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Cocco 『ザンサイアン』

(06.06.21/ビクター/VIZL-185)

1.音速パンチ 2.暗黙情事 3.夏色 4.Beauty C 5.四月馬鹿 6.Swinging night 7.野火 8.唄い人 9.愛うらら 10.インディゴブルー 11.陽の照りながら雨の降る 12.Happy Ending


 パラダイムシフトしなくてはならない。
 なんども頭の中でこの言葉が渦まく。
 けれども、わたしは、まだ上手な答えが出せない。



 ひとつの物語の終わり。

 Coccoというひとりの不幸な少女の復讐の物語は、2000年、残酷なまでの華やかさをもって、幕を閉じた。
 あらゆるすべては昇華され、空の彼方へと、消えていった。
 わたしは、彼女の鮮やかな残像だけをまぶたの裏に焼き付けて、Coccoという物語の本を静かに閉じた。
 そして彼女は伝説になった。

 それから――しばらく。
 気がつくと、あんなに必要としていた彼女の音楽を、わたしは、聞くことがなくなっていた。

 詞の一行一行に意味を見出し、一秒ごとになにかを感じ取ろうとしていた彼女の歌を、わたしは耳にすることがなくなっていた。
 彼女の残した作品の素晴らしさはなにひとつ変わらない、しかし、 わたしにとって、彼女の音楽を聞く意味が、もはやなくなっていた。 聞かなくても、彼女の音楽は、すべてが血となり肉となり、すっかりわたしの息づいていたからだ。

 その怒りを私は知っている。
 その悲しみを私は知っている。
 その残酷さ、美しさを私は知っている――。


 わたしは、少しずつ変わっていた。
 いまのわたしは、かつての私ではなくなっていた。


 そしてわたしは、彼女の姿を、かつての自分の姿を懐かしむように、時折、思いを馳せるようになった。
 彼女は、この遠い空の向こう――沖縄の浜辺で穏やかに暮らしているだろう。
 それだけで、いい。
 それでいいんだ。



 ――Coccoが、ついに、本当に帰ってきた。
 わたしは、この閉じた本を、もう一度開かなくてはならない。
 しかし、わたしは、なぜだろう、その本が開けないでいる。

 彼女のアルバムの歌詞カード、いつも最後にさりげなくある「スペシャルサンクス」の言葉が、わたしは好きだった。
 今回のニューアルバムには、こうあった。

 「音楽の神様へ ジュゴンの見える丘で キスをこめて」

 そう、このアルバムは、音楽の神様に捧げられた、そういうアルバムなのだろう。
 自分を束の間愛しそして捨てた者たちへの呪詛や、不幸なおのれへの鎮魂、そういったアルバムではない。 なにかの復讐のための音楽ではなく、ただ、音楽のための、音楽。ただひたすら溢れ出る音楽の喜びを綴る。 音楽の神様に捧げる為の音楽。
 これが、歌手Coccoの第二章。新たなる1ページ。そういうことなのだろう。

 Coccoというひとりの女性の個人史のうつりかわり――。

 私がかつての場所にいないように、彼女もまたかつての場所には、いない。
 それは当然のことだ。
 不幸な少女の復讐の物語はもう、完結している。その幕は、もう開かない。
 わたしだって、もはや、かつての愛憎のドラマを彼女に求めていない。

 しかし、新作を聞くと思う。
 なぜそんな風に、シャウトするんだろう、なぜそんな風に、あざとい言葉を綴るのだろう、まるで昔みたいに、と。
 しかもそこにあるのは、かつて彼女の歌にあった、ぬきさしならぬ感情、では、ない。
 止むにもやまれず、あふれ出たものであれば、私は、黙って受け取るしかない。
 しかし、これは違う。
 形骸的――という言葉は、使いたくない、が、脳裏にちらつく。
 わたしは、このアルバムを、どう聞けばいいのか、どう接していいのか、その位置を測りかねている。



 物語が終わるのは、虚構の世界だけだ。
 現実は、どれだけ終止符を打っても、日々は終わらない。永遠に明日はやってくる。
 わが命が絶えようとも、命の連鎖は絶えることがない。残酷なまでにすべては続いていく。
 美しすぎた物語を、なんとなくフツーの物語に書き換えようとする彼女を、私は否定しない。 ただ、この感情をどうすればいいのだろう、と、わたしは途方にくれるばかりだ。


2006.07.01
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