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中森明菜 『CRIMSON』

ひとつのターニングポイント

(1986.12.24/ワーナー・パイオニア/32XL-190)

1. MIND GAME 2. 駅 3. 約束 4. ピンク・シャンパン 5. OH!NO,OH!YES! 6. エキゾティカ 7. モザイクの城 8. JAELOUS CANDLE 9. 赤のエナメル 10. ミック・ジャガーに微笑みを


簡単にいえば、「冬」で「NY」で「不倫」で「大人」のアルバム。
1曲目「MIND GAME」冒頭でもうそのすべてを説明している。
車のエンジン音、クラクション、などなどの街角の雑踏のSEからそのままイントロへ流れて、ド頭の歌詞がこう。
白い粉雪 舞い散る 窓の映るNEW YORK
そっとタイプの手を止め ぼんやりとため息
まるで恋のシナリオ 先が見えない
(作詞 許瑛子/作曲 小林明子)

ね、そのまんまでしょ。
粉雪降る冬のニューヨークで、女はビルの一室でタイプを打っている――仕事を持つ大人の女性だ。 で、そんな彼女がふと仕事の合間に物思いにふけるわけだ。その内容が恋人との恋の駆け引きの様々だったり、と。
もう、この部分でこのアルバムのコンセプトすべてを説明しているといってもいいほどなんでないかな。 で、こっから先、10篇のそんな都会での大人で不倫な恋模様が具体的に描かれるわけですよ。

このアルバムの直前のシングルが「Fin」――ボサノバチックなこの曲とそれにあわせた衣装を明菜は「ニューヨークのダウンタウンのイメージ」と語っていたわけで、 その情報を知っているリスナーは、この冒頭で「あ、あの『Fin』のソフト帽にロングコートの衣装の明菜が、冬のニューヨークを闊歩しているってイメージなんだな」とすぐ世界観に入っていけるわけですよ(――ちなみにイメージにあわせてジャケット写真はニューヨークで撮影)。
実に巧いやり口だなぁ、と素直に感心する。 前段階に「Fin」があって、アルバム1曲目が「MIND GAME」――この効果を語らずにこのアルバムは語れないんじゃないかな、と思う。



でだ。「不倫」で「大人」ってのはどういう狙いでか?つーと、これはズバリ小林明子の「恋におちて」なんじゃないかなと思う。 「恋におちて」のカーペンターズサウンド+不倫テーマという世界。アレを明菜でやってみよう、ってことだったんじゃないかなぁ。
カーペンターズは小学生時代から明菜のフェイバリットアーティストだし、不倫も20歳を越えて大人の女性を演出するに好テーマ。 カーペンターズで不倫の「恋に落ちて」がヒットした時、これだと明菜とスタッフは思ったんでないかなぁ。 なんてったって小林明子は後に本家リチャード・カーペンターのプロデュースでアルバム作っちゃったほどだから。

ってわけで、この時点で小林明子は決定。で、他に日本のカレン・カーペーンターというべき人はいないか、ってところで白羽の矢が立ったのが竹内まりやでないのかなぁ。 竹内もカレン張りのボーカルを聴かせる、かなりカーペンターズ入ったアーティストだし、それを明菜もよく知っていたんじゃないかな。 明菜は「スター誕生」で山口百恵の「夢先案内人」とともに竹内まりやの「セプテンバー」を歌って合格したわけだし、 この時期のコンサートでも「アンフィシアターの夜」なんてマイナーな竹内の曲をコンサートの〆めで歌っていたりもするし、昔から竹内まりやの曲は結構明菜聴いていて、その素質を知っていたんじゃないかな、と。

てわけで、小林明子と竹内まりやが半分ずつ作曲担当で、都会で不倫で、そこに明菜のキャラにあったアンニュイだったりセクシーだったり、さらに発売時期を考慮してちょっと冬っぽい感じもいれつつ、 というこのアルバムが出来たんじゃないかなぁ、とわたしは憶測する。
実際、楽曲はミディアム・スロー調のエバーグリーンなポップスで占められていて、それこそカーペンターズ的な(プラス、バカラックとかギルバートオサリバンとかあのへんの匂いもする、あ、でもギルバートオサリバンは来生たかお作品をあれだけ攻略している明菜ならば全然ありだな、って蛇足だ)ああいう世界を下敷きに明菜的に再構築した80年代歌謡ポップスって感じ。 この時期の明菜の特徴の歌謡ロックだったりエスニックだったりってのはこのアルバムに関しては影も形ありません。 ――あ、ラスト「ミックジャガーに微笑みを」だけはロックだね、タイトルだけに。



都会の女で不倫でっていうこのアルバム『CRIMSON』は、 小林明子→カーぺンターズ→竹内まりやって流れで、竹内にも依頼がいったのでは、とわたしはさっき推測したけれども、 そこで竹内まりやに依頼が来たのは竹内自身にとっても一つのターニングポイントになったんじゃないかなぁと私は思ったりもする。

実際このアルバムから「駅」「OH NO, OH YES」をセルフカバーした87年8月発売のアルバム「リクエスト」 は3年かかってミリオンセラーにという竹内まりやの名実ともに出世盤になったわけだけれども、このアルバムで不倫テーマの楽曲というのは 明菜のために作られたこの2曲のみ。それ以外は英語詞曲だったり、あるいは独身時代に培ったカレッジポップスの延長で作ったアイドルへの提供曲――「色・ホワイトブレンド」や「けんかをやめて」「元気をだして」。 それが、この明菜への提供曲で初めて真っ向から不倫テーマに出てくるわけですよ。不倫っつーか、 今までの歌の世界観が大学生あたりだったのがOLに年齢をあげて大人の色恋の世界に、という。

その後の竹内まりやはもちろんみなさんご存知の通り。「シングル・アゲイン」「告白」と不倫路線でシングルヒットを連続で飛ばし、それにつられるように『リクエスト』はロングセラーを続け、100万枚を突破する。 さらに不倫路線を推し進め、アルバム『Quiet Life』『Impressions』のビッグセールスに到り、ここでユーミン・中島みゆきと肩を並べる女流シンガーソングライターの頂点に彼女はのしあがる。

つまりゃ、竹内まりやの大ブレイクのきっかけは、ここでの中森明菜への提供だったとわたしは思うんだよなぁ(――もちろんそれ以前も一定のセールスを保ってはいたけれどもね。とはいえ『リクエスト』以前はそこまでのビッグネームではなかったのは事実だし)。 ともあれ、あの不倫路線が出てこなかったら、絶対F1層のハートをがっちりキャッチできなかったとわたしは思う。 竹内の不倫路線はそれくらいわかりやすいアイコンだった、と。
そういった意味では、山下・竹内夫妻は明菜とそのスタッフに足向いて寝られないわけですよ。 「あのアイドルの歌唱には納得いかなかった」とかいっている場合ではないわけですよ。 ――ってまぁ、そういいたくなるのもちょっとはわかるんだけれどもね。



このアルバム、フェミニンな雰囲気を出そうとしたのか、あるいは前アルバム『不思議』を引きずっているのか、徹底して、声を出さないで歌っているのね。 限りなくピアニシモで抑えて抑えて歌っている。
前作『不思議』は、明菜自身の提案で、明菜のボーカル自体はフルスロットルで歌っているところを、あえて録音レベルを思いっきり下げて、ボーカルはリバーブ音だけを録ったというような作品に仕立て上げてしまったけれども、 この作品は、明菜のほうで徹底して声を小さくだして、ボーカルを聞きづらぁくしている。録音レンジ自体は多分通常に近いのだろうけれどもね。もうね、蚊の鳴くような声で歌っているわけですよ。

これに"ええっっ"ていうのはちょっとある。山下達郎ではないけれども、ちょっとこれって……、と思う人もいるだろうなぁ、と思う。
もちろん、「MIND GAME」、「モザイクの城」、「赤のエナメル」なんてあたりはそれが限りなく成功の方向に行っているけれども、「駅」になると、もちっとおっきな声で歌ってもいいんじゃないかな、と。 特にこの時期は"おわあああああぁぁ"って歌ってこそ明菜、というパブリックイメージがあったしね。

ま、確かにこれ以降『歌姫』シリーズをはじめ、明菜は小さく抑えての歌唱を積極的に取り入れていくようになるわけで、このアルバムはそのピアニシモ歌唱路線のはじまりといえなくもないけれども、 はじまりだけあって、まだあんまり板についていないんだよねぇ。 なんかぼそぼそ歌っているだけじゃん、といわれて反論がなかなかしにくい、という。
以後はピアニシモでもむんむんにセクシーだったり、切々と悲しかったり、やたらめったら緊張感が漂っていたり、という味がしっかり出ているけれども、それに比べるとこのアルバムのはやっぱり薄い。 89年の『CRUISE』ではやくもその辺のピアニシモ歌唱に関する危なげっていうのはなくなっていくわけで、 そういった意味では、ボーカルに関してはちょっと痛し痒しかな。

『不思議』と同じく「もっと普通に歌っていたら、もっと売れたんじゃないかなぁ」と余計なお世話でいいたくなる。 まぁ、後を思えば必要なトライアルであったと思うし、それにこの『CRIMSON』自体も売れたんだけれどもね。60万枚で87年年間第3位だし。

ともあれ、中森明菜にとっても、竹内まりやにとってもこのアルバムはひとつのターニングポイントのアルバムになったんじゃないかなぁ、とわたしは思う。
「大傑作」と云いきるには色々と足りない部分がちらほらあるけれども、重要なアルバム。悪くはないアルバムであるってことは、確か。



最後にあともうひとつ。鑑賞の手引きとして1番面白いのが、ラストの「ミックジャガーに微笑みを」。
これ芝居仕立てになっていて、冒頭、ステレオから流れる前の曲「赤のエナメル」にあわせて鼻歌を歌いながらタイプライターを打つ明菜ってところから始まるのですよ。 で、「赤のエナメル」終わって「ミックジャガーに微笑みを」。タイプの手を止めて、今度はお茶かなんか啜りつつ、ライターで煙草に火をつけ一服したりなんかしつつ、また鼻歌を歌って、というところでだんだんステレオの音が大きくなってきて、という。

つまり作品がメタフィクショナルな入れ子構造になっているわけですよ。そこには歌っている明菜と、それを聴いている明菜がいるわけ。 「MIND GAME」冒頭のタイプを打ちつつ物思いに更けていた明菜ってのが一気にジャンプしてここにきているんじゃないかな、と思う。 つまり2曲目「駅」から「赤のエナメル」までが作品内作品という感じになっていて、その間の数十分の間(――これはCDのプレイ時間とパラレルなんじゃないかな)でなにかあったのか、「MIND GAME」の明菜は今度は軽やかにタイプを打ちつつ、鼻歌なんか歌っちゃっている、という。

最後は、曲終わりとともに明菜は窓を開けると外の雑踏が流れこんできて、というところで終わり。
オープニング、雑多な都会の喧騒からズームアップするようにあるビルの一室へと視点が集約したのが、エンディングではビルの一室から都会の喧騒の向こうへ聞き手の視点が拡散していく。 ひとつのシークエンスがそこで終わって、またふりだしに戻る。って感じで、また「MIND GAME」から聞きたくなる。面白い作りだなぁ、と感心します。

2005.06.06
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