全く明菜ファンには本当の音楽通や、事情通はいないのか。 それとも、本当の通などはネット上に文章をアップしたり、掲示板に書き込みをしたりしないものなのか。 年の瀬だというのに相変わらず偉そうな明菜ファン、まこりんです。 ただの一介のファンであって、音楽通でも事情通でももちろん業界人でもなんでもないので、 これは私の役割ではないと思うが、まだこのことに関するテキストをまだ見たことがなく、またいいかげんもう書かないと状況的からいって色褪せてしまうと思われるので、成り代わって私が書けるところまで書く。 これが今年の明菜テキストの締めである。 何を書くかというと、現在の中森明菜の音楽的な屋台骨となっている武部聡志と彼が代表取締役を務める会社ハーフトーン・ミュージックに所属するミュージシャンの話である。 確か、2002年春、『歌姫2』リリースの頃、中森明菜が「ミュージックフェア」出演した時、その番組中明菜の楽曲のアレンジとキーボードを担当していたのが武部聡志であった。 テレビで見ていた時、「あれっ、もしかして武部さん??」と私は思った。 普通、裏方の人であるのでテレビでチラッと映るくらいじゃ気づかない。私は彼が斉藤由貴の音楽監督をしていた時の写真で見覚えがあったから気づいたのであるが、程なく番組の終わりのテロップで彼の名前を見つけてそれが事実をであることを知った私なのであった。 だが、よくわからない。何故、彼が、明菜の後ろにいるの。 謎を残したまま、2002年の夏、コンサートツアーである。 ツアーメンバーの中でこれまた彼の会社、ハーフトーン・ミュージックに在籍するミュージシャンがちらほら。 バンマスでベースの元クライズラー・カンパニーの竹下欣伸氏をはじめ、キーボード上杉洋史氏、ギターの日高恵一氏もそうだ。 パンフレットを見るとバンドのマネジメントとサウンドのマネジメントがハーフトーンミュージックに拠っていると書いてある。 やっぱり彼と明菜の繋がりってのが、誰の手引きなのか知らないが、今はあるな。 と、確信に到ったところに2002年冬、『歌姫D.D』リリース。 ここでやっと武部氏が編曲とアルバムプロデュースということで全面に明菜の楽曲制作に出てきた。 2003年発売の武部氏との共同プロデュースのアルバム『I hope so』はほとんどハーフトーン祭りといってもいい、彼を中心とした音作りのアルバムとなった。 ―――ちなみにここで明菜陣営初登場の川江美奈子嬢も井上慎二郎氏もハーフトーンの人材である。 また、このアルバムを引っさげてのツアーもまた、去年のツアーのメンバーなどもほとんど変わらずハーフトーンの手引きによるものであった。(―――竹下欣伸氏がぬけたので上杉洋史氏がバンマスとなった。) ということで、今、現在、中森明菜というアーティストを支えているのは武部氏を中心としたハーフトーン系のミュージシャンなのである。 まぁ、詳しいことはここにある会社のホームページでも見てくださいな。 現在明菜の音楽的な部分のハンドルというのは武部氏、川原(羽佐間)氏、そして明菜本人のこの3人がもっているのではなかろうか。 ちなみにここからは明菜と関係のなくなることなのであるが、この武部氏の音楽の系譜をもうちょっと一緒に掘り下げたい、というのであれば、お付き合い願いたい。 歌謡曲ファンのわたしからしたら、まぁ、今更、武部聡志氏のプロフィールもという感じであるが、初心者のために。 武部聡志。作曲家・編曲家・キーボード奏者・サウンドプロデューサーである。 ユーミンのコンサートの音楽監督として腕を振るう。個人的には松任谷正隆の直系の弟子のような音作りに感じる。 シンセの打ちこみを多用しつつもオーガニックな響きを持つ暖かなサウンドが特長でその音は「デジアナ・サウンド」などとも呼ばれた。 歴史的な流れでいえば、ネオ・アコ、渋谷系の音の時代の前に彼の音作りがあると私は思う。 アレンジ担当した初のヒット曲は斉藤由貴の「卒業」。以後斉藤の音楽プロデュース全般を勤める。斉藤由貴の諸作が80年代の彼の代表作品群といっていい。 またそのほかには、小泉今日子「魔女」、薬師丸ひろ子「あなたを・もっと・知りたくて」、小林麻美「悲しみのスパイ」など様々なヒット曲のアレンジを担当。その数は枚挙に暇がない。 明菜の楽曲も「AL-MAUJ」をはじめ80年代に数曲アレンジを担当している。 近年でも、一青窈や松たかこのプロデュース、「LOVE LOVEあいしてる」で結成されたバンド「LOVE LOVE ALL STARS」での活動などその動きは活発である。 具体的にどういった音を作るのか、というのを知りたいのであれば、やはり斉藤由貴のアルバム、――特に『風夢』をすすめる。 このアルバム、結構明菜の『I hope so』とそんなに遠くないかもしれない。 また、松任谷正隆の音作りと彼の連続性を見てみたいのならユーミンプロデュースによる小林麻美のアルバム『cryptograph』なんかもいいかもしれない。 また、2002〜3年と明菜のツアーに連続で参加したキーボーディスト上杉洋史氏はさらに武部氏の直系の弟子のような音作りをするような人と私には映る。 藤本美貴の「ロマンティック浮かれモード」であるとか、ソニンの「津軽海峡の女」であるとか、前田有紀の「東京Youターン」など近頃ではつんく周りの仕事も散見される彼であるが、 なによりもいいのは後期の斉藤由貴の傑作『Love』『moi』で見られる静謐な音作りである。 あらゆる余計な音を剥ぎ取り削り取り、そして残った必要最小限の音だけで作られたアイドルポップスの極北のひとつともいえる孤高のアルバムである。 もうひとつハーフトーン人脈で重要なのは杉山卓夫氏であるが、この人は今、明菜の担当ではないので――確か、『アルテラシオン』の頃ちょっとだけ参加していたと思う、今回はまぁいいでしょう。 あとハーフトーン人脈祭りで面白いアルバムというと、原田知世『Tears of Joy』などもいい。 後藤次利氏の手から離れ、鈴木慶一氏に出会うまでの彼女の音楽史から見れば過渡期の時期のアルバムであるが、制作にハーフトーンミュージックが全面的に関り、結果、午後の陽光のような優しいアルバムとなり私は大好きである。 つまり、私がいいたいのは、今これだけのキャリアの人達が明菜を音楽的に支えているのですよ。というただ、それだけのことでなので話に落ちは、ない。 |
2003.12.28