「歌伝説 ちあきなおみの世界」視聴記
(05.11.6/NHK-BS2) | 1.喝采 2.紅とんぼ 3.四つのお願い 4.X+Y=LOVE 5.夜間飛行 6.かなしみ模様 7.矢切りの渡し 8.朝日のあたる家(朝日楼) 9.夜へ急ぐ人 10.粋な別れ 11.星影の小径 12.港が見える丘 13.帰れないんだよ 14.ねえあんた 15.霧笛 16.かもめの街 17.紅とんぼ 18.紅い花 19.黄昏のビギン 20.喝采 |
ちあきなおみはお化けみたいな歌手だな、と思う。 やる気があるのか、ないのか。どこか無気力で、だらしがなく、日々の暮らしに疲れている雰囲気があって、 歌を歌っていても、次の瞬間には、ふとマイクを離してどこかへ行ってしまいそうな、「厭きた」の一言残して消えてしまいそうな、 風が吹けばその場で霧散するような、そんな雰囲気がある。 そんなうら寂しく不思議な、季節はずれのお化けのようなのに――だからなのか、こちらがぼうっと彼女の歌を聞き流すように聴いていると、 彼女は時折くわっと大口を開けて、驚かす。見てはいけないもの、異界、彼岸、のような深遠たるものを彼女は歌の向こうに見せる。 それは地獄の釜の鍋の中のような、赤黒く、不気味なものだったり、薄煙のむこうにある三途の川のような、清澄で寂寥としたものだったりする。 こちらがその光景におののくと、次の瞬間に彼女は「あ、驚いた?」なんて、 いたずらっぽくからからと気さくに笑って見せる。その笑顔は「たんすにゴン」で見せた彼女である。 私の中でそれは、内田百閧フ怪談にでててくるお化けに重なる。 可笑しくって、ちょっと間抜けで、人間くさくって、恐ろしくて、寂しくって、悲しい。 ◆ ちあきなおみの演歌は最高だ、という人がいる。 ひばり亡き後、船村徹節を歌わせてちあきの右に出るものは他にいない。と。 また、ファドを歌うちあきなおみの歌の上手さに舌を巻いた、という人もいる。 さらに、ちあきなおみという歌手の本質は、ジャズやポップスにあるのではないか、といった人もいる。 ちあきなおみというと一般的には「喝采」の人ということなのだろうが(―――実際セールスを見ても大ヒットといえるものは「喝采」以外にない)、 彼女の歌に正面から触れたことがある人は、「喝采」の人、とはいわない。 彼女の見せる様々な一面のそれぞれ心酔し、そしてそれぞれに熱っぽい言葉を贈る。 彼女は、演歌歌手でもなく、ましてはポップスシンガーでもジャズシンガーでもない。 彼女は、何かひとつのジャンルにおさまるような歌手ではなかった。 演歌を歌えば演歌の土着性、土地神を呼び起こすようなことをあっけなくやってのけ、 ファドを歌えばファドの奥底に眠る原罪観をいともたやすく自分のものとし、 ジャズをうたえばスキャットの向こうに安酒片手におのが悲運にむせび泣くニグロの魂が宿る。 かように、そのジャンルの最上な部分を、彼女はいとも容易く再現する。彼女を何かひとつのジャンルに収めるということは不可能といえるかもしれない。 昔は、こういう歌手が日本には数多くいた。 演歌でもポップスでもない。 ひとつのジャンルにカテゴライズされることなく「うた」であれば何でも歌い、そして自分のものへと咀嚼していった歌手たち。 伏目がちに胸元にマイクを寄せ、祈るように歌う彼女たちの姿には、眼に見えぬなにかしらの霊性が宿っていた。 例えば、研ナオコ、高田みづえ、内藤やす子、テレサ・テンなどなど、古くは美空ひばりがそうであろう。 彼女らの歌には「歌謡曲」という言葉がどんぴしゃ、と嵌まる。 全ての音楽ジャンルを貪欲に吸収しながら、それでいてどこを聞いても日本的である、強靭な独自性と普遍性を併せ持った日本の誇る世界の「歌謡曲」。 その歌謡曲において、もっとも優秀な歌手のひとりが、ちあきなおみであった。 ◆ 05年11月6日、NHK-BS2で放送された90分番組「歌伝説 ちあきなおみの世界」はちあきなおみの歌手としての歴史を編年体形式で綴った良質な番組だった。 ちあきなおみって、こんなに素敵な歌手だったんだ。 今まで知らなかった彼女の魅力にはっと気づかされ、 知っている(――つもりだった)部分も、こんなにも素晴らしいものだったとは、とおもわず認識を新たにした。 番組後半は歌手として本格復帰した88年以降(――当時の彼女のレコード会社はテイチク)の映像がメインだったが、もう、これがありえないくらいに上手い。上手すぎる。 ちょっと常軌を逸した上手さだ。 「喝采」の大ヒット以降は、船村徹演歌(「酒場川」「矢切の渡し」)→中島みゆき・友川かずきなどNM・フォーク系(「ルージュ」「夜へ急ぐ人」)→結婚・コロムビア離脱・歌手休業→ビクターでのシャンソン・ジャズ・ファドのアルバム三部作(『それぞれのテーブル』『THREE HUNDREDS CLUB』『待夢(たいむ)』)、 と来たわけだが、この時期は低迷期のこれらの作業を全て血肉化して、総成している。圧巻。 「ねぇあんた」はちあき独特の歌の世界に憑依する演劇的な歌唱の真骨頂という感じで、圧倒的(この曲と「ルージュ」を聞くと、中島みゆきがどれほどちあきをリスペクトしているかがわかる)。 「港が見える丘」は、なつかしいこの曲に積もった埃がちあきのジャズ唱法によって綺麗に洗いながされ、新しい魅力を放っている。 「かもめの街」は粋がった女の孤独感がたまらない。また港から波頭の先に揺れるブイへの視線にはひばり的な側面も見える。 「紅とんぼ」はしみったれた声音に飲み屋街が見えてくるよう。緊張感のあるピアニシモで歌い、圧倒的な訴求力。泣き笑いの歌唱と表情も凄い。 ちあきの声の持つ圧倒的な呪縛力を味わうなら、軽く力を抜いて歌った「星影の小径」「黄昏のビギン」「紅い花」あたりが一番よくわかる。ふらっと歌っていて、それなのに奥底まで沁みる。 ちあきは圧倒的な歌唱力に任せてテイチク時代の88、89年は年に三枚もアルバムをリリース、 その内容も、飛鳥涼作曲作品があるポップス系を出したらと思ったら、次は全作船村徹書き下ろしのど演歌で攻めたり、さらにその次はカバー、と自由自在。 彼女の歌手としてのキャリアの最盛期はテイチク時代といってよいのではなかろうか。 ◆ かように、"ひばりの後にはちあきなおみがいる"とばかりの存在感を昭和末期に彼女は見せるわけだが、それはろうそくの炎が消える前の激しさに過ぎなかった。 平成四年、ちあきの夫君、郷^治氏の死去とともに、彼女は誰に告げるともなく静かに引退する。 78年の結婚を期に、10年近く、歌手としての活動が散発的だったり、 あるいは「風の大地の子守り唄」や「矢切の渡し」など、 大ヒットの機会を、その一歩手前で失い、 それを平気な顔で受け流していた彼女のことだから(――もちろんそこには業界内の様々な理由もあるのだろうが)、 もともと芸能界や、芸能界での成功というものには、さして思い入れや愛情がなかった人なのかもしれない。 ――「うた」までそうであったとは思わない。彼女の残した作品を聴く限り、それはないだろう。というか、そう信じたい。 二世を誓った最愛の夫の死とともに、心が萎れて、ふと歌をやめる。 それは、風にまぎれてふとどこかにいなくなってしまいそうな、ふわふわとして、たよりない、ちあきなおみらしい幕引きの仕方かな、とわたしは思う。 彼女の歌の歴史を通してみると、"こんなひとりの女がいて、そして歌っていたよ"という、それはただ一言、「生」としかいえない姿がある。 女という種に生まれたひとつのいのちの静かないとなみ――。 そして――。多くの優秀な歌謡曲の歌手がそうであったように、ちあきなおみというお化けみたいな歌手もまた、昭和の終わりに引きずられるように、ふらと旅立ったきり帰って来ず、 そして「歌謡曲」という大衆を巻き込むお化けもどこかへいなくなってしまった。 彼女の復活を望む声は大きいが、もう、とうに幕は下りている。役者は帰り、舞台はがらんどうだ。再びその幕があがることはないだろう。 |