原田知世 『Garden』
1.都会の行き先
2.さよならを言いに
3.アパルトマン
4.Walking
5.Nocturne
6.中庭で
7.リボン
8.夢迷賦
9.ノア
10.夢の砦
11.早春物語
歌手活動の結節点にある名盤 (1992.08.21/FLCF-30144/フォーライフ) |
90年代初頭、80年代を彩った様々なアイドルが終わっていった。スキャンダルで、結婚で、仕事の不振で、といった様々な理由で歌うことを止めていった。 きっとこれが最後のアルバムなんだろなぁ、シングルなんだろうなぁ、と思いいつつそれでも買い、そしてそれっきりであった歌手がどれだけいたことか。 きっと、この人も早晩歌うことを止めるのだろうなぁ、と思いながら応援していた。 原田知世である。 89年作品『Tears of Joy』を聞いて、その品の良さに感心した。 プロデュースは透影月奈こと原田知世本人。「時をかける少女」や「愛情物語」の頃とは違う、ましてや「雨のプラネタリウム」の頃からは想像のつかない大人向けのシックなアルバムだった。 これはいい。これは売れないだろうが、いいぞ。 そう思い、遅まきながら彼女追いかけるようになった。 『Blue in Blue』、『彩』と彼女はアルバムのリリースを続ける。この2枚のアルバムのプロデュースは原田本人と元・サザンオールスターズの大森隆志であった。 このアルバムも優れていた。やっぱり、いい。今の彼女の音楽だ。 しかし、アイドル誌も音楽誌も、彼女の新譜に対してはほとんど無視といった状況で、特に話題を振り撒くことなく、そして売上げを残すこともなく消えていった。 やっぱり趣味のものなのだろうな、これは……。 わかっていたのだが、あまりものメディアとマスの反応の薄さに私は、ほんの少しだけ落胆していた。 そして、こう思っていたのだ。 「きっとこの人も、早晩歌うのを止めるのだろうなぁ」と。 毎年初夏にリリースされていたアルバムのリリースがなかった時、その予感は的中した、と、私は思った。盟友の薬師丸ひろ子も昨年のアルバムリリースを最後に結婚、歌手業を辞めていた。 が、ほんの少し遅れた8月の終わりにしっかりアルバムはリリースされた。 そのアルバムが『Garden』である。 発売日に買った。高校の夏季講習の後、学校の近くのCDショップで購入した。近くの市立図書館の駐輪場で封を切って、その場でポータブルプレイヤーにかけた。 驚愕した。 凄い。これは、大傑作だ。 歌手業廃業寸前のこの後に及んで彼女、大傑作を生み出してしまった。 私はうだるような暑さの西陽の激しい駐輪場で、一人、寒気に震えていた。 すごい、すごい、すごい。 このアルバムには、彼女の過去と未来が詰まっていた。 アルバムは原田知世作詞、作曲、編曲(!!!)による「都会の行き先」ではじまる。 麦わら帽子 飛んでいく 手を伸ばす私を残してこれは、西条八十「帽子」であろう。 母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね? この詩が角川映画「人間の証明」のコピーで使われ有名になったことをご存知の方は多いだろう。 このフレーズだけで、この歌が彼女の角川女優時代を包括している、と私は読み取った。 となると、駆け出す向こうにある「あの夏」とは過去の夏、角川時代の自分なのであろう。では、これは過去へのノスタルジーのアルバムということなのだろうか。 いや、違う。 次の曲「さよならを言いに」(作詞・曲/鈴木慶一)が答えだ。 さよならを言いに 朝靄の中を走る 駆け出した向こうにいたのは過去の自分だ。それにさよならをするために彼女は会いにいったわけである。 続く「アバルトマン」(作詞・曲/鈴木さえ子)は旅立ちの歌である。 10年も住んでいたと思えない記憶が 初雪のように溶ける 82年デビューの彼女は92年でデビュー10周年である。10年住んだ家を出て、彼女は歩き出す、という歌詞の意味は、つまりはそういうことだ。 以下、続く楽曲は過去と未来が交錯した「彷徨」が隠しテーマになっていると私には見える。 「Walking」は大貫妙子作品。波打ち際でゆったりと逍遥する愛する二人の歌である。 大貫は「地下鉄のザジ」以降、要所要所で彼女の作品提供依頼を受け、そのたび彼女らしい良作を作り出していた。未来志向の作品で、今作も危なげがない。 「Nocturne」は原田知世の自作。雨の彷徨は出入り口がない、行き場もなく夢の淵で漂うだけ。過去へも未来へも行き場のないダルな作品。 「中庭で」は北田かおるの作品。夏の中庭。草いきれに消えた言葉、「あなたが好き」。西風が遠い記憶を呼び戻す。過去志向の一品。 ちなみにタイトルになっている「GARDEN」。このガーデン、私はイギリス式庭園をイメージする。 「リボン」(作詞/北田かおる・作曲/鈴木慶一)。これまた追想。子供の白いシャツ、揺れるひまわりとその黒い影、ありふれた夏の午後、至福の幼少時代を彼女は思う。 が、歌最後はこう結ばれる。 ドアを閉める 金のふちのリボンを結んで遠い幸福な過去の記憶を自ら封印するのである。 「夢迷賦」(作詞/原田知世・作曲/崎谷健次郎)はシングル「Silvy」(90年作)のカップリング、今作ではアレンジを大きく変えている。 失ったものどもとの再会をはたすため、過去に出逢うため未来へと旅を続ける。永劫回帰の歌だ。 ちなみにこの曲、後に作曲の崎谷健次郎が斉藤由貴に差し替えの詞を頼み「意味」というタイトルでセルフ・カバー(『AMBIVALENCE』収録)、更に斉藤由貴も後にセルフ・カバーした(『LOVE』収録)。 「ノア」(作詞/鈴木博文・作曲/鈴木慶一)。クライマックスだ。 長い長い彷徨。終わらない旅路の末、彼女は「さすらうよろこびに辿りつけた」と高らかに歌う。 そしてラスト「夢の砦」(作詞/直枝政太郎る・作曲/鈴木慶一)。今はまだ夜明け前。砂漠にポツリとたつ夢の砦。砂まじりの風のなか、遠い星空を見上げながら、いつか君と出会うことを信じる。この夜が明けることを信じる。 希望だけを手のひらに残して、アルバムは終わる。 「ノア」「夢の砦」の2曲がこのアルバムの結論といっていいだろう。 旅は終わらない、ただ、未来と希望を信じて、さすらうことすらも喜びとして旅を続ける。その強い意志でアルバムは閉じられる。 エンデイングロールは昔懐かしい「早春物語」のストリングスバージョンである。 「逢いたくて 逢いたくて」のリフレインが本来の歌詞の通りの「男女の恋に焦がれる」という意味合いとともに「これからの長い旅路に出会うであろう様々な人々を恋うている」という意味にも聞き取れる。 トータルプロデュースはムーンライダーズの鈴木慶一によるものであって、打ちこみ主体の音作りで大陸的、東洋的な志向の垣間見えるファンタジックで郷愁と希望の交錯する不思議なアルバムである。 毎年夏の終わりになると、なんだか、色々と昔のことを思い出して、切ない気分になるんだよねぇ、という方には是非とも聞いていただきたい。 私はいまでも毎年晩夏になると必ずこのアルバムをCDトレイに載せる。 「知世、新たなる10年へのファーストステップ」 アルバムの帯にかかれているように、この盤は実際彼女の音楽活動の新たなスタート地点となりうる可能性を多分に含んだアルバムであった。 私はその言葉が、そら言にならないように、と、ただそのことだけを祈った。 他の同世代のアイドル歌手たちのように歌いやめることなどないように、と、祈った。 そしてその祈りはなんと見事に叶った。 以後、売上げこそなかなか上向きにならなかったものの、インタビュー記事や作品レビューなど音楽誌の話題に彼女が取り上げられることも、少しずつ増えていった。 (私も、このアルバム以降、いわゆる通な人から原田知世の音楽の話題に関して聞かれたりするようになったし。) そして、鈴木慶一からトーレ・ヨハンソンにプロデュースのバトンを渡された時、ついに売り上げ面でも成功を納める。 アルバム『I could be free』オリコン最高位10位。 その後はトーレ氏のプロデュースからを離れ、今はゴンチチ、羽毛田丈史などと共同プロデュースで楽曲を制作している。 まさか、21世紀になっても彼女の新しい曲が聞けるとは当時の私は思いもよらなかった。 中森明菜、松田聖子といった80年代のアイドルの頂点の二人でさえ、楽曲リリースに滞っている現実を鑑みると、それは本当にラッキーなことだと思う。 『Tears of Joy』で入った私でもそう思うのだから、「時をかける少女」の頃からのファンにとっては、これはほとんど奇跡に近い僥倖であろう。 (――デビュー時の彼女、ハンパなく歌が下手だったのである。え、そうなの!?と思う若いファンの方は「悲しいほどホントの話」「時をかける少女」を聞いていただきたい。) 何故彼女の歌手活動が上手くいったのか、理由はよくわからない。 確かに、自分にできることに何か、できないことは何か、そしてそんな自分を今後いかに成長させるか、そのために必要なことは何か、それに見合う人材は誰か、といったことを判断できるいわゆるセルフプロデュース能力に関して彼女が長けているというのは事実あるだろう。 でなければ、個人事務所でありながらここまでパブリック・イメージを高めつつもクオリティーの高い仕事をこなしていくなんて芸当は出来ない。 が、こと彼女の「歌」の部分に関しては「諦めずにサボらずにじっくりと努力する」「自らが尊敬する先達にきちんと教授を受ける」という当たり前のことを淡々とやってきたその成果なのでは、と私は思う。 最新盤の『My Pieces』も成長し続ける進行形の彼女の今の音楽である。 彼女ももうすぐ40代にさしかからんとしているが、彼女なら、40代なりの彼女の音楽ができると、私は思う。 いい歌手になったものだ。 |
2004.05.31