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泊瀬光延 「前田慶次郎異聞 りんと小吉の物語」

リビドー弾けとぶ、やおいの明日の希望


(2004.04/文芸社)


前田慶次郎とタイトルにあるが、彼の物語ではない。 作者の創作である前田慶次に使えた家臣・小吉と慶次を狙う美しき刺客であり、後に家臣となった少年りんの物語であり、一大やおいロマン歴史小説である。

……と、ここまで、書いたはいいものの、こみ上げるものに耐えられません。ちょっとだけ、笑わせて。

ぐふふふ、くは、きゃは、ぬははははは。くほほほ。おっもしれーっっっ。これ、おもしれーーーっっっ。まじやばいッッよぅーーー。

すごい、すごいですよ、先生。トンでもないモノを久しぶりにひきあててしまいまったよッッ。 この幸福をみなさんにもお分けしたい。お届けしたい。
えっとですね、かいつまんで言えば、Juneの歴史に燦然と輝く如月みことの名作「影人たちの鎮魂歌」ですよ。これ。 リビドーに任せて書いた若気のいたり系妄想小説。

人の脳は感覚をつかさどる右脳と言語や論理をつかさどる左脳にわかれるといいますが、ヤオラ―にはそれにもうひとつ、妄想をつかさどる「やおい脳」というのが発達しているというのは学会で今や定説ですが(―――なんだそりゃ)、 もうね、私のやおい脳は全開なわけですよ。頭のなかが久しぶりにやおい一色に染まってしまったわけですよ、「やおい」以外もう目につかないわけですよ。ど紫とピンクの世界なわけですよ。

もうね、小説の技法とかどうでもいいんですよ。視点がぐらぐらゆれようが、思わず本をその場で閉じたくなるような恥ずかしい台詞がボロボロあろうが、レトリックの貧しさに薄目で読み飛ばすようなところがあろうが、剣戟の場面がたるかろうが、よしんばいきなり作者が「これは今後の研究課題だろう」などと顔を出して解説しだそうが、作者自身の手による挿画がイタイ系だろうが、もうね、どうでもいいんですよ。 パッションッッ、熱く、熱くパッショーーンなのですよ。明日の輝ける希望の星なのですよ。現代のオアシスですよ。明日の活力ですよ。生きてて良かったですよ。

と、私が取り乱してどうする。


いやあ、ともあれひさかたぶりの「2番もあるんだぜ」の世界を堪能してしまいました。
なんだろな、この「やおい」以外ありえない、という潔いまでのノリは。 魔性の殺人鬼で菩薩のヒロイン、りんちゃんはモッテモテでみんなのアイドルで、出逢う男という男のほぼ全てをみんなホモにしちゃうし、だけど「純」なりんちゃんは男を図らずも誘惑していることなどまったく気づかずに小吉に恋一途で、そのことがわからない小吉はいつか振られるんじゃないか、といつもびくびくモノで、って。書いてて恥ずかしいわッッ!!!!
とにかくラブい。そして何億光年も彼方に吹っ飛ばされるほど、恥ずい。絶妙に恋のライバルが登場しつつ、それを乗り越えなんだかんだで2人はいっちゃらいっちゃらするっつう。おもしれぇじゃねぇかよッッ。
みんなホモで、みんないい。って感じ??

しっかし「俺……女みたいですか?……かわいいですか?」(byりん)って。 ハハハハ。しまった。また不覚にも思い出して笑ってしまった。
いやこの後の「小吉 ! 俺を抱け ! なんだってしてあげるよ ! どんな恥ずかしいことだって ! ……女みたいに化粧したっていい !」てのも強烈でして。 いやっ、死ぬ。悶絶死する。

しかも、オチもなくいきなり「つづく」状態でおわるし。450Pオーバーの長編小説で、(上)とか(1巻)とかの表示なしで、いきなし「つづく」はねぇだろ。俺の読んでいるのは同人小説かっちゅうの。(っていまちょっと調べたら、どうも出版社と出版費用を折半した「共同出版」の作品っぽい。半分同人ってことだ)
とまぁ、時にのりぞり、時ににやけ、時に絶叫、時に大爆笑しながらも、しかし、私はこの力作を退けることは出来ません、出来ませんとも。


やおい脳の発達していない人はこれを「小説以前」というかもしれない。
しかし、やおい脳の発達したわたし達ヤオラーはこれを否定できない。いや、否定しちゃいけない。
なんかさ、「ヘタだけれども勢いのあるやおい」の特徴のようにこの話も無駄にロマンがあって、壮大で、しかもバレンタインにチョコ贈りたくなるようなキャラクターのかわゆさがあるのよね。
わたしはボーイズラブなんて名称を変えて小手先だけ器用になって迷走している半端な中庸やおいよりも、このパンチの効いたロマン溢れるやおいこそを推したい。いや、マジで。
「やおい」という範疇でなくても、小綺麗にまとまっているが覇気のない作品よか、ヘタだけれど作者の必然を感じる活きのいい作品のほうが小説として絶対正しいのです。そうに決まっているのです。


や、真面目な話、ふらふらとする視点をしっかりと固定させ、恥ずかしかったりエグかったりたるかったりする部分を腹八分くらいにして、文中(――これは創作の人物です――)などと無駄にネタバラシしたり、歴史研究の成果をいきなり発表したり(突然――興味のある読者は東京武道館普及課が所有する演舞を記録したビデオを鑑賞されるとよい――などといきなり紹介しだしたのは、ぼかぁびっくりしたよ)、と安易に作者が物語にひょっこり顔を出したりしないようにすれば、結構ちゃんとしたやおい歴史ロマンになりうると思うんだけれどなぁ。実際後半はかなり普通っぽくなったし。
中島梓さんの小説道場でしごいたら、結構すぐにモノになるような感じ。私が編集だったら、膝つめ合わせて、こまごまとした部分だけを直させて最後まで書上げさせるけれどなぁ。 筋は間違っているようには見えないので、ディテールとかの表向きの部分だけを直せば、すぐなんとかなると思うのに。 とはいえ、そこまでやおいと小説への愛と気骨が溢れた編集が今のご時世にいるとは思えないのでそれは難しいところなのかな。

中島梓センセに是非とも読んで欲しい1冊。もちろん脳みそをパッションピンクにしたいあなたにも素敵な1冊。
是非とも全国のやおいッコの方に知っていただきたい。ただのよくある自費出版系作品として終わらせるはあまりにも惜しい。惜しすぎる。
続き。激希望です。っていうか、終わってないでしょ。コレ。

ちなみに「衆道がテーマだけれども、俺はホモじゃないよ」的なちょっと鬱陶しいエクスキューズが散見されたので書き手は男性なのかな。でも大丈夫よ、泊瀬さん、これはホモじゃなくってやおいだから、ってそういわれるのもイヤだろうなぁ。きっと。

追伸。「俺は魚を焼くぞ」とみょうに得意気にお魚の味醂干しを焼く慶次様がなんか妙にしみったれてかぁいかったです。


2004.11.23
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