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メイン・インデックス歌謡曲の砦>「ザ・ベストテン 〜蘇る!80's ポップスHITヒストリー〜」

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ザ・ベストテン

〜いま蘇る!80's ポップス黄金HITヒストリー〜

(角川書店/2004.12.20)



日記に載せるつもりだったので結構な長さのテキストになってしまったので、こちらに分けることにする。


角川書店の「ザ・テレビジョン」の別冊として「ザ・ベストテン 〜蘇る!80's ポップスHITヒストリー〜」という本が出たのはみなさんご存知でしょうか。こんにちは、遅れてきたベストテンマニアのまこりんです。
番組初の公式データ集ということで、78年の第1回から89年の最終回までの全ランキングデータと楽曲ごとのトピック。さらに番組スタッフ、黒柳徹子をはじめ明菜、聖子、トシ、ナンノなど番組出演者へのインタビューなどと盛りだくさんなつくり。ベッテンファンには嬉しい1冊。 結構細かいミスがあったりするのが年末特番あわせで急いで作ったのかなと思わせるけれども、充分な作り。番組終了15年後に公式ブックが出るという事に驚き、素直に感謝してしまう。

(―――気づいたミスで言えば明菜の写真で「I missed the "shock"」につかわれているのは「LIAR」の時のモノ。同じく、「禁区」→「トワイライト」、「トワイライト」→「1/2の神話」、「セカンド・ラブ」→「少女A」となっている。
また88.11.03の第3位、南野陽子の「秋からも、そばにいて」で「枯葉を敷き詰めたセットでエレガンントな歌唱シーンを見せてくれた」って紹介は嫌味か。この回は歌詞が飛んでボロボロになった有名な回じゃないっすか。
あと松本伊代の「ラブミーテンダー」を柏原芳恵とともにスポットライトに出演して以来初ランクイン、って代表曲の「センチメンタルジャーニー」はなかったことすか。 あと89年のスポットライトは抜けが多いような気が。それにP118に至っては字の一部が潰れている。
ただし西城秀樹の『番組オープニングのコンサートの映像は僕のライブのもの』発言(本当はピンクレディーのモノ)は秀樹のかんちがいっぷりがよく出ていて許しちゃう。秀樹はインタビューするといつも事実と微妙にずれた「俺ってすごかった」話ばっかで微笑ましい。このインタビューでは他にも「新しいことは大抵いつも沢田研二さんか僕がはじめた」とか言っているし。おいおい、あの頃のジュリーと自分を同列にするなよ。)


それにしてもこの本はスタッフや出演者の語る細かいエピソードが新鮮。

ここ数年毎年作られている年末のベストテンスペシャル。「ここが好きだったんですよね」と感慨深く呟いてリハーサルの時から後ろのソファに座って、立ちまわるスタッフの姿を眺める南野陽子。(彼女が年末のスペシャルに毎年呼ばれる理由がなんとなくわかる)
スタジオに来る歌手が山口百恵だけだった回。合間を見て自らアップルティーを淹れて百恵にさしだす黒柳徹子。それに「こういうのっていいですよね」と誰ともなくぽっと呟く山口百恵。
ミラーゲートの鏡の裏で背比べをする小泉今日子と浅香唯。岡田有希子の自殺後、名古屋での仕事の終わりに彼女の墓参りにいった荻野目洋子。演出ミスに「こんな恥ずかしい思いはしたことない」と放送中にもかかわらずスタジオに飛び出した近藤真彦とそれを必死に引きとめるスタッフ。「泣き虫なのはあなたのせいよ」と番組プロデューサーの胸を掴む松田聖子。 番組の演出で出演した東京ボンバーズ(ローラースケート、スケートボードなどのローラースポーツのパフォーマンス集団)を見て、「あれはどこの子?」とスタッフに尋ねたジャニー喜多川。 こんな変なセットでは歌いたくないとスタッフともめる沢田研二。
スタッフが出演依頼に赴くも「これから私はものすごいブレークするつもりだから、この曲(「守ってあげたい」)にこだわらずに待っててよ」と言い放った松任谷由実。(この強気で自信家なところが当時の彼女だなぁ)
サンプラザ中野の「本当にヤクザみたいな人がスタッフにいた『夜ヒット』に比べて『ザ・ベストテン』のスタッフは紳士的だった」という発言には「うわっ、いっちゃった」と思いましたが。


根が妄想大好きのやおい野郎の私は、こういう細かいエピソードから念写するように情況を幻視し、エピソードの前後を補完するのであった。

例えば、番組プロデューサーの山田修爾氏が「中森明菜さんは誰よりも「ザ・ベストテン」を愛していた人で番組をよく分析していた。僕よりも番組をわかっていた」などという話から、 そういえば黒柳徹子も『ザ・ベストテン評論家の明菜さん』といっていたよなぁ」とか、 よく出演者全員が歌手の後ろに集まって一緒に踊ったり寸劇したりという演出の時『こんな学芸会みてぇなことやってらんねぇよ』といわんばかりにスカした出演者達にあって明菜はいつも楽しげに参加していたよなぁ、とか、そういったエピソードを繋ぎ合わせ、 きっと『ザ・ベストテン』でも、明菜はあのぼそぼそとした声音で色々とスタッフ相手にこうした方がいいとかこういうのが面白いなどと、理屈っぽいこといって参加していたんだろうなあ。とその情景などを想像するわけですよ。
(ディープな明菜ファンには有名なことだけれど、明菜ってあの容姿で実は理屈っぽいだらだらおしゃべりが大好きなのよ。低い声音で淡々とそして延々と答えの出ない理屈をこね回すように語るという)

話が明菜のほうにずれたのでついでに言うと、番組プロデューサーが認めるだけあって中森明菜ってのは「ザ・ベストテン」という番組を1番よくわかっていた歌手なんだろうなぁ、とわたしも思う。
特に「DESIRE」以降のシングルなどは「ザ・ベストテン」があってこそヒットとして成立した部分というのが少なからずある。 「毎回毎回がスタッフとの真剣勝負で、ここでの成果が明日の売上に繋がると思っていた」というような明菜の発言に、 彼女が「ザ・ベストテン」の最多1位獲得歌手であるのは伊達じゃないなと思った。


それにしても山田修爾さんの語る「ザ・ベストテン』の企画のきっかけには感慨深いモノがある。
「テレビ局と事務所・レコード会社の関係が密接で歌番組にはいつも同じような歌手が出ていた。でも視聴者が見たい歌手というのは本当は違うんじゃないのかと思って、正当なランキングをとって本当に人気のある歌手の出る歌番組を作りたかった」って。
今のTBSを含めた各局の音楽班にはこんな気概はもうないように見える。コネクション・癒着、上等じゃないか、という姿勢に私には見える。
結局「ザ・ベストテン」ってのは「ランキング」という名のフェアネスへの幻想、テレビメディアに対する幻想、歌手・芸能界に対する幻想、それらがまだ有効であった時代の番組なんだなぁ、ということをしみじみと感じてしまった。
こうしたランキング形式の歌番組ってのは、二度と生まれないだろう。

とにかくこれで980円というのは、出色の出来。チャート推移を見るだけでも楽しい。愛蔵版としてで保存したい。ともあれ別冊ムックといういつまで書店にあるかなんてわからない代物、お早めにどうぞ。本屋で見かけたら是非ともサルベージしてあげてくださいな、とカドカワの犬になる私なのであった。

でも、なんで久米宏にインタビューしなかった(というか、出来なかった)のかなぁ。 松下賢次にまでインタビューとっているのに、久米宏が出てこないのが不思議。年末の慌ただしい時期に番組のMCをしたくないからと今の「ザ・ベストテン」年末スペシャルに出てこないというのはわかるけれども、インタビュー受けるのも今はいやなのかしらん。 それがちょっと不思議。ま、今の久米宏自体どこへ向かおうとしているのかわからないのでなんともいえませんが。


2004.12.23
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