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Coccoが帰ってくる


忘れたフリをしていることがある。
Coccoが今年の5月、SINGER SONGERというバンドでついに戻ってくる。

Coccoをリアルで体験したファンとしては、正直、コメントしづらい。
Coccoは「God bless you」と呟いて、バレエスタイルのお辞儀をして、泣き笑いでカメラに向かってピースサインして、スタジオを飛び出した時に終わったのだ。Coccoという僕らの知っているひとりの歌手はあの時死んだのだ。 そう思っていた。
これからの彼女は、ひとりの沖縄の女性、真喜志智子でしかない、と。
その後のごみゼロ運動とそれに付随したビデオのリリース、絵本の製作とそのおまけCD、この段階まではなんとか了承できた。―――これはCoccoという名を使えども、あくまで真喜志智子の個人の活動。個人的営為の延長だ、と。
しかし、レコード会社からの完全なる新曲のリリース、となると、さすがにこれは容易に飲みこめない。 喉に刺さった魚の小骨のようになんとも塩梅が悪い。

振り返るに、Coccoという歌手は「生い立ちの不幸なひとりの少女のビルドゥングス・ロマン」を生きた歌手であったと思う。
残された4枚のアルバムとひと組のベスト盤はそのまま彼女の魂の歴史、彷徨とその果てに訪れた救済の記録といっていいと思う。
彼女はあらゆる感情を歌でたたきつけることによって少しずつ自己を解放する。自己解放せんとする彼女の歌を聞くことによってわたしたちも、内面に眠る不条理を少しずつ昇華していった。(――これを上手く引用して商業的に成功しているのが浜崎あゆみ、というのはいまさら語る必要もない事実だが)。

そして最後に訪れる大団円――彼女は今ある自分とこれまでの自分とに折り合いをつけ、自分を救って、そしてその先は――?
その先はもちろん何もない、だってそれが彼女の歌う意味だったのだから。なにも無理して、しかも相手に合わせて歌を作る必要もない。だって自分にとって歌とはただの生理現象、「うんこ」(――彼女は自分の歌のことをそう比喩していた)にすぎないんだから。たたきつける「うんこ」がでなくなったら、それまで。
気が済んだ彼女は生まれ故郷に帰るだけだ。
――まぁ、つまりファンであるわたしたちは金を出して彼女のリハビリに付き合っていたわけである。といったらいささか皮肉がきつすぎるか。
そして、真喜志智子に戻った彼女は故郷のためにと汚れた浜辺を掃除し、自分の子供ためにと絵本を書き―――。

しかし純然たる「新曲」となると、もうこの文脈では語れない。
ラストシングル「焼け野が原」のPVのラストシーン。沖縄の海へパタパタとかけていった彼女は一体なんだったのだ、ということになってしまう。

……まあ、色々と事情があって、それなりの紆余曲折があって、また歌うことになったのだろうとは思う。人の心ってのは、良くも悪くもうつろうものだし。

それまでのCoccoの世界、いわゆる「成長した虐待児の自己救済の物語」としてのCoccoでなく、新しいアプローチで彼女はCoccoの音楽を作ろうとしているかもしれないし (――というかむしろ、違っていなければ困ってしまう。まったく同じであったらそれこそなぜあの時引退したの、といいたくなってしまう)、それを見てみたいという気持ちも、もちろんある。
彼女はなにかと重いトラウマ系ソングの面ばかり語られがちだったけれど、英語詞の歌には「SING A SONG」「Drive you crazy」など結構からっとして風通しのいい良質のロックがちらほらあったし、再デビュー後はそういった路線を伸ばせばいいんじゃないかな、 なんて一方でわたしは思ったりもしている。

とまれ、鬼が出るか蛇が出るか。一方わくわく、一方戦々恐々でわたしは待っている。失望させてくれるなよ、なんて上から目線で思いながら。

―――新曲を聞いたら、またぐだぐだ考えそうなので、あらかじめ新曲解禁前にこれを記す。


2005.04.07
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