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松田聖子 「Citron」

松本隆の描いた松田聖子の終幕

(88.05.11/CBSソニー/32DH-5040)

1.Blue 2.Marrakech 3.Every Little Hurt 4.You can't find me 5.抱いて… 6.We never get to it 7.続・赤いスイートピー 8.No.1(アルバム・ヴァージョン) 9.四月は風の旅人 10.林檎酒の日々


 88年作品。松本隆プロデュースのラストアルバム。 サウンドプロデュース、アレンジはデビッドフォスターに一任し、作曲の多くも彼が手がけている。 アイドル・松田聖子と作詞家・松本隆の行き着く果てが、このアルバムである、と私は思う。

 自由に生きることは孤独を背負うこと。
これが前作で松田聖子に与えたテーマのひとつだったわけだけれども、 それをさらにこのアルバムでは徹底している。
 いままでの自由(――という名のわがまま)の代償をこのアルバム一枚で全て贖おうというのか、 松本隆は、徹底して、松田聖子を孤独にさせ、 悔恨や諦念、焦燥、未練、愛憎といったマイナーな感情とむきあわせている。



 夜明け前の蒼ざめた部屋のなかでひとり「戻ってきて あなたなしで生きられないの」と消えた恋人を激しく求める「Blue」。
 硝子の迷宮のような夜のビル街を舞台に、深みに嵌った不倫の恋に身も心も疲れ果て「忘れさせて あなたを」と叫ぶ「You can't find me」。
 その不倫の果て妊娠を歌った「抱いて……」。
 ひとつの別れに、時を逆さに戻して出会った時にかえりたいと思う一方で、この道の向こうになにが待っているかわからないから、とひとり明日へのバスに乗って旅立つ「四月は風の旅人」。
 その最たるのが、「続・赤いスイートピー」だろう。 これは「赤いスイートピー」のふたりのその後を歌っている。 やさしい彼は、女らしくておとなしいほかの女性と結婚し、どこかで平凡で幸福な暮らしをし、 残された彼女は、かつての二人がよりそった駅のベンチにひとり佇む。
 「――もしもわがままをいわずに生きれば、運命は違ったの?」
 ありえもない「もしも」をふと思い描き、静かに悔い、 しかし、それが意味もない想念であることも、また、よく知っている――という、かつての若さや輝きを失い、しかしその分、失ったものの重み、生きることの悲しさを知っているひとりの成熟した女性を見事に松本隆は表現している。

 前作における「妖しいニュアンス」や「裏庭のガレージで抱きしめて」などの自立した女性の性の挑発路線は、今作にも用意してある。
 プールを舞台に、熱帯魚のような水着姿で「誰がNo.1なの」と挑発する「No.1」、  「女の子をよく知らないあなたにアラビアの魔法をかけてあげる」と誘う「マラケッシュ」がそれに相当するが、 このアルバムにおいては明らかにこれは脇である。



 長い人生には、苦杯を飲み干さなければならない時もある。 それを乗りこえること、表現者であれば、苦しみや憎しみを正面きって表現し、昇華しきってこそ、本物の表現者である。
 歌手として、表現者として、さらに飛躍するために、あえてこの世界を松本隆は松田聖子にぶつけたのだろう。 しかし、松田聖子はこれを拒否した。
 次作「Precious Moment」から松田聖子は松本隆の手を離れ、自作詞・セルフプロデュースへと突き進むようになる。 しかし、この時点で歌手・松田聖子の精神的成長は止まったといっていいだろう。

 いまだに松田聖子は負の感情を歌おうとしない。
 「あなたに逢いたくて」のごとく悲恋のバラードを歌っても、そこで表現されるのはあくまでナルシスティックな「甘い追想(スイートメモリーズ)」であって、絶望や悲嘆といった類では決してない。
 松田聖子にとって歌とは、砂糖菓子のように甘くてふわふわしていて、ただそれだけで、水をふくめばぐずぐずと崩れるような、そういうものなのだろう。 いうなれば、このアルバムが彼女にとってのこういった表現の「限界」であった。



 このアルバムは「林檎酒の日々」で締めくくられる。
林檎酒のグラスへ 黄金色に沈む陽
眩しかった季節の終わりだわ
 「林檎酒」――これは「ガラスの林檎」からのリンクではなかろうか。
 そして「眩しかった夏の季節」とは、松本隆が松田聖子の歌で描いた鮮やかな恋の季節であり、松田聖子が輝いていた季節――であろう。
 その眩しい季節を後に、家具に布をかけ、扉に鍵をかけて、松田聖子は、ひとり旅立つ。
 「別れを決めたのは、わたしのあやまち」
 わかっていながらも、ひとりで旅立つ。
 松本隆の描いた松田聖子の物語も、また、アイドルが輝いていた80年代も、ここで終わる。
 美しくも切ない、鮮やかな終幕である。


2005.03.03
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