メイン・インデックス歌謡曲の砦>>藤井隆「ロミオ道行」

cover
藤井隆 「ロミオ道行」

北摂文化圏のモダニズム

(2002.02.14/アンティノス/ARCL-214)

1.未確認飛行体 2.究極キュート 3.地球に抱かれて 4.素肌にセーター 5.リラックス 6.幸福インタビュー 7.絶望グッドバイ 8.代官山エレジー 9.モスクワの夜 10.乱反射 11.アイモカワラズ 12.ナンダカンダ


基本的にお笑いタレントの歌と言うのは聴かない。
だって、それはただの聞き捨てのノベルティーグッズに過ぎないから。

芸人が歌で「お笑い」をやろうとしても大概が一発ネタ、最初はいいけれど何度も再生するに値しないものが多い。
そりゃそうだ。笑いってのは「場」が命なのだから。銀盤と言う特殊な「場」で耐性の強い笑いを作るというのは一つの特殊技能がこれまた必要なのだ。
(―――だから、音楽的素養がある、元々歌や音楽でお笑いをしている芸人はここでは別の話だ、清水ミチコやタモリのアルバムは何回聞いても笑える)

とはいえ、芸人が歌で「お笑い」をやるというのならまだいいが、それにかてて加えて近頃では変にマジな歌を歌い出すから困ってしまう(―――というか芸人のCDリリースといえばもはやこの路線が主流だな)。
とんねるずあたりがこの流れの原初かもしれないが、いわゆる「俺達のアニキの応援ソング/芸人励まし系」路線である。いつもはみんなを笑わせている「俺達のアニキ」が今日はキメキメでカッコよく俺達を応援してくれているぜ、というやつ。 (―――この系譜の最新ヒットはくずの「全てはきみの力になる」だな)
タレントとしてのイメージや人気を基底に置きながらも、モードだけ2枚目に変換する姑息なイメージアップソングにしか見えないし、 タレントの人気に乗じてファンが勝ってくれたら御の字みたいな程度のコンセプトの卑しさみたいなものも垣間見えて、なんとも不快な気持ちになる。
こうしたのは、個人的には果てしなくご勘弁の世界。
君子危うきに近寄らずでこういった歌にはテレビで流れているのを冷ややかに見ているだけで、流しているのかいつもの私である。

だから、ここ数年でわたしが1番気になっている芸人のひとりの藤井隆が「ナンダカンダ」で歌手デビューした時も「ゲッ、いわゆる芸人励まし系」と静かにのけぞり見なかったことにしていた。
それから後、松本隆プロデュースでアルバムをリリースしたという話を聞いても、なんとなく触れてはいけないような気がして流してしまっていた。

が、つい最近このアルバムを入手してみると、これがね、いいのよ。
いやぁ、恐れずもっと早く手に取っておけばよかったという反省と共に今回はその松本隆プロデュースのアルバム『ロミオ道行』を紹介。




このアルバム、松本隆がきちんと作っている。ものすごーーーく、きちんと。
藤井隆を「お笑い芸人」でもなく「人気タレント」でもなく「歌手」としてきちんと扱っている。それにまず驚いた。
吉本新喜劇もホットホットダンスもMatthew南も、このアルバムにはまったくない。
でもって、きちんとアルバムの作りがきちんと「松本隆謹製」印なのである。
松本隆ファンが聞いて十分納得できるハイクオリティーな作品といえる。今までの彼の作った名盤である「花図鑑」とか「水の精」とか「冒険王」とか「Citron」とかと充分比肩できるほどの作品なのである。
例えば、今まで松本隆がプロデュースした男性歌手でいうなら、南佳孝や佐藤隆のアルバムなんかと聞き比べても全く遜色ない。
南や佐藤隆よりも歌の主人公をちょっと若くし、より優柔不断でより頼りない感じにすると『ロミオ道行』の藤井隆になるって感じかな。
これは現在のポップスで80年代の松本隆の歌謡曲を再現するとどうなるか、というコンセプトで作られたアルバムじゃないかな。

意図的に国道246号沿線や東横線沿線あたりに舞台装置を求めたり、「ジェーン・バーキンを気取ってた」(「究極キュート」)なんて「なんクリ」的固有名詞の絡めて古きよき80年代のプチブル感を出しつつも、 そこに「カラオケでねばったね」(「絶望グッバイ」)とか「(魂が)リンクしていた」(「素肌にセーター」)「電話のメモリー」(「代官山エレジー」)なんて90年代的な言葉を嵌めこんで、結果面白いアンバランスな魅力が出ているように見える。

また、歌詞からそれぞれの作品が今までのどの松本隆のラインにあるのか、というのも探るのも面白い。
「地球に抱かれて」は環境ソングで松田聖子の「瑠璃色の地球」だろう。 「素肌にセーター」は「ルビーの指輪」「木綿のハンカチーフ」「レースのカーディガン」系の小道具ソングかな。 「絶望グッドバイ」は斉藤由貴の「情熱」だろうな。「モスクワの夜」はどう見ても大瀧詠一の「さらばシベリア鉄道」だ。

あと、そうそう。このアルバムのタイトルはわざと「カタカナ+漢字」したっぽい。で、妙にアンバランスな語呂が多い。タイトルの『ロミオ道行』をはじめ、 シングルの「絶望グッドバイ」、「幸福インタビュー」、「代官山エレジー」(―――実はこれ、「絶望グッドバイ」のボツ歌詞。「絶望〜」のメロでそのまま歌えちゃったりする)、「究極キュート」などなど。そこからもアンバランスな魅力が感じられますね。これは歌詞の80's+90's的なアンバランスと同質で、これが松本隆が今のポップスでやってみたい実験のひとつなのかなと思ったりもする。


藤井隆も歌がそんなに上手いタイプなのではないけれど、かなり頑張っている。
「吉本芸人」らしからぬ洗練さというかスノッブな感じが漂うんだよね。
これは彼の生まれ故郷の北摂地区の風土のなしえる技かな、と思ったりもする。

「関西の芸能の風土」というのはご当地に住んでいない人にはいわゆる吉本的な「コテコテ」一色かと思われがちだけれども、微妙に違う。 いわゆる「コテコテ」なのは大阪のミナミから南の芸能風土。河内とか和泉のあたりの文化風土。浪花節と新喜劇の世界はここの文化圏である。
で、大阪から北の北摂地区(=いわゆる阪急線沿線)は実は「タカラヅカ」と「手塚治虫」と「細雪」の世界。洗練とシャイの文化なわけである。 ―――で、ここに属する人ってのは1番東京の文化との親和性が高い。成功すると、すぐに東京に速やかに出てくるし、そして東京に出ればすぐに訛りなしで話せるようになる。つまり東京に対するコンプレックスがない。 芸能人で言えば豊中の藤井隆はもちろん、彼の大ファンの伊丹の南野陽子なんかもそう、高島忠夫一家もここの出身かな。

そうしたモダニズムを持った藤井隆が松本隆と組んで成功しないはずがない、というか。 この企画を持ちこんだ人は鋭い、って、これ深夜時代の『Matthew's Best Hit TV』で藤井本人が松本隆への熱烈ラブコールを寄せて、それを受けて出来たアルバムなんだよね。実は。 そういうところでは、藤井隆は自己演出が上手いタレントといえる。自分が見えている。
松本隆も自分の詞のテイストにあった素材でと感じたようで、この盤では松本隆らしいフェミニンで軟弱でセンチメンタルな都会的な男性像が実によくでている。 彼は芸人としての路線の他にひとりの歌手として今後も地味にひっそりとこの路線で歌っていくのがいいだろう。その時は番組のタイアップなどをみだりにしないほうがいいだろう。と、私は思う。


おまけにひとつ。芸人としての彼を見た時、特出すべきなのは、こうしたモダニズムを持った芸人が「吉本」のしかも「新喜劇」から出てきているということだと思う。
関西の芸能文化の中核である吉本興業が日本を代表する総合エンターテイメント企業へと変化しつつある、彼はその象徴のように映る。 既に「吉本のお笑い」といカテゴリーの中で独自な地位を築きつつある彼だが、今後、彼は吉本でありながらいわゆる「吉本的」でない、ニュータイプの吉本タレントとして成長してゆくだろう。 その象徴が「Matthew南」である。
『Matthew's Best Hit TV』での「Matthew南」というキャラクターは 当初は彼の芸能人として不適格なのではと思われるほど異常に不安定なテンションを打ち破るために(或いは隠すために)生み出した奇妙なハイテンションキャラクター達(―――初期のホットホットダンスのオカマキャラから、爆写カメラマン・シュガー、マサラ・シン、モデルの麗羅など)のひとつであり、その最高傑作のひとつという位置であったが、いまや彼の第2の人格といえるほどまで肥大してきている。 そして「Matthew南」が世に認められるのと比例して「藤井隆」というキャラクターもどんどん安定してきた。ここが彼の本来の持ち味なのではなかろうか。
今後はお笑いタレントという位置から「司会者」ゾーンへと移っていくのであろう。彼の北摂人らしいセンチメントとサービス精神は実に司会者向きである。例えば「ザ・ベストテン」をもし復活するとして黒柳徹子の相手を出来るのは久米宏以外では彼しかいないとわたしは思っている。

2004.11.07


偏愛歌手名鑑のインデックスに戻る