七十年後半と八十年前半、この10年は出版業界のみででいえば、それはそのまま「カドカワの時代」であった。 それまで、国文学中心の中堅出版社であった角川書店であったが、先代角川源義氏の逝去に伴う角川春樹の社長就任を契機に一気に書籍販拡への大勝負に出る。 戦略としてはこうだ。 まず作品のイメージの総体として「映画」を制作する。その映画をイベントとしての意味合いを付加させるべく、放送、音楽、出版を総動員する。手段としては広告の大量投下、キャッチの強いコピー、有名アーティストによる主題歌を作る。 そして、仕上げとして対象作家の権利を買い取り、全作品の文庫化、そして各書店では大々的なキャンペーンを打つ。 ヒトラ―やゲッペルスを宣伝の天才と賞していた彼は、ヒトラーが「ナチズムの民族主義」の核の周りにニーチェの超人思想やらワーグナーの音楽、未来派のアートやファッション――ナチの軍服などもそうだろう、を散りばめたのと同じように、1冊の書籍に到るまでの全てをイベントとして飾り立て、そして実際彼と角川書店は成功した。 今、各出版社が書籍の販拡手段として取られている手法のほとんどがこの時期のカドカワが―――というか角川春樹が生み出した手段であった。 メディアを総動員し、宣伝を派手に行うイベント色の強い大作映画―――これは今はフジ・サンケイグループと徳間のアニメが良くやる手段である。 大々的な文庫・作家フェア―――これは何処の出版でもやる常套手段だ。角川商法以前の「文庫」というジャンルはあくまで一般書籍として売り出し済みで相当の年月が経っている良書のみ選抜されるという形がほとんどであった―――であるから勢い純文学や古典がメインであった、というのだから隔世の感である。 今となっては手垢のつき過ぎた「メディアミックス」という言葉がそもそも出てきたのもカドカワからではなかったろうか。 これらの宣伝・制作手段は当時「カドカワ商法」と呼ばれていた。 当時、その派手さから「商人/出版屋」という面ばかりがクローズアップされていた彼であったが、ではそれ商売のみの動機で映画制作を行っていたかというと今の時点から見るととてもそうとは見えない。 後年、彼は会社の経営を圧迫するほど映画制作にのめりこみ、そして角川を追放されるに到るわけなのであるから、これでは事実と反している。 もっとその動機は個人的なものに根ざしているといっていいだろう。「ビジネス」としての仮面の下に何らかの個人的な欲動のようなモノが蠢いているように感じるのである。 彼の苦悩という名の動機とそれを昇華せんとする狂気がそこにあるような気がするのだ。 「カドカワ商法」という戦略の中核には「映画」があった。 そしてさらに「映画」の象徴として必要なのが「スター」である。 ということで、角川春樹は自社ブランドのスター発掘に乗り出す。 それがかの有名な「角川3人娘」へと繋がる。 薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子の3人である。この他にカドカワには野村宏伸、知世の姉、原田貴和子がカドカワ専属の俳優として所属していた。 が、ここにもただの「ビジネス」としては割りきれない彼の独断専行ぶりが散見される。 まず、薬師丸ひろ子のデビューとなった映画「野生の証明」より子役オーディションでの一幕である。 最終審査。薬師丸を含めて、約6名の少女が残った。春樹氏はなんとしても薬師丸ひろ子をここで起用したかった。 が、薬師丸起用にはいくらかのネックがある。そこで彼は審査員であったつかこうへい氏を暗がりに呼び出し耳打ちする。 私は途中、角川氏から廊下の暗がりに呼ばれ耳打ちされた。かのように、春樹氏は根回しをしてかなり強引に、というかおよそごり押しで薬師丸起用を決めたわけである。 そして、薬師丸ひろ子の大学受験による女優休業期間に行われた「角川映画大型新人女優オーディション」ではなお露骨な采配を春樹氏は行う。 このオーディションは優勝者に82年末公開の「伊賀忍法帖」の主演が確約されたものであった。 この経緯は有名なものであるので、端折るが、つまり優勝者は「渡辺典子」だったのだが、最終オーディション当日に急遽特別賞が制定され、それを「原田知世」が受賞する。 ―――本来であればこのオーディション優勝の渡辺典子が第2の薬師丸ひろ子として一大プロモーションが引かれるのが道理なのであったが、実際はおこぼれの特別賞受賞の原田知世にプロモーションは傾斜してしまったわけである。 このほとんど契約違反といってもいい差別は今でも語り草である。今でいうなら「平家みちよ」と「モーニング娘。」のパターンといえばわかりやすいが、これはそれ以上である。 比較しよう。 オーディションが82年4月18日である。 まず渡辺典子のメディアデビューが映画「伊賀忍法帖」82年12月8日公開である。歌手としてのデビューは84年1月1日、映画主題歌の「少年ケニア」であった。 一方、原田知世、メディアデビューはテレビ版「セーラー服と機関銃」。放送は82年7月5日〜9月20日。レコードデビューはそのドラマの主題歌「悲しいくらいホントの話」リリースはドラマスタートと同日82年7月5日である。スクリーンデビューは83年7月16日封切の「時をかける少女」である。 この原田知世の展開の早さは普通ではない。オーディション後3ヶ月もせずに連続ドラマの主演とその主題歌を原田知世に与えているのである。しかも、その年の正月の薬師丸のヒット映画のドラマ版で主題歌もご丁寧なことに薬師丸の「セーラー服と機関銃」と全く同じ来生姉弟によるものである。 どう見ても原田が薬師丸の2代目的扱いでのプロモーション展開としかいいようがない。 多分、この原田・渡辺を生んだオーディションでも薬師丸のオーディションと同じジレンマが角川春樹の中にあったんだろうなぁ。 「伊賀忍法帖」のヒロインでは原田知世は合わない→でもこの娘をスターにしたい→だったら「特別賞」 こういう流れだったんだろうなあ。 このおかげで渡辺典子は角川映画史史上最大の当て馬女優になってしまったのである。演技も歌唱も一番基礎力があったにもかかわらず……。 かように、角川ヒロインはプロデューサー角川春樹の偏愛によって都合のいいように作り上げられていったのわけである。 で、こっからが、本題。 この角川春樹の少女に対する偏愛は一体何ゆえのものであったのだろうか。 いきなり解答からいってしまうが、角川春樹の妹は17歳で自殺している。 このトラウマが彼を少女に対する偏愛へと向かわせていたのでは、わたしは類推しいてる。 その事情は「宝島30」93年11月号から12月号に掲載された岩上安身氏のルポ「角川家の一族」に詳しい。 ざっくりいえば 父、源義が愛人に子を生ませる→軋轢の末、愛人が我が子を殺してしまう→源義がその愛人の身元を引き受ける→愛人と本妻が同居の生活という状態に→本妻――春樹、歴彦の母が神経をすり減らし、離婚→愛人と再婚→元・愛人の子――春樹にとっての異母妹、真理の誕生 という流れの末、妹、真理は17歳の春に突然自殺してしまう。 春樹は妹の自殺を自らの出生と一族の秘密を知ってしまったからだ、と思っている節があるようで、彼女の自殺は父が原因だはっきり明言している。 事実はどうなのかはわからない。だが、この時のトラウマが彼を少女映画へ向かわしめたのでは、と考えて間違いはないのではなかろうか。 角川の美少女たちの映画は17歳という人生を謳歌する真っ只中の季節に自らの死を選ばざるを得なかった我が妹へのレクイエムなのではないか、と。 当時の邦画興行成績歴代2位の数字をたたき出し、原田知世を角川2大看板女優に押し上げてしまった「時をかける少女」の次作、角川春樹自身がメガホンを取った「愛情物語」はヒットを狙わなくてはいけないプログラムであるにもかかわらず、極めて角川春樹の個人的な映画となってしまっているように見える。 ミュージカルスターを目指す孤児、原田知世演じる美帆の元に毎年届けられる花束、これを実の父からのものだと信じた美帆はある日幻の父探しの旅に出る。 そこで出会ったのが、渡瀬恒彦演じる陶芸家の篠崎、彼は実の妹を自殺で失うという過去を引きずっていた。 ―――自殺だったんだよ、妹。ふたりきりの兄妹だった。何んにもしてやれなかった。『すいません』ってたった一言だそして、篠崎が持っている妹の写真、セーラー服で微笑むその少女、それは春樹の失なわれた妹、真理の遺影の実物だったという。 この映画の一般的な評価は華やかなミュージカル部分と家族の物語の部分の乖離が激しい失敗作といったところだろうが、これはそのまま角川春樹の風景そのままだったといえるだろう。 彼は少女たちを夢のスターダムへと押し上げる「あしながおじさん」の役割を演じながら、その少女たちによって自らも救済されたいと赦されたいと本気で希っていたのだろう。 とはいえ、それは少女たちからすれば「あしながおじさんの勝手な思い入れ」に過ぎない。 そして、そんな「勝手に思い入れ」は徐々に醒めていくものである。 実際、角川春樹は真理の享年である17歳を過ぎると共に、少しずつその少女に対する興味を失うのか、手をかけなくなり―――薬師丸が17を過ぎ「セーラー服と機関銃」が封切された直後にオーディションで原田知世を発掘したというのは偶然ではなかろう、トラブルも増え、二十歳を越える頃になると、どの少女たちも春樹の元を去るのであった。 角川3人娘が二十歳を迎える80年代後半はほとんどトラブルの連続であった。 薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」の次の主演作として用意された「恋物語」は彼女が表紙の文庫本も店頭に並んだにもかかわらず、結局彼女の事務所独立で立ち消え、原田知世で撮るものの封切にこぎつけず、結局TBSにフィルムを売りつけ二時間ドラマとしての公開になってしまった。 また、「恋人たちの時刻」は渡辺典子の久々の主演で決まっていたものの、彼女の独立でこれまた大幅な変更、狂言まわしの相手役であったはずの野村宏伸が主演に繰り上がり、物語上狂言まわしの役が画面上大きくフィーチャリングされているという奇妙な作品になってしまった。 85年、薬師丸ひろ子の独立。87年、原田知世と渡辺典子の独立。 角川3人娘の解体が実質角川映画の終焉と見ていいだろう。以降は角川春樹自身の監督によるオーバープロデュースの作品目立つようになり、それは彼の角川書店社長辞任――作品で言えば「REX 恐竜物語」まで続く。 春樹追放後も、角川はアスミックと大映を買い取ったりなどし、一応今でも映画産業に参加しているが、あの頃のテイストとは異なるものに私には見える。 「カドカワ映画」とは「角川書店の映画」ではなく「角川春樹の映画」ということだったのだろう。 それにつけて、と私が思いを馳せるのがそんな偏愛を受けたかつての角川女優たちである。 果たしてどういった思いで彼の愛情を受け取っていたのだろうか、と。 とくに原田知世である。――彼女は今でも女優であり、歌手であるが、大ヒット作であり、大名作の「時をかける少女」を今、コンサートでは決して歌わない。 なにかのテレビ番組で「あの歌はあの年齢の頃のみのもので、あのようには今は歌えないから」といった類の発言をしていたが、果たして真意はどこにあるのか、と思ってしまう。 確かに「時をかける少女」は角川春樹と大林宣彦という二人のロリータおっさんと観客である童貞少年の夢が高水準で見事に合致した歴史的な名画なのであって、その完成度の高さゆえに容易に触れるものではないというのは良くわかる話なのだが。 ―――と、最後まで書いたところ、ネットをうろちょろしていたら岩上安身氏のルポ「角川家の一族」のテキストがアップされているのを発見――というか岩上氏のサイトに全文アップされてました。 ここです。 あーー、10年以上前の雑誌のコピーを必死に探した自分がアホみたいだにゃあ。 角川春樹について詳しく知りたい人は是非見てみてくださいな。 ――――と、ここまで書いてなんであるが、ユーザーからの報告で、映画「愛情物語」の渡瀬恒彦演じる篠崎の妹、篠崎真理の写真は別に角川真理の写真ではなく、当時の角川所属の女優、津田ゆかりである、とのこと。 確認してみると、確かに映画のキャストをよく見ると「津田ゆかり(篠崎真理)」となっていた。ありゃりゃりゃ。 「宝島30」に載った岩上氏のレポでそのように記述してあって、その後に映画の「愛情物語」を見たので、完全にそう思いこんでしまっていて正確な確認を怠ってしまっていた。不覚。 ということでここでまたひとつ私の妄想の強さがひとつ露見してしまったわけである。 |
2004.02.12
2004.10.01追記