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The Eccentric Opera 全アルバムレビュー



もし海外の友達ができて、日本ではどんな音楽がはやっているのかと聞かれたらエキセントリックオペラを流して思いっきり日本という国を勘違いさせてやろうという仄かな野望を持っている、こんにちはまこりんです。
世界規模で受けいられる音楽というのは、彼女達の作るような音楽のはずである、とわたしは密かにかつ強烈に妄信しています。
彼女達の音楽が日本の音楽として、本格的に海外進出することになったら、それは面白い展開になったろうになぁ。
と、エキセントリックオペラはわたしがもっとも判官びいきしているアーティストの一組なのです。……というか、「でした」なのですが……。
このユニットは2001年のアルバム『ヨロコビ』を最後に活動休止してしまったのです。ヨヨヨヨ(と泣き崩れるわたし)。
がしかし(がばりと立ち上がり)、わたしは諦めない。彼女達の音楽が陽の目を浴びるまで、世界に羽ばたくまで、密かに熱く応援しつけるのです。
ということで、このページの主目的は感想でも評論でもありません。宣伝です。
とにかく興味がわいたら聞いてください。そしてCDを買ってください。そして身近な人に薦めてください。


―――――出会い―――――


最初に聞いたのは確か1998年の春だったと思う。聞いた作品は『Hymne』だった。
『新時代を開くノーブルエッジPOP』という煽り文句と、ジャケットワークに惹かれて思わず手に取った。曲目もなんかよさげ、おしゃれなヨーロピアン・ポップスとか歌っている二人なのかしらん、と思って聞いてみた。
そして、驚愕した。打ちのめされた。感動した。

エウレカッッ。わたしがギリシア人ならそう叫んだであろう。
そこには、今まで自分が惹かれてつづけていた、だが決して統一されることなく散らばったままであった様々な「美」の欠片が、ひとつとして余ることろなくまとまり、集束し、完璧な姿となって再生されている(かのように私には映った)。
えっっ、なにこの人たち、もしかしてわたしのために音楽作ってくれているわけ!?
冗談でなくそう思えるほど、わたしにとって彼女達の作る音はわたしの求める全ての美の象徴だったのである。

凄い。天才。化物。最高。奇跡。あらゆる賛辞をぶつぶつ口にしながら、そのアルバムを聞いた。
すぐに他のアルバムも探した。『The eccentric opera』『Noel』。そして四月から深夜アニメの主題歌を担当することも知った。「時空転抄ナスカ」テーマ曲『愛のフーガ』。
もちろんそのアニメのイメージアルバム・サウンドトラックも速攻で注文。『スケッチ・オブ・ナスカ』『サウンド・オブ・ナスカ』。劇伴担当は斉藤恒芳だった。
そして98年11月、待望のニューアルバム『Paradiso』である。
聞いた瞬間、死んだ。そして次の瞬間、生まれ変わった。……かのような衝撃を受けた。
この音楽は、既に人間の技ではない。人智を超えている。これは天界の音楽だ。聞いてはいけない音楽だ。
「Sanctus」など、本当にヤバイ。聞いているととてつもなく巨大なものに抱かれているような気分になり、そして死にたくなる。
音楽の官能が私の体中を毒のようにかけめぐり、窒息しそうになった。
ほとんどドラッグだった。
何度も飽きるほど聞き、そのたびに陶酔した。


そして、……そして、そこで終わりである。
このアルバムを最後にこのユニットの活動は急速に終息の方向へ向かう。
ソニーとの契約を終了し、コンピ盤『We love Mickey』や葉加瀬太郎『Duet』、コンピ盤『クロモリット』の参加、角川映画『弟切草』の劇伴といった形で散発的に活動。そして2001年末インディーズに場を移した『ヨロコビ』が最後のアルバムとなった。



―――――「The Eccentric Opera」の紹介―――――


エキセントリック・オペラ。ボーカル担当の相良奈美と作曲、アレンジメントキーボード担当の書上奈朋子によるユニットである。
彼女達はクラッシックを中心とした過去の様々な楽曲を換骨奪胎し、新たな命を吹き込むことを得意としたアーティストである。
が、彼女達の作る音楽はよくある「クラッシックのポップ化」乃至「ポップのクラッシック化」という退屈な変換をしているアーティストでは決して、ない。

確かにこのユニットは事務所・レコ社共に先輩であるクライスラー&カンパニーの「オペラ版」乃至「女版」という戦略で売り出していた感が強い。
ファーストアルバムのプロデュースは斉藤恒芳であったし、その後彼が音楽担当した「ナスカ」の主題歌を担当したりするわけだし。
が、私はクライスラー&カンパニーよりはるかに彼女らはエッジが効いていてスリリングであったと思う。
クラッシックを現代のポップへとお色直ししたのが、クライスラー・カンパニーの音楽だとしたら、エキセントリックオペラは「お色直し」なんていう化粧レベルでは済まない、整形手術まで行ってしまう。
もしかしたら、クローン培養して臓器交換までしてしまうかもしれない。
DNAレベルでお色直しをするのがエキセントリック・オペラの音楽である。
エキセントリックオペラを聞いていると、クラッシックのポップ・ロック化なんてのただのお遊戯に見えてしまう。

彼女達が行なっていた作業は、いわゆる長い年月の波に磨かれブラッシュアップされ、人工と自然が絶妙な風合いとなった完成度の高い枯れた音楽であるクラッシック音楽の魅力に現代的な意味性を加え新たに再生、再構築するという作業である。
例えていうならば、パルテノン神殿を現代の技術によって彩色や装飾を元のものへと再生するという作業が、今までのクラッシック・クロスオーバーのアーティストの作業であるとするならば、彼女らはそれだけにとどまらず、意匠から当時の時代精神を緻密に読み取り、そこに現代性を掛け合わせ、精神性や意味性を含めた「現代にとってのパルテノン神殿」を再生してしまうのである。
歴史深いクラッシックも生まれたその時点では現代の技術の粋を極めた人工的な音楽であったはずだ。それらの音楽を本当の意味で再構築するというのなら、であるからこそ、今の技術の先端でもって再解釈すべきである。という思想を私は彼女達から感じる。

と、理屈をこねるよりも、彼女達のポートレイトを見てみれば一目でよくわかる。
鳥の巣を頭に載せた左が相良奈美である。奇妙な人形の右が書上奈朋子である。

  

この二人がエキセントリックオペラである。

そう、彼女達、人間ではない。
彼女達のヴィジュアルはあたかも人の手によって作られたアンドロイドのようなそれ、なのである。
(実際、コンサートなどの生の姿もかなり人間離れしていた。機械仕掛けのような奇妙なダンスが印象的であった)

彼女達はあくまで人工的な美を追求する。彼女達が表現するのは、その果てあるに、人工美を超えた自然的な人工美、アンナチュラルの果てにあるシュールナチュラルな世界なのである。
その世界は、過去と未来が、科学と宗教が、人工と自然が、現在というステアで見事にミクスチャーされている。
であるからこそ、彼女達の音楽は「新時代のクラッシック」であり、ひいては「新世代の美」であり「新世代の秩序」なのである。と断言しよう。

ちなみに私が好きな二人のポートレイトはこれ。


近未来の鳥篭の歌姫である。
冷たく光る白い部屋のむこう、指を指す斜め上の彼方に見えるものは一体なんなのだろうか。
彼女達を象徴的に表し、そして詩的であって美しい。

表現としてまだまだやれる余地もあった、可能性もあった。私はそう思う。
活動再開とならないものかというのが偽らざる私の今の気持ちである。



―――――各アルバムの紹介―――――


cover
  The eccentric Opera
  (1996.08.21/ESCB-1779/Epic ソニー)

1.Caro mio ben 2.Carmen[「カルメン」よりハバネラ「恋は火の鳥」] 3.I Wonder 4.Madam Butterfly [「蝶々夫人」より「ある晴れた日に」] 5.Amalilli 6.帰れソレントへ 7.夜の女王 [「魔笛」より夜の女王のアリア「復讐の心は地獄のように燃え」]   8.Oh! mio babbino caro [「ジャンニ=スキッキ」より「私のいとしいお父さん」]  9.Hallelujah 10.Ave Maria


ファ―ストは上記の通り斉藤恒芳プロデュース。ベルファーレ的な、かなりわかりやすい90年代後半テクノアレンジとなっている。こうした通俗さは斉藤氏のディレクションなのだろうか。以後、全く見うけることはない。
クラッシックの名曲だってアレンジ次第でこんなにおしゃれなテクノビートと融合するのですよ的な、つまりは「タモリは音楽は世界だ」「たけしの誰でもピカソ」的な音であって、この安易さは私はあまり好きではない。
また、メジャーデビューするにあたって、川島豊という男性ボーカルをわざわざ入れたようだが、この加入は蛇足であったようだ。事務所的な都合だったのだろうか。彼はこの1枚だけの参加でこのユニットから去る。
アレンジもテクノ王道であれば、取り上げた楽曲も「カロ・ミオ・ベン」、「カルメン」、「蝶々夫人」「帰れソレントへ」「魔笛」の「夜の女王のアリア」、ヘンデルの「ハレルヤ」、シューベルトの「アベ・マリア」と、これまた誰もが知っている世界。
でもって、ジャケットのコスチュームがボンテージとこれまたベタすぎる。
彼女らのアルバムの中でもっとも私が聞くことのないアルバムがこれである。
が、M-3、M-4などは以後の世界に通じる部分が多いので好きだ。M-1の疾走感も別物として聞けば嫌いではない。M-2、M-9はさすがに今の耳で聞くと下品に聞こえるかなぁ。



cover
  Hymne
  (1997.09.21/ESCB-1834/Epic ソニー)

1. Serenade[セレナーデ] 2.La Pioggia [雨] 3.L'amour est Bleu [恋は水色] 4.Song my mother taught me [わが母教え給いし歌] 5.Irresiblement [あなたのとりこ] 6.Gunossienne [グノシェンヌ] 7.Ani Holem al Naomi [ナオミの夢] 8.Black is the Colour 9.All-over Love [辺り一面の愛] 


アマチュア時代と同じに二人に戻って再始動。そしていきなり傑作が生まれる。本領発揮といったところだ。
全てがすばらしい。文句のつけようがない。優雅さと圧倒的なパワーを兼ね備えたエキセントリックオペラの真骨頂。
このアルバムからもう既に「オペラ」「クラッシック」といった縛りがなくなる。
ただの「現代版、テクノ版オペラ」でなく―――過去の様々な音源、自らのオリジナルなどから「新時代のクラシック」を築きあげる―――、という彼女達の独自のスタイルへ突き進むことになる。

日本でも大ヒットしたヘドバとダビデの「ナオミの夢」をはじめ、ジリオラ・チンクエッティの「La pioggia」(最近トヨタのCFソングにも使われたので覚えている人も多いはず)、ヴィッキーのヒット曲で、ポール・モーリアオーケストラや森山良子もカバーした(というかそっちの方が日本では有名!?)「恋は水色」、こちらもリバイバルで聴き覚えのある方も多いであろうシルヴィー・バルタンの「あなたのとりこ」など、 どこかで聞いたことある楽曲が今まで聞いたことがないほど斬新に装いを変えて耳に届く。
(しかし、このアルバム後、リバイバルで取り上げられた楽曲が多いなぁ、ま、このアルバムの影響では全くないんでしょうけどね)

それにしても驚くのが、ものすごいコラージュである。
といって音のことだけではない。
まず冒頭の「セレナーデ」。いきなり、チャイコフスキーの弦楽セレナーデにボードレールの詩をを嵌め込むという荒業を披露。チャイコフスキー+ボードレールという夢のコラボをでっち上げてしまっている。
そして「グノシェンヌ」。サティのグノシェンヌ1番の曲に、どこから持ってきたのかマルツェルス・シッファーという者(この者がいかなる者か私は知らない。ドイツ語だからドイツ人だろうぐらいしか)の「だましの世界」という文章からの一節をそのまま嵌めこんでいる。
そしてアメリカのトラディショナルの「Black is the Colour」。これなど曲中間部に全く違う曲の詞を嵌めこんでしまっている。嵌めこみ部分の歌詞はパーセルの歌曲「もし音楽が恋の糧なら」のいただき。
ラスト「辺り一面の愛」など書上自身の曲になんと三つの詞をつぎはぎしたモノなのである。
こんな無茶なつぎはぎをしていながら、これで聞いて違和感が全くない。むしろそのために作られていたかのような印象を受ける。
こうしたアイデアがどうして生まれるのか、凡人私には全くわからない。

M-2、3、6、7、8の強烈な相良奈美のボーカルに私は試聴でまずイカレた。
聴きこむと、今度はM-1、4、5、9の書上の繊細なアレンジに陶酔するようになった。
どっちにしてもこんないいお皿滅多に出会えるもんじゃありませんぜ、お客さん。



cover
  Noel
  (1997.11.21/POCH-1854/Epic ソニー) 

1.The First Noel 2.Sonatine [ソナチネ ニ楽章] 3.O Holy night 4.Salve Regina 5.Boys chorus from "TURANDOT" 6.Gloria [あら野の果てに] 7.Kyrie 



矢継ぎ早に出されたクリスマスに向けてのミニ・アルバム。
オケは生音重視、ボーカルも複雑怪奇な多重録音を薄めにして、癒し指数をあげてみました、といったところなのだろうか。
アレンジも前作にあったゴテゴテの装飾性を排除してシックな装いにして、相良のボーカルも突き抜けるパワーは今回は鳴りをひそめ、いかにも芸大声楽科出身といった品の良さで攻めている。
彼女らの重さ、濃さが好きなコアファンには物足りなく、そうでないライトユーザーには入りやすいアルバムだろう。
コアな私はなんといっても重―――いM-4、M-7が好き。
クリスマスを敬虔に過ごしたいあなたへの音の贈りもの。
良い小作品集だ。



cover
  Paradiso
  (1998.21/ESCB-1927/Epic ソニー)

1.Bolero [ボレロ] 2.Cham Chama Gaya [チャム・チャマ・ガマ] 3.Ponta De Areia 〜Apenas um apenas voce (Only one only you) 4.Amore Di Cielo [天上の愛] 5.Sanctus 6.Attention Please  7.Fuge g moll [愛のフーガ] 8.Faust [ファウスト] 9.Die Fruhlingsfeier [春の祝福] 10.La Grotte [洞窟] 11.The Falling Moon 12.La Chanson D'Eve [イヴの唄] 


でたっっ。大傑作。私的20世紀最高のアルバム。
M-1はテレビ東京系ドラマ「食卓より愛をこめて」主題歌。M-7はテレビ東京系アニメ「時空転抄ナスカ」主題歌。M-11はテレビ東京系「芸術に恋して」テーマ曲。(ってテレ東ばっかやん)
悪いが、このアルバムに関してはいまだに冷静に語ることが出来ない。
とにかく聞いていただきたいとしか。

このアルバムの特徴は今まで作品の底流に流れていたダークな部分が前面に出てきたところであろうか。
M-4、5、8、9など悪魔的な表現に私には聞こえる。不吉で、禍禍しい。
また、書上奈朋子の全編自作による楽曲が俄然増えたのもポイント。半数の楽曲が書上の完全オリジナル楽曲。
より一層「エキセントリック・オペラ」というユニットの求める世界観というのが明確になった、と、リリース当時私は感じた。
まさしく「更に進化した女神の音楽」(盤のコピーより)である。

まずは圧倒的なパワーの「ボレロ」ではじまる。同じフレーズを重ねつつ、潮が満ちていくように、音が広がっていくのが原曲の魅力であるのだが、彼女達にかかるとこの曲、いきなりフルパワーで攻めてくるのである。
圧倒的な相良の多重ボーカルの音波攻撃でやられる。
詞もやる気のオーラに満ち満ちている。二人が一緒にいればこの世はパラダイス、嵐は止み、海は割れ、道が生まれるのだそうだ。すごい。
「宇宙が広いなんていったって、私にはあなたのテレパシーが届いている。そう、どこにいたってお見通し。いつだって一緒に笑って、寝て、目覚めている」
この信念の強さは一体なんなんだ。でもって最後は「みんな、宇宙の果てまでついてらっしゃい」と聴く者を煽る。圧倒的な、射るような「光」の世界の歌である。
「Cham Chama Gaya」はヒンディー語(北インドの言葉)での歌唱というのだから驚く。楽曲制作のために大使館巡りをすると二人は言っていたが、そんなユニット世界で探してもエキセントリック・オペラくらいであろう。

それにしてもM-3からM-5の流れは神懸っている。郷愁→予兆→破滅の三段論法だ。
「Ponta De Areia」。ブラジルのミルトン・ナシメントの曲である。アース、ウインドアンドファイヤーやTHE BOOMなども歌っている佳曲。
「ここは砂の岬、ゴールドラッシュでかつて栄えた街、今は人影もない。寂びた鉄路。からっぽの広場にこだまする嘆き。切り立った岬に漠と広がる大洋。全てが夢の跡」
テーマは「郷愁」である。この曲は今でも聞くと涙を流さずに入られない。茫漠と広がる大空と海原、静かに死に絶えて滅んでゆく街。全てが遠い。今はただ、悲しみのこの海に漂うだけ。
この曲も中間部に全くのオリジナルを嵌め込むという奇跡的なコラージュを行ない、原曲以上の作品へと昇華している。
「Amore Di Cielo」。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲である。テンポを一気に落とし、そこにギリシャ神話の詞(「オルフェオ」「翼を持つ愛の神を」などからのいただき)を嵌めこみ、得体のしれない不安の卵が少しずつ孵化していくような不気味で耽美的な曲に作り変えてしまっている。
そして「Sanctus」。これはこの世の終焉の歌と私の耳には響く。
「Sanctus=聖なるかな」という神への賛歌、詞のテーマは輪廻転生と神への感謝である。
「わたしたちはこの大地のベッドで幾度の眠りを繰り返したことか。恍惚の中、目覚めのたびに姿を変えながら。未来は永遠に続く。だからこそ透明で汚れなくありたい。次の目覚め(進化)の時、美しく幸福であるために」
が、音はどこまでも荘重で悲劇的。美しく偉大ななにかがスローモーションでバラバラと崩れ落ちていくようなイメージが広がる。
現代のソドムとゴモラ、贖罪、破滅、自らの繁栄のために自らを破滅へと至らしめた愚かな民への哀切、といった言葉が私の脳裏に浮かんでは消える。
息苦しい。美しすぎて、今、この瞬間に、死にたくなる。張りつめた、悲しい美しさだ。

極限まで緊張が高められ、もうこれ以上聞いていたら死んでしまうと思ったところで次曲でいきなり段落、「Attention Please!!」の一声で足元が掬われる。
この曲、名言/ことわざで一曲作るというこの根性がまず凄い。しかもそれらを無作為に並べて歌っているに見えて、さりげなく意味が繋がっている。
天才の遊びごころを感じる面白い曲だ。
「愛のフーガ」はバッハの「小フーガト短調」である。カッコいいぞ。
まるで孫悟空が自らの毛を抜いて息を吹きかけた時のように、相良奈美の声が分裂し、あたりに散らばっていく。
ここからM-9までがひとつの流れに私は感じる。M-8、9はドイツ語に載せて歌われ、ファシズムの予兆のような印象を私は受ける。
「Faust」。だから、どうやったらゲーテのファウストの一節を歌詞に使おうという考えがでてくるんだ。わたしにはわからないよ。
さらに重厚でゴシックな「春の祝福」へと続く。これはグリーグのピアノ協奏曲である。
これは、なんなんだろうな、時代の胎動というか、ものすごい質量の重いものがこちらに向かって行進してくるというか、そんな印象を受ける。
曲ラストの相良の声がものすごい。曲中は闇の中といった感じなのだが、ラストで圧倒的な量の光が解き放たれる。さながら岩戸篭りしたアマテラスの岩戸開きの瞬間のよう。

M-10〜12は癒しの世界へ。
「洞窟」は引きこもり系癒し。暗くじめじめして仄かに暖かい。洞窟の奥には癒しの泉があり、そこには薄緑色の温かな水が溜まっている。引きこもりが胎内回帰願望まで行き着いたという印象を受ける。
「The Falling moon」は涙モノの恋のバラードで癒し。
いかにもフレンチチックなこの曲がオリジナルだというんだもんなあ。ホント驚き。彼女達の歌は一聴して元ネタがあるだろうなと感じる曲は大抵完全オリジナルで、こんな作品今までにあったかよ、と思う曲は素材があったりする。
詞はちょっと「宮沢賢治」入ってますよね。感じで、ちょいと似ていると見えた。
星の軌道がそれるように二人は離れていく。例え手を伸ばしたとしても。
「イブの歌」はエルガーの「威風堂々」から。
なんで「威風堂々」が、フェミニンなクリスマス系ラブラブソングになっちゃうの―――!?といくら理解不能でも、だってなっちゃってるんだもん。その事実を受け止めるしかない。
綿毛のように柔らかい歌でこのアルバムは終わる。

とにかくこの盤は、ちょっと凄い。是非一聴を。


cover
  ヨロコビ
  (2001.12.05/CJTO-8012/TOITOITOI)

1.よろこびのうた [ベートーベン交響曲第9番ニ短調「喜びの歌」] 2.チャイコン [チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」] 3.パバーヌ [ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」]  4.運命 [ベートーベン交響曲第5番「運命」] 5.あなたの喜びはなに?[I will give my love an apple] 6.ジュピター [ホルスト惑星より「木星」] 7.サリーガーデン [アイルランド民謡より] 8.パバーヌ アカペラバージョン


3年の年月を経て生まれた今ところラストアルバム(涙)。
このアルバムはインディーズの自主レーベルTOITOITOIから発売。
ファーストと同じくメジャーなクラシックが題材となっているものが多い。
音の感触は2nd「Hymne」のテイストに近く、取り上げる楽曲は1st「The eccentric Opera」に近い感じかな。
ベートーベンの第9に運命、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番、ホルストのジュピター、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ、サリーガーデン、タイトルでわからなくてもイントロで「あぁアレだ」とわかるものばかり。

M-8はその後書上奈朋子がプロデュースすることになる「アンサンブル・プラネタ」を想起させるストイックなア・カペラである。 (が、わたしはアンサンブルプラネタよりもこの相良奈美の多重録音のアカペラの方がすき。)

『Hymne』『Paradiso』の頃と比べると明かに作品のテンションが違う。
この3年の間に二人に何があったのか知らないが、「もう、このユニットはいいでしょ」といった匂いがそこかしこに感じる。
以前は緊密に結ばれていた糸が今は解けている、といった感じ。
リラックスした雰囲気で、間口の広いアルバムであるが、その分以前のような圧倒的なパワーは感じられない。

とはいえ、M-3、6、7といったあたりはワンアンドオンリーの世界。
平原綾香の「Jupiter」が好きというのなら、この「Jupiter」はどうだ、と私は聞かせたい。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」の詞が切ない。果たすことの出来ぬ輪廻の恋の歌である。
「白い波をすりぬけ、深い森をくぐりぬけ、空をまたぎ、星達と戯れ、時の橋を渡り、船は静かに滑りゆく。止まぬ期待に胸を膨らませながら、旅は続く。死と誕生を何度繰り返しても忘れえぬ記憶を辿って。風よ月よ。彼への道を照らしておくれ」。
訳詞を読みながら聞きたい感じ。



―――――他の参加アルバム―――――


■ 『弟切草』サウンドコラージュ (2001.01.24/EWCD-85006/アイネットワーク)

奥菜恵主演の映画版『弟切草』のサウンドトラック。
音楽の一部を書上奈朋子が担当している。―――が、ジャケットに各楽曲ごとの担当が載っていないのでよくわからない。調べたところM-2.3.6.7.8は彼女の担当らしい。
さらにその中に相良奈美がボーカルを担当したM-7「She is like a swallow」はエキセントリックオペラ名義ではないが、二人の作品であるので「準エキセントリックオペラ」作品として見ていいだろう。
陰影深いピアノの音をバックに歌われるカナディアンフォークである。

■ 『Duets』葉加瀬太郎 (1999.10.21/ESCB-2050/Epicソニー)

葉加瀬太郎の様々な女性アーティストとのコラボアルバム『Duets』。
M-4の「Pavane」(ガブリエル・フォーレ作曲のもの。『ヨロコビ』収録の「Pavane」とは違う)がエキセントリックオペラとのコラボである。
「音源を聞いているだけでは彼女達の音楽がどうやって作られているのか想像もつかなかったので、一度レコーデイング風景を見てみたかった」ということで葉加瀬が起用を決めたのだとか。
この曲はエキセントリックオペラそのものといっていいでしょう。メインが相良と書上で葉加瀬のバイオリンは完全に脇に回っています。
作品自体はエキセントリック・オペラとしてはオーソドックスな出来。

■ 『We Love Mickey』 (1998.11.06/PCCD-00244/ポニーキャニオン)

ミッキーマウス生誕70周年記念アルバム。
藤井フミヤや原田知世、浅倉大介、THE ALFEEなどの有名アーティストとともにエキセントリックオペラも参加。
M-9、「エレクトリカル・パレード」を担当している。
中国語のようなピッチの早い奇妙な造語で可愛らしく歌っている。
「エレクトリカルパレード」というより「海につきすすむレミングの群れ」といった印象。
チャンキーでラリパッパで悪酔いの心地よさというか、そんな感じ。

■ 『CHROMOLITHE』 (2001./CJKN-8011/カノンレーベル)

神戸の2001年のイベント『クロモリット――光の絵画――』において会場で流れた楽曲をコンピしたアルバム。
エキセントリックオペラはM-1「トッカータとフーガ」、M-5「Jupiter」、M-9「こんぺいとうの踊り」で参加。
「トッカータとフーガ」はアレです。バッハの。そう。「ちゃらりーん、鼻から牛にゅ」ゲホガホゲ。
金属的に鋭角的に相良の声が響いてきます。
「こんぺいとうの踊り」はチャイコフスキーの「くるみ割り人形」から。
可愛いんだけれど、ちょっと不気味なテイストが残るのがエキセントリック・オペラ流ですね。

■ 『Sketch of Nazca』 (1998.04.01/ESCB-1872/Epicソニー)

「時空転抄ナスカ」のイメージアルバム。斉藤恒芳プロデュース。
主題歌「愛のフーガ」(M-4)はエキセントリック・オペラ名義。
エンディングテーマは「コンドルは飛んでいく」(M-1)は斉藤恒芳+葉加瀬太郎+相良奈美。この曲はシングル「愛のフーガ」のカップリングでもあった。
書上の参加はないが「亜エキセントリック・オペラ」楽曲といっていいだろう。
またアニメには使用されなかった「Faust」(M-7)も収録。
その他の参加者は田中健、亀淵友香&voice of japan、天野清継など。
いわゆる学芸モノとしては出色の出来のアルバム。個人的には『マージナル イメージアルバム』(担当は細野晴臣+コシミハル+福沢モロ)と双璧のクオリテイー。
見ようによっては「クライスラー&カンパニー」の企画アルバムとも見える。

■ 『Sound of Nazca』 (1998.06.20/ESCB-1892/Epicソニー)

「時空転抄ナスカ」のサウンドトラック。斉藤恒芳プロデュース。
M-1.30の主題歌、エンデイングテーマはテレビサイズバージョン。
隠しトラックM-31に「愛のフーガ」日本語バージョンの1番だけが収録されている。作詞は苦楽健人。
エキセントリック・オペラファン的には『Sketch of Nazca』を持っておけば充分。そちらの方が完成度高い。


2004.04.11


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