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長野まゆみ 「夏至南風」

姫君、ご乱心

(1993.06.21/河出書房新社)


ご乱心。
落ちてないよ、兄さん。びっくりするぐらい落ちてないよ。 連続殺人事件なのに、なにも読者に解答を与えず物語をうっちゃってるよ。
冒頭からやおい娘の妄想フルスロットルでどう話を持っていくのかとある意味興味津津だったが、「妄想尽きたからひとまず書くの止めた」でおわらせているよ。これ。

夏前の湿気が咽かえる小さな街、海藍地(――東南アジアあたりのイメージ、ハイランディと読む)で起こる連続少年殺人事件という話なのだが、ストーリーは皆無で、主人公とその周りのエロティックで妖しい出来事だけが淡々と続いて、唐突に終わる。 様々な謎がそのままで放置。勺戌(シャオツー)や瑛石(インシー)の企み。過去の水游(スイユー)の事件と、その息子が持つ鞄とは(――って、ここまで書いてふと思ったが、こいつらの名前みんなすげーな、おい)。裏があるような気もするけれども、それを読み取るのはわたしにはとてもダルいです。だって作者は実はなにも考えてないって感じがビンビンなんだもの。

それにしても主人公の銛藍(クーラン)が聞こえない話せないの二重苦というミステリーにするならこれほどまでないというほど都合のいい設定なのに、これをまったく有効利用しようとしないというのがすごい。 というかそもそも、一人称小説で声が聞こえないはずなのに普通にカギカッコあるし、普通に相手の会話とか簡単に書いちゃってるし。もう作者に中島梓の「小説道場」を読ませたいっっ。
結果、この設定は主人公が様々な人たちに悪戯されやすくなるからそうしただけなのかと思えて仕方ないよ。

しっかし、なんだこの舞台の海岸ホテルっつうのは。「愛欲の館」か、ここは。っていうか、この街に棲む人は誰も彼も美少年が大好物過ぎ。ていうかセックスに対するハードルが低すぎ。肉親だろうが、同性だろうが、幼かろうが、無問題ですか。なんでもありすぎて、お父さん怖いわ。

でもって、そんなノリでいたぶられ殺される美少年たちはみなさん主体性がなさ過ぎで、エロゲ―の美少女バリに全てに対して無抵抗に受け入れ過ぎで、リアリティーがなさ過ぎ。 普通に親兄弟がいて、年と共に成長して大人になるという佇まいがまったくなし。 ここまで行きつくと、やおい娘というよりもA感覚だとかV感覚だとかほざいている少年愛のおっさん向けなんじゃなかろうかと思ってしまう。 「やおい」はジェルミやイアンの立場で描くべきであって、グレッグの立場で描くべきじゃないと思うんだけれどなぁ。(イアンやジェルミ、グレッグは萩尾望都の「残酷な神が支配する」のキャラね)

文章は相変わらず典雅で、グロテスクな場面も極めて美しく描写していて(―――この点に関しては高ポイント)、作品に抜群の空気感があるけれども、だからどうしたという気がしないでもない。 この人が求めている世界というのがよくわからなくなった。
ま、美少年をいたぶってみたい変態さんはこの小説は楽しいんでないの。というかそういう視点でしか、楽しむことが出来ませんってば。
いままでの作品が堀辰雄の「燃ゆる頬」や福永武彦の「草の花」だとしたら、「夏至南風」はマルキ・ド・サドや稲垣足穂。そんな感じ。へんたいはたいへんだなぁ。

この作品は作家イメージを保つためにも編集サイドで差し止めるべきだったのでは。筆力だけで書いたように見え「やおい」にしても完成度低め。レトリックを剥いだらただの俗なポルノグラフィーとしか見えない。


2004.12.07
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