かちゃかちゃと食器が重なる乾いた音、そのなかで交わされる些細な会話。
 食卓の光景は、その家庭で、一番幸福な光景だ。 それはちはやと影艶にとってもかわりない。

 「――どうかな」
 「あ、うん、うまいよ」
 「ソースが濃かったかな」
 「そう、好みだよ」
 「そうか」
 「うん」
 「ちはや、これ、食べろ。これはあつくないとうまくない」
 「あ、おいしい」
 「だろ」
 「影艶も食べなよ」
 「食べてるよ」


 影艶は、いつも料理を作るばかりで、いざこうして食卓に品々を並べると、あまり手をつけず、 あれを食べろ、これはこうして食べろ、と、ちはやに細々しく言いつけたり、なにが足りないとダイニングテーブルとキッチンをいったりきたりして、給仕ばかりする。 そうでない時は、彼は、ちはやばかりを見ていた。
 彼は、ちはやの食事する姿がなんとも好きだった。
 ちはやの、咀嚼し、嚥下する。頬からくちびる、顎、喉元にいたる一連の動き。 それが可愛らしく感じられて仕方がない。

 ちはやは、水蜜桃のようななめらかな頬と、ほおずきの実のようなくちびるをしていて、 それが、なにとも無邪気に愛らしく動いて、食べものを摂りこむ。
 影艶の、料理が趣味、というのは嘘ではなかったが、いまや、ちはやがおいしそうに食事する姿が見たいがために、というのがその実、勝っていた。
 ちはやの食べる姿は、特に美味いものを食べたときの可愛さは格別なのだ。
 今日も影艶の心は静かな喜悦にみたされていた。


 「食べてるって、食べてないじゃん」
 ちはやは肉の切れ端を取り分け、影艶にすすめる。
 「この部分、特に脂がのっていて、うまかったよ」
 「あぁ、そうか」
 「そうか、じゃなくって、食べなよ」
 ちはやのすすめるがままに、フォークを口元に運ぶ。
 「でしょ?」
 口をもぐもぐをさせている影艶に、ちはやは眼をくりくりとさせて、のぞきこんだ。
 「うん、うまい」
 「さすがは、おれの作った料理。って感じでしょ」
 「まぁな」
 「ほんとう、影艶はいつもそうだけれども、料理、最高だよね。きっと影艶、いいお嫁さんになれるよ」
 「嫁って……。――じゃあ、おまえがおれの旦那になるっていうのか」
 うーん、と、フォークをつかんだまま小首を傾げて、ちはやはこたえた。
 「おれは、影艶んちの子供になるっ。したら、生まれてからずっと影艶のご飯食べられるじゃん」
 「おれはおまえのママか」
 「そうそう。ママ。――ママがいいな。ママのご飯、今日も最高だね」
 ちはやはからかい半分に笑った。
 影艶は馬鹿、といってぷいと顔をそむけた。

 冗談半分で云ったちはやの「ママ」という言葉――そこにはうらはらに甘美な匂いが伴っていた。
 孤児であるちはやの心にも、影艶の心にも、甘く響いた。

 ――この、このこのおれがおれが、ママだとぉっ。この無邪気な可愛い顔して。なんてことをっっ。 こいつうぅ。う、嬉しいじゃないかっっ。こうなったらおまえを育ててやるっ。どこまでも育ててやるっ。 この、宇宙一の激プリ野郎がっっ、おまえのかわゆさは犯罪級だっっ。

 でも、影艶はそんなことをけっして声に出しては云わない。顔にも出すまいする。 それが彼の元貴族としての矜持なのであった。