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中森明菜 「片想い」

遥かなる者への祈り

(1994.03.24/MCAビクター/MVDD-10004)

1.片想い 2.愛撫


 作詞・安井かずみ、作曲・川口真。「片想い」。
 オリジナルアーティストは槇みちるという当時渡辺プロに所属していた歌手である。 彼女の69年のシングル「鈴の音が聞こえる」のB面としてこの曲はひっそりと世に出された。
 その年の夏、ヤマハ主催の音楽祭「合歓ポピュラーフェスティバル'69」( ポプコンの前身にあたるもの )に彼女は出場、この「片想い」を披露する。 その時、同じく出場歌手として参加していた中尾ミエがこの歌を聞き大きな衝撃を受け、是非自分も歌いたいと申し出る。
 槇みちると中尾ミエは、当時同じ事務所に同じレコード会社の先輩後輩の間柄。いきなりのカバーに周囲は難色を示す。中尾がこの曲を吹き込むには二年の月日を要した。
 中尾盤がリリースされるのが、71年。しかしリリース当初はまったく評判とならなかった。 しかしリリースから六年後の77年、有線を中心にじわじわと火がつき始め、再発売、リバイバルヒットとなった。
 オリコンデータ、最高位28位、17.8万枚。歌手というよりもバラエティータレントのベクトルに向かいつつあった中尾ミエの最後のヒットとなった。
 決して知名度が高い楽曲とはいえないが、しかし、その後もこの曲は、柏原芳恵、河合奈保子、香坂みゆきなど、アイドルシンガーを中心に歌い継がれていく。
 様々な歌手に憑依しては、ひっそりと人の心を打ってきた、少しばかり不思議な曲がこの「片想い」である。
 そしてその歌霊は、94年、中森明菜の元に訪れた。



 70年代「日本語によるロックを」を主張していた加藤和彦は、西洋音楽にぴったり合う日本語を捜していた。
 日本語にあう音楽、それが演歌なのかもしれないが、しかし、あえてロックで日本語をしっかり響かせたい。 それのためにはどのような詞がよいのか。
 そもそも一音節に1子音しか乗せられない日本語の形式は、一定の音にわずかな言葉しか乗せられない。 英語で「I・love・you」と歌うあいだに日本語では「わ・た・し」くらいしか歌えない。このギャップを果たしてどう埋めればいいのだろう。
 このような命題は、松本隆をはじめ、当時のロック系のアーティストのほぼ全てが背負っていたものといえるが、 加藤和彦のそれがようやく解決し始めたのは、安井かずみと出会って以降だ、という。
 彼女の詞作には、行間にドラマがある。彼女の感性の鋭い詞ならば少ない言葉でも、それぞれの音楽ジャンルにあった、豊かなメッセージ、イマジネーションが伝えることができる、と、加藤和彦は彼女の詞をこのように評価している。



 一見すると凡庸に見える言葉達が、はっとするほどの鮮度をもってこちらに伝わる。 安井かずみの詞の特徴をあげるとすると、これにつきると思う。
 彼女は決してわかりにくい言葉を詞に使わない。 それらは、どこかで聞いたような、ありきたりな言葉の羅列に見えるのだが、しかしなぜか、決してありきたりには響かないのだ。
 瑞々しく、背後にふくよかな物語を感じさせ、決して時代が移り変わっても色あせない普遍的な輝きがそこにある。(――とはいえ、その一方で、本当に凡庸としか思えないバブルガムソングを結構作っていたりもするのだが、それはヒットメーカーのご愛嬌)
 この「片想い」は彼女の手腕がもっとも光った一曲といえる。
祈りをこめて伝えたい
わたしの愛を
わたしのすべてを
 「片想い」の相手にかくも告げる。
 なんの技巧もないまっすぐな言葉。
 しかし思いは届かない。
 想う相手はかなたへと消えてゆく。
ねむれぬ夜の星にさえ気づかず
どこへ行く
ひとり ひとり
これでいいのだ。 これ以上のなにがいえようか。
さりげなさに万感の思いがそこにある。

 「片想い」の普遍性がこの歌にはある。
 この歌の距離感――思う距離は、どこかはてしないものがある。
 ここで歌われている「片思い」は下世話な色事のそれ、ではない。 愛しくも遠い人、遠い記憶、どれだけ手を伸ばしても決して届かない果てしないものどもへの思いがこの歌にはあるのだ。
 わたしたちは手に掴めぬ遥かなものを、乞い願わずにはいられない、そういう生き物だ。
 中尾盤のゴスペル風アレンジは、まさしくこの歌をそのように解釈した結果であろう。
 中森明菜の歌唱もまさしくそうだ。
 この歌は、葬送歌なのだ。
 この歌にあるのは遥かなるものへの祈念である。

 明菜は、亡きものどもへ、星の彼方へ消えてゆく二度と出会えぬものどもへ、そっと思いを忍ばせる。
 その歌は清くも悲しく、寄る辺なくたよりない。
 しかし、それでもそうせずにはいられない。
 その思いはまるで闇の中の一条の光のようだ。



 初のカバーアルバムとなった『歌姫』と、同日発売のシングルとして、リカットされた「片想い」。 発売当初は、なんとも中森明菜らしくないと、私は少々拍子抜けした。
 しかし、今から思うに、ここが明菜の転向点だった。
 全盛期の明菜と百恵の違いをかつて平岡正明氏は「大乗の百恵、小乗の明菜」と評した。 しかし、この歌にある明菜は迷える衆生の煩悩を払い、救済せんとする大乗の明菜であった。
 中森明菜の「瑠璃色の地球」を聞いたある作家はこのように言っていた。
 「世界中の人にそっとわけてあげたい」の部分の中森明菜の歌唱、 自分の分け前すらも残さず他者に分け与えようとしているように聞こえる。と。
 
 自己から他者への中森明菜の通路がここで本当の意味で繋がった。
 デビュー以来、中森明菜には、か弱い自己を無理解な他者から防御するような過剰さが常に漂っていた ( ――コスプレチックな歌衣装しかり、『不思議』のようなアルバムしかり ) が、それもここまでである。
 以降、明菜は聴衆を救済し始める。




 ちなみに、中森盤の「片想い」の発売のわずか一週間前、安井かずみは肺がんのため55歳の若さで亡くなっている。
 彼女の作詞家生活において、最後のヒット曲が中森明菜の「片想い」であった。
 誰にも想い届かぬ星の彼方へ、ひとりきえてゆく――。それは安井かずみ自身の姿でもある。
 中森明菜の「片想い」は、安井かずみの葬送曲となった。
 「片想い」。本当に稀有な曲だ。

2005.06.24
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