃の自分――。

病弱だった彼女、いつも熱を出して寝込む。
「お母ちゃん、しょっちゅういってた。『明菜さえいなかったら』って。お酒のむたびに言い出して泣くの。……私、足も悪いんだ。今もそうだけれど。赤ちゃんだった時の筋肉注射のせいで、関節がうまく曲がらないの」


父は外で女を作り、両親は喧嘩が絶えない。
「相変わらずいつも喧嘩ばかりで、お母ちゃん『離婚するから』って。……(略)……いつも言ってた。いつでも出られるようにってお母ちゃん、荷物をまとめてて、そのバッグに私の服も入れてね。私それを見ながら『うん、アータン(私)、ついていくよ、ついていくよ』って言ってた」

家庭は荒み、小さな家は荒れ放題で、いつも雨戸がかかっていた。
「(明菜が学校を休んだ時の)給食のパンを届けるのが私の役目でした。でも訪ねていっても雨戸がしまっていて、何度か声をかけたら、玄関からお姉さんがソーッと手を出して黙って引っ込んじゃう、なんてことがありました」(クラスメートの弁)

「家庭訪問の時、(明菜は)『うちにはこなくていいとお母ちゃんがいってます』といったから(彼女のことはよく覚えている)。……(略)……おかしな家だと思って、それでも押しかけていくと、家は散らかり放題になっていた。それで訪問をいやがったのかって」(小学校の担任教師の弁)

親しい友達はひとりもいなかった。
「作れるような立場じゃなかったから」「友達を呼べるような家じゃなかったから」


朝ごはんは1度も食べたことがない、午前中の休み時間に給食室の前の置かれる「今日の給食」の見本のつまみ食いが彼女の朝ごはんだった。
「小、中と朝ごはん食べたことないの。…(略)…だから見本を食べにいってたんだ」


そんな彼女が歌手を目指すようになる。
「ちびっこ歌合戦」にはじまり、長じて「スター誕生」を何度も応募する彼女。
「七夕の短冊にみんなで願いごとを書こうということになった時、彼女がいつまでたっても書かないので、私が『歌手になりたい』と書いてあげたんです。そうしたら嬉しそうに笑って、明菜とサインしていました」(バレエ教室と学校のクラスメートの弁)

そしてデビューして、栄光を掴み、ある日突然全てを失い、そして今の彼女――。
彼女はこのようにその時の今の自分を語っていた。

昔からどうしても自分に自信がもてないという彼女。
「肩身の狭い思いして、育ってきてるから。長年のね、子供の頃からの恐怖心なんだね。邪魔者みたいな……。私、生まれてきちゃいけなかったんだって思ってた。その思いが、どっか根本に残っているんじゃないかと思うの……」
「ここに自分がいるっていうことが、なんかおこがましくてしょうがないの。あのぅ……私なんか生きてていいんですかぁって、そんなふうに思えて……」

様々な人間に裏切られて……。
「でもそれはいいの、物をもっていかれるのはいいの。けど、いっしょに心を持っていかれるは耐えられないの……(略)……だったら『私はあなたの財産目当てです』って言って、パッと逃げちゃってくれたほうがいい、心を見せるフリなんかしなくて……」
自分の性格を振り返り……。
「愛情をあまり受けずに育ちましたから。だからその分ね、よく孤児院なんかで育った子が、絶対自分は温かな家庭をつくるんだって言ったりする、それと同じでね、人には絶対イヤな思いをさせたくないの。それなのに、なかなか感情のコントロールができなくって……」


また、幼い頃からの夢のはずであった歌手への夢もこのように述懐している。
「自分からタレントになりたかったわけじゃないの。お母ちゃんが出ろ、出ろっていうから。4人も女の子を産んだから、ひとりくらい、昔の自分の夢を叶えてくれるだろうって思ったんじゃないかな。 私、お母ちゃんに面倒かけてたでしょ、体弱くて。だからお母ちゃんを喜ばせたい一心だった……」
「ただ……お金をかせげるのはタレントしかないって、思ってたけど」
「だって私、本当は保母さんになりたかったんだから」


もちろんこの本には、彼女の本業である歌について語っている部分も散見されている。
兄弟の聞いていたソウル・ディスコミュージックが自分の音楽のルーツであること。 そのため自分の作品はベースやバスドラの低音を効かせるように留意しているということ。 さらに自分はあまり歌の上手い歌手ではないということも吐露している。
「私、歌はヘタだと思う。すごく上手な方はいっぱいいるから。でも歌のイメージを伝えられるっていう自信だけはあるの。 雰囲気を伝えられる自信だけは。すごく生意気な言い方になっちゃうけれど、ひとって、上手い歌を聴きたいとは思わないんじゃないかな。 うまいなー、サスガ歌手と思わせるような歌は。少なくとも私はそういう歌が聴きたいとは思わない。 完璧に音符を追った、ビブラートも綺麗な……歌なんて。私はやっぱりイメージのわく、なにかを感じさせる歌を歌いたい」
(―――これは中森明菜の音楽の根幹にあるものだと、私は思う。彼女は徹底して情感を伝える歌手で、その情感をより真に迫ったものにするためならそこの記された音符も言葉も彼女は壊してしまう。)

しかし、こうした彼女の音楽面に迫る告白というよりもむしろ、私生活の告白――彼女の私的な部分の開示、というのが主であって、実際読み手である私はその部分に圧倒されてしまった。




わたしは、なぜ中森明菜のファンになったのか。
彼女の告白の嵐の最中―――ファンである私はふと、自らを振りかえった。

それは、彼女がテレビで1番カッコよくて、1番素敵で、1番輝いていた歌手だったから。

そう、たった、それだけだった。
別に彼女の内面など、知るつもりもなかったし、それを背負うつもりもその覚悟もなかった。

私は、結局彼女の内面も引き受けて、ファンでいることを続けてしまったが、私のような選択をするものはそれほど多くはなかったのかもしれない。
そこまで重いものを背負うつもりはないよ。もうこれ以上はついていけないよ。―――そういってファンの道を引きかえした者も少なくなかったのではなかろうか。

「私の好きなのは、歌手の中森明菜であって、中森明菜個人はどうでもいいし、そんな楽しむことのできない個人の内面のどろどろを見せられても迷惑だし、はっきり言って鼻白むだけだよ」
「客前でしっかりエンターテイメントする彼女なら好きだけれども、こんなもの見せつけられても対応に困るよ」


その意見はわかる。本当によくわかる。
自分でもなぜ彼女についていくことになってしまったのか、そう決めたのか、実のところ今でもよくわからない。
しかし、ついていくことを決めてしまった。
ただ単純にキャーキャー騒いで憧れていたあの頃には戻れないなあ、などとため息をつきながらも、決めてしまった。
ずしりと背負った「中森明菜」という十字架が重い。後を振りかえると、「もういいよ」とばかりに踵を返すものたちがいる。

この時、私にとっての「中森明菜」という意味合いが大きく変わった。
それがどう変わったのか―――というのは言葉にしづらいが、少なくとも以前のような、ただの優秀なヒット歌手、という意味からは明らかに違うものへと変容した。
―――私の心のなかに「中森明菜」という烙印が押され、「中森明菜」というひとりの孤独な女性が私の心のなかに住みついた―――といったら、誤解を招く危うい表現か。
また、この告白と前後して彼女は歌うことの意味というものを少しずつ変えていった。彼女は「自分」に向かって歌うようになっていった(―――『PARCO THEATER LIVE 歌姫』のレビューを参照)。


この時期、図らずもファンは「中森明菜」を引きうけるか、否か、を試されたのであろう。
そしてそれを引きうけたものは傷のように彼女を背負うことになる。
そしてファンへの試練は以後もまだまだ続くのであった。


ちなみに――。
彼女の後見人を2、3年行うも自身がプロデュースする予定の写真集がポシャったのが原因で彼女宛てに裁判と暴露本の出版を行った木村恵子の「中森明菜・哀しい性」と「中森明菜・激しさと淋しさの果ての狂気」はこの時期のものである。 ――中森明菜はここに書かれている内容を「でたらめばかり」と完全否定している。しかし、木村恵子と中森明菜の親交があった時期(――この本には自身が関わっていない伝聞による暴露が多く載っている。典型的なのが1989年大晦日のマッチ同席の復帰記者会見の裏側であるとか。こういうところなどは疑わしい限りだ)であり、 お互いの利益を損なわない部分であり、全体を見たら些細なエピソードあり、彼女がインタビューで語った「自分」と齟齬が見られない部分であり……、 と内容を精査すると、それなりの量で「これは本当なのでは」という部分も散見される。とはいえこれは他人のごみ袋を開けてごみの再分別するような下品な作業なので、人にはすすめられない。というか、明菜のオフィシャルな告白で充分トゥーマッチだ。明菜は自らを暴露しすぎている。



2005.04.13
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