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西原理恵子
「上京ものがたり」 (2004.12.20/小学館) |
地方に住む人は上京することができる。これほどうらやましいことはない。 14歳、埼玉のある街から四国のある街に住むことになった私ははじめて地方に住む人の「東京」への憧れを知った。 私にとってはごみごみしてしち面倒くさい隣の大きな街のひとつでしかない「東京」。 けれども彼らにとっての「東京」とは手に入らない高価な輝石のように、思わず手に取り触れたくなるほどの光輝と、どこか受け入れがたい高慢さを兼ねそなえている幻の街に映っているということをその時知った。 東京を知らない人達はみんな心のなかに鮮やかな「東京」のイメージを育てている。 そして彼らは怜悧な貴婦人に憧れるように東京に憧れている。 西原理恵子がいう「上京」という言葉。 元々東京の近くにいた者がこの言葉の重さをわからないのと同じように、私はこの言葉の重さを知らない。 しかしこの漫画を読むと、その重さ、つらさ、夢と憧れとその挫折を自分もちょっとは味わってみたいな、などと不遜にも思ったりする。 それをないものねだりのわがままと笑わないでいただきたい。 わたし達には、心になかに光る「東京」という幻の街もなければ、どこまでも赦され癒される「故郷」という心のゆりかごもまたないのだから。 こんな物語を読むと、自分が夢も希望も憧れもなくのっぺらぼうなまま生きているような気がして仕方ない。 生きていくことは浮き草のように時の流れの任せて流浪うこと。あるいは夢のように、あるいはなにかの冗句のように。 西原理恵子の作品は「できるかな」や「鳥頭紀行」といった派手でブラックでシニックな作品群にまず眼を惹かれてしまうが、 そのむこうに実に繊細で暖かな視線と緩やかな時の流れを感じる作品を数多く上梓している。きっと彼女は恥ずかしがり屋なんだろう。 冗談の隙間でしか愛を語れないタイプ。その含羞にわたしは思わず愛着を感じてしまう。 彼女のリリカルな作品群は「ぼくんち」でひとつの頂点を極めたが、この作品もその次を飾るに相応しい哀しくも暖かい物語である。 ご隠居してしまった大島弓子の後継たりうるのは彼女なのではとひそかに私は思っている。彼女の本質は極めて「少女漫画」的にみえる。と、こんなことを彼女にいったらきっと笑い飛ばすだろうなぁ。 ちなみに私がこの作品で1番好きだなあ、と思った言葉はここ。 小さなこねこがいるけど 仔猫は私。つまりこれは自身の少女期との決別のシーンである。ってこういうことを説明するのってホント野暮だね。 |