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新旧平安京アニメに感じたつれづれ

「お伽草紙」と「紫式部 源氏物語」



(「お伽草紙」/2004.7〜/日本テレビ系/25:29〜)
(「紫式部 源氏物語」/1987/日本ヘラルド映画)


深夜にぼうっとテレビをつけていると時代劇アニメが流れていた。
「お伽草紙」。プロダクションIG制作の新アニメ。いかにもIGらしいというか、なんというか。

病に倒れた源頼光にかわり妹の光の君が男装し頼光に扮装して渡辺綱と共に鬼退治に向かう、という話みたい。
安倍晴明とか謎の申楽師とかいろいろと出てきて、宮中の陰謀とかいろいろありーの、金時さんとか例の四天王と出会い―の、そんななかで光の君と綱が恋に落ちて「オスカル・アンドレ」状態になり―の、という話っぽい。
なんつーか、俗っぽいなぁ。

とにかく平安っぽさってのは皆無でして、ひとまず「えさし藤原の郷」(いわゆる平安モノの「太秦」。映画「陰陽師」など、このあたりの時代モノをやる時にはお約束のロケ地)に取材には行きましたよレベルの平安っぽさで。うーん。

言葉使いの下手っぴさとか、蚤のように飛びかかる土蜘蛛とか、なんかいろいろ気になるんだよね。「犬夜叉」のように「そういうもの」としてみるにはちょっと子供向け的なわかりやすさがないし。ま、時間帯から見るに今でもアニメ大好きな大きなお兄さん向けでしかないわけで、 かといって腐臭萌えアニメとして性根の腐ったアニメオタクに積極的に媚びているわけではなく、もちろん大人向け時代物エンターテイメントとして徹底したり、歴史考証ばっちりでセルによる平安文化の再現をしているわけでもないわけで、つまりは、所詮オタクしかみない作品でありながらオタク属性低めで中途半端などっちつかずなところがいかにもIGというか。

「タツノコ制作分室」としてはじまって以降「パトレイバー 劇場版」「アルスラーン戦記」「攻殻機動隊」と次々と話題作を出しつづけ、さらにいち早くアニメ制作のデジタル化を進め、今では本家であった「タツノコプロ」を大きく凌いで、クオリティ―に関してはトップクラスのアニメ制作会社と成長したプロダクションI.G、というのが世間的な見解だけれども、うーん。確かに今のアニメ界の中では頑張っている方なのかもしらんが、やっぱ、オタの中だけでやっているという感じがどうしても抜けきれてません。

それにしてものぺっとしたCGの絵はどうやっても色気は出ないものなのかなぁ。どうにも絵が「生きてこない」んだよなぁ。ここまで技術として安定してきたのに、手書きに優る、手書きにはない魅力というのが今だ視聴者に伝わらないというのは、ある意味不思議。作り手としては手抜き手段の1つくらいの認識なのかなぁ。



どうしたものかなぁという気分になり、同じ平安時代劇アニメである「紫式部 源氏物語」を比較で見てみる。
こちらは87年の作品、アニメ制作はグループ・タック(「まんが日本昔ばなし」を制作していたところ、といえばわかりやすいかな)朝日新聞・日本ヘラルドの記念映画と記憶しているけれど、どうだったっけ。

バブル全盛で企業はこぞって文化事業に金を落としていた時期の製作だからか、とにかく作品全体に金と余裕が感じられます。
林静一の原画を精密に再現していて、どう見ても「平安の貴族文化」な麗しい動画。一つ一つがそのまま留めてじっくりを眺めていたくなるほど完成度が高いのですよ。 ほんと、ため息が出るほど美しい。
ストーリーの説明がわりとなさげで、美麗な画面をどれだけ作り上げるかに腐心しているような作品なので、「源氏物語」の概要を知らない人にはつらい作品かもしれないけれど、「源氏物語」の概略を知らないなどという非国民はどうでもいいわけであって、そんなひとはこの作品を見ないからいいのです、というふっきれ具合が気持ちいい。

それにしてもこのアニメで見てほしいところはなんてったって、髪。
フェティッシュなまでの魅力に目が離せない。何度も見ている作品だが、そのたび髪に目を奪われてしまう。
髪の毛の一条一条に至るまで丁寧に書き込まれていて、俯いたり、振り向いたりした時に鈴の音色のようにさやさやとわずかに髪が震えるようなところまで正確にかつ、華麗に動画で再現している。そうした一瞬のあえかな髪のやわらかな流れ、ほんの少しの乱れやほつれに艶やかで清潔な色気が漂っている。
豊かな緑の黒髪は平安女性の「美」の形のひとつではあるけれども、ここまでその「美」に関して追求した映像作品はわたしは今まで見たことがない。絶対製作者サイドに髪の毛フェチがいたな。こりゃ。

あと、優雅な貴族の束帯姿や女官の十二単も見もの。わずかな体の動きでできる皺や影形にいたるまで丁寧に描写しています。
ま、なんで源氏の君は髪をまとめないで背中に流しているの?とか、その耳に見えるピアスのような茜色のその小さな珠は一体なに?とか、 ラスト、特にオチらしいオチもなく源氏舞を優雅に踊る源氏の君というのは、とか、源氏の君が一瞬だけ幽体離脱して地上遥か上から平安京を見下したりするあれって、とか、「銀河鉄道の夜」(84年の同社の作品)に出てきた謎の三角錐のオブジャがこれまた一瞬登場したりする意味は、と、まぁ、よくわからないところもあるけれど、綺麗だからいいのです。

とにかく見ていて華麗で艶やかでおぼろげで掴みようのない、春の明け方に見る不確かな甘い夢のような気分になれるのだから、それでいいのです。
しょうもないサイバーパンク崩れのSFアニメやエコロジー讃歌の偽善アニメでなく、こういう作品こそ、海外に持っていってほしいよなぁ。これこそ日本の日本たる、実に玄妙で幽玄なアニメだと私は思うのです。
ジャポニズム大好きのフランスあたりで勘違いして受けると思うんだけれどもなぁ。どうでしょう。
それにしても女性と見まごうばかりほど麗しくたおやかな源氏の君と様々な女官たちとの交情のシーンを見ると、どちらが女というのがわからなくって、倒錯的な気分になりますが。



と、2つの時代のアニメ作品を見て感じたことをつらつらと書き綴ってみたのけれど、2作とも「平安」というモチーフにある一定の美意識を持ちこんでいることは同じだとと思うのですよ。
しかし、美意識の方向が「源氏物語」が一般の広い層へ向けられた美意識なのに比べ、「お伽草子」はというとアニメに対する一定の理解を持ったいわゆる「おたく層」へ向けられた極めて領域の狭い美意識なのね。そこが圧倒的に違う。
その狭さが10年間のアニメに起こった象徴なのではとわたし思う。
まぁ、長くなるのでいきなりまとめると、ここでいいたいことは以下。

1. アニメの技術はこの十年で、テクノロジーの進化に反比例して退化しているのではないか
2. その原因の一つはアニメのユーザーを一般大衆に置かず一部のセクト化された「おたく層」のみに限定して制作しているからではないか
3. その影響で低予算で質のよくない「おたく」層にのみ向けられた作品ばかりがアニメのメインストリームとなってしまい、質の高い多くの視聴者に提供しうる裾野の広い作品はもはやアニメ業界では提供できないのではないか

ということ。

まぁ、日本のアニメの低調の理由の1番の原因は少子化でアニメ番組の視聴率が低下し、『サザエさん』『ドラえもん』などの国民的番組以外のアニメがゴールデンタイムに放送することが難しくなってしまったことによる全体の地盤沈下なわけで、 その時におたく以外の大人向けのアニメーションを制作するほどの地力を各制作会社を持ち、更にそれを受け入れる土壌がユーザー側になかったからこうなってしまったわけだが。(これは「おたく側」の責任でもあるわな。彼らがもちっと社会的だったり、メインカルチャーに色気を持ってくれたらよかったのだけれども……って社会的だったら「おたく」じゃないしな)。

90年代以降「ジャパニメーション」という言葉とともに世界に誇る日本の商業芸術として脚光を浴びている日本のアニメであるか、内実はボロボロなのでは、と私は思っている。そして今日もまたその思いを強くしたのであった。

(―――ちなみに宮崎アニメはその作画のレベルは圧倒的であるが、彼の独自の世界観が作品のレベルを落としているのではないか、というのが勝手な私の感想だ。宮崎アニメは「ロリコンで偽エコロジストの親父の独善的作品に過ぎない」という言葉に有効な反論を持ち得ていないように見える。)


2004.7.10
加筆 2004.11.05
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