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ジュリーよ、美老人になれ


ちょっと古い話題になるけれど、ジュリーが水戸のコンサートで客が集らなかったのを理由にドタキャンしたらしい。

http://www.sanspo.com/geino/top/gt200410/gt2004102101.html

「1764人のキャパシティーに対して約700人と半分に満たない状況だった。」か……。
そろそろこういう事が起こりかねないだろうなぁ、とは思っていたが、ついに来たか。

正直いって今の沢田研二は「自分のやりたい仕事だけをやっている歌手」なんだろうけれども、その実、彼の商売相手というのは「スーパースター・ジュリーという記憶をぼんやりと覚えていてそれを追体験したいと思っている全国数十万人のライトユーザー」と「彼という存在そのものを熱愛する数千人の熱狂的ファン」の二極に大別されて「現在の彼の音楽に興味を持ってついていっている彼にとってもっとも望ましいファン」っての極めて少ないように見える。
これは過去のヒット歌手であれば誰でもそうなんだけれども、その状況をなかば無視し続けて彼は今まで突き進んできたわけで(―――まぁこれはもしかしたら彼の場合はデビュー時からずっとそうなのかもしれないけれどもさ、客じゃない、自分に正解があるって姿勢、っつーか。だから平気で客を罵倒したり、暴行事件起こしたりするんでしょうが)、そうした姿勢がそろそろ限界なのかなぁ、と感じた。

新作『クロックマダム&ホットケーキ』もようやく聞いたけれども、確かに今作は「ジュリーレーベル」以降ではかなり派手めだけれどもなにか足りない感じがある。
ポップスとして勝負するには色気のようなものが足りない。外に向かって訴えかけるところがなく、全体的に自足している感じは否めないのね。おっさんたちの趣味のバンドって感じなのよ。
やっぱりここ十年ずっとのスタイルである本人プロデュースで白井良明のアレンジでギターが前に出てくるアルバム、というのではない違うものが聞きたいな、とどうしても思ってしまう。

沢田研二の「ナツメロ歌手になりたくない」という発言も「ヒット曲のカバーなんてしたくない」という発言も「昔のように若々しく派手にといわれるのがイヤ。もう恋の歌がふさわしい年じゃない」という発言も充分理解できる。 また毎年きちんと新アルバムを届ける姿勢も評価したい(――私は彼よりキャリアの長い歌手で毎年アルバムを制作している歌手は加藤登紀子以外知らない)。 だから「テレビに出て昔の歌を歌って媚を売れ」とか「無理に全盛期のような楽曲を作れ」とか「痩せるなりエステに行くなり美容整形に行くなりして若々しさを保て」とは決してわたしはいわない。

ならばこそ「もう若くはない彼だからこそ歌える歌」を歌って欲しい、と私は思っているのだ。
60代のロックだってあっていいだろう、と思う。それを今のような趣味の自足の音楽でなく、あくまで外側に開けた音楽で聞きたいのだ。 「ジュリーも色々あったけれど、俺達も私達も色々あったもんな」そう思える円熟した色気のある作品が欲しいのだ。

例えば数年前の田中裕子と共演したJASのCMなんていい感じに肩の力の抜けた初老の夫婦という感じで実によかった。旅行の準備。スーツケースに大量の化粧壜とピンクの派手な水着を詰め込む裕子とそれを唖然と見ているジュリー。その彼はというとお気に入りの枕を詰め込もうとしている。もうひとつのシーン。機上。窓の向こうの景色に感嘆する裕子に「ちょっと代わって」と席に交換してもらうジュリー。通路側に移った裕子は今度は通路向こうの席の見知らぬ男性と話しはじめる。そこでまたジュリーが「ちょっと代わって」。 自然で年齢相応のお茶目さがあって、多くの人に共感を呼ぶ今の彼にあった空気感が漂っていたと思う。これを今の音楽でやってほしい。
「A・C・B」などはまさしくその路線だったと思う。今彼のコンサートに集る40〜60代のファンが共感できる「ナツメロ」でないかつ「沢田研二」である音楽。これが今の彼に必要なものではないか、と感じるのだ。 そしてそれを見つけることは今の自給自足じみた音楽制作では難しいのでは、と感じる。

今回曲をもらった土屋昌巳に1枚プロデュースしてもらうとか、近頃舞台でまたいっしょに仕事している久世光彦にプロデュースしてもらうとか、色々やり方はあると思う。 ―――個人的には久世光彦や阿久悠にもう一度任せてみるといいのではと思っている。彼らなら「老いて枯れた沢田研二」の魅力を引き出してくれるのではという気がする。
ともあれ、彼の人脈ならば色々と遊べる余地はあると思うし、下手に自分で賄うよりも作品に広がりが生まれると思うし、そうした状況で「老ロッカー 沢田研二」を再構築すればいいと思う。
とにかく、男性の作詞家の詞は肌に合わないなんてつまらないこといわないで、色々と発注かけたりして欲しいというのが本音。

と、くだくだ考えても「裕子と一緒にほのぼのしたい、多くの人に聞いて共感を得てもらってという世界は面倒くさい」というのが彼の本音なら仕方ないことなのですが。
本当に自分のためだけでやるという姿勢を貫くとしたら、どんどん縮小再生産の方向に行くだろうし、コンサートもどんどん小さな小屋になって回数も減って、テレビにお呼びにかかることもなくなり、いつのまにかフェードアウトで自然に楽隠居みたいな流れになるだろう。 それが彼の望んでいる道ならば止められない。ただ、老人ホームのCFソングで彼の歌は聞きたくないぞ、というのが私の正直な気持ちだ。

「芸の道」には定年退職も老人ホームもない。天下の美少年が美青年、美中年を経て美老人となるための正念場が今なのではなかろうか。今の彼はまだまだ老年期の初心にすぎない。 美しくあることは「老い」を否定し若作りすることではないと思っている彼の考えは正しい。だからこそ、彼は充分美老人になる素質がある。頑張れジュリー、とエールを贈りたい。

2004.11.05
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