中森明菜 「二人静」
1. 二人静
2. 忘れて…
激しく哀しい歌姫の相舞 (1991.03.25/ワーナー・パイオニア) |
91年作。91年の唯一の中森明菜の作品が「二人静 〜天河伝説殺人事件〜」である。 角川映画「天河伝説殺人事件」の主題歌として、松本隆作詞・関口誠人作曲、関口本人の歌唱バージョンがまず91年2月に発売された。 それがどういった経緯によるものかわからないが、急遽中森明菜の歌唱によるバージョンもまたその約一ヵ月後に発売、競作という形になった。 中森盤も同映画の正式な主題歌であったが、映画公開のプロモーションや本編には関口バージョンが主に使用されていた。 また中森盤のカップリングが、中森明菜の作詞、このシングルのディレクター・川原伸司の変名、羽佐間健二作曲による小品「忘れて…」であった――これは多分中森明菜がノートかなにかにストックしていたポエムに無理矢理メロをつけたのだろうな。 これらの事情から、このシングルが急ごしらえであったのがよく見てとれた。 当時の彼女はいぜんとして89年の自殺未遂騒動以降のトラブル・スキャンダルの真っ只中にいた。 しかし、公私共に吹き荒れたトラブルとは無関係に、この曲もまたヒットした。年間21位、48万枚。シングルでの大ヒットはこの曲が最後といってもいいだろう。 ◆ 中森明菜の作品は「二人静」というタイトルが冠されている。 なぜ松本隆はあえて中森盤に「二人静」というタイトルをつけたのだろう。 原作である「天河伝説殺人事件」に確かに能楽の演目として「二人静」はでてくるが、物語の中で大きな鍵とはなっていない。 この作品の中でメインとなっている演目は殺人事件が起こる「道成寺」(――の「釣鐘落とし」のシーン)である。 「殺(あや)めたいくらい、愛しすぎたから」 ここは安珍清姫伝説を下敷きにした「道成寺」らしいくだりではある。 しかしこの歌はストーカーじみた強欲で男を焼き殺すという「だけ」の歌ではない。 内田康夫著「天河伝説殺人事件」は、能楽家の跡目相続をきっかけに勃発した骨肉の相克――子を思う母の愛が結果子殺しという悲劇へといたる、その道筋を描いている。 この原作のエッセンスを松本隆は「殺めたい」のひと言に閉じ込めた。 であるから、明菜の「殺めたい」という歌唱は、深い。激しさとそれすらも包み込む深い情愛が漂っている。 しかし、それだけではなぜ明菜盤だけ「二人静」と題した理由にはならない。話をもう少しだけ掘り下げよう。 ◆ 能楽にある「二人静」。その「静」とは静御前のことである。物語は、こうだ。 吉野・勝手神社の神官が従者の女に春の菜を摘むように命じる。 その女が菜を摘んでいたところ、彼女に亡霊がとりついてしまう。 「名を名乗りなさい」神官がたずねると、彼女は「静である」とこたえる。 神官が弔いの代わりの舞を所望すると、彼女は以前その神社に奉納した自らの装束で舞いはじめる。 亡霊のとり付いた菜摘女と亡霊である静御前、ふたりは鏡写しのように寄りそって同じ舞をする。 亡霊の憑ついた菜摘女と静御前の相舞。それがこの演目の最大の見せ場である。そこから「二人静」というタイトルがつけられた。 では、静御前の歴史を、振り返ってみよう。 ◆ 白拍子――売春婦であり、芸能の民であり、神女であり、時代の象徴でもあった彼女たち――現代の言葉でそれを表すとすれば「アイドル」という言葉が最もふさわしい。源平合戦期、その白拍子の中で頂点であったのが静御前である。 100人の僧の読経も、99人の白拍子の舞も効かなかった雨乞いの儀、しかし彼女がひと舞するとたちまち暗雲が立ち込め、3日雨が降り続いたという。後白河法皇は彼女を日本一と褒め称えた。 その雨乞いの場に居合わせ、彼女を見初めたのが、時の英雄、源義経である。 ふたりは激しい恋に落ちる。時代の巫女と時代の英雄の恋愛。それはスキャンダラスな「事件」であった。 しかし、二人の幸福は長く続かない。吉野での義経との無惨な別離――義経は正妻や懐刀とともに東北へ向けて逃亡、静は金銀と僅かな手勢を与えられたものの、吉野の山中に捨てられてしまう。 わずかな金はあっけなく従者に奪われ、山中を彷徨った彼女は、山僧にとらえられ、鎌倉へと連行される。 そして彼女は、義経との子を宿した身重の体に臆することなく、鶴岡八幡宮、政敵・頼朝の眼前で「しづやしづ」を舞うことになる。 「誠にこれ社壇の壮観、梁塵ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」 伝説となった彼女の舞台は、「吾妻鏡」にかように語られている。 物語はこれで終わらない。身篭った赤子が男子なら殺すと頼朝に命じられた静御前、はたして産まれたのは男児であった。 静は泣き叫んでそれを拒んだ。しかし赤児は由比ヶ浜の海に沈められる。 そして彼女は歴史の表舞台からは消え去る。そこから彼女がどのような生を生きたか、その後の彼女を伝える伝承は日本各地にのこっているが、確たるものは何も残っていない。 ◆ 無情なる人の世で翻弄される静御前、しかしそれでも絶えなかった一途な情愛。その思いは、最愛の者にうち捨てられても、あるいは敵対する時の最高権力者の前であっても、けっして怯むことはなかった。 松本隆は、静御前の苛烈な愛の歴史を、スキャンダルに身を揉まれる現代の歌姫・中森明菜の肉体に憑依(お)ろした。であるからこの歌の題は「二人静」なのである。 「二人静」とは、中森明菜と静御前という現代と過去のふたりの哀しい歌姫の相舞である。 その相舞は、エロスとタナトスが、愛と憎しみが、背中合わせに寄りそい、そこにある感情は渾然として、なにものであるとも言葉にしがたい。 ただ、精神の激しい高揚と、白々した気迫が、あるのみである。 ポップスクリエイターとしての自分に飽いていた松本隆は、この曲で、古典という金脈を見つける。 以降、彼は、関口誠人のアルバム「たまゆら」、あるいは平安京遷都1200年祭の舞台「時空の舞姫」、また近年は千住明との共同作業による新作能「隅田川」など、古典とポップスの融合化をはかる作業を行っていくことになる。 一方中森明菜は、自殺未遂事件以降、それまでの歌手としての活動に迷い、停滞していたが、この曲で川原伸司と出会い、再起。 その後は、歌唱法・活動展開を大きく様変わりさせ、川原伸司とともに「歌姫」「艶華」などの作品を残していくことになる。またこの「二人静」の世界は、明菜の世界に於いては、「月華」「落花流水」へと繋がっていく。 松本隆と中森明菜。80年代を象徴したひとりの作詞家とひとりの歌手の転機がこの一曲に、つまっている。ふたりはかようにして80年代を振り切り、同時代性を超えていく。 |