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近藤真彦「アンダルシアに憧れて」

中森明菜の呪縛

(1989.11.10/CSDL-3004/CBSソニー)


1989年7月11日の中森明菜の自殺未遂事件。このスキャンダルのもう一方の主役である近藤真彦もまた事件後マスコミからしばらく姿を消す。
ハウス食品や大塚製薬の彼のCFは自粛されたし、コンサートやテレビの歌番組も何本か急遽キャンセルすることになったと記憶している。
マスコミの取材攻勢から逃げるため、また事務所や明菜サイドとの今後の折り合いをはかるため、1ヶ月ほどはまったくといっていいほど表舞台から彼は姿を消したわけだ。

確か、その最中にマスコミの姿の前にあらわしたのは唯一、美空ひばりの葬儀の場のみだったと記憶している。―――「おばちゃん、歌上手いんだね」と美空をよく知らない近藤が歌番組で同席中きやすく話し掛けたのをきっかけに、美空は生前、近藤を可愛がっていたというのは有名な話だ。それにしても美空といい、中森明菜といい、さらにこの事件の発端の1つとも囁かれている松田聖子との深夜のNYでの密会写真というのもあったし、さらに香港のスター梅艶芳との噂もあったわけで、つくづく彼は大物歌姫に好かれるタイプのようだ。

近藤真彦の歌番組、コンサート復帰は明菜のそれよりもずいぶん早く、事件後ひと月ほどで一応の形で行なわれた。とはいえ、実際その後の歌手として本格的に再開となるには少々時間を要した。
その事件後初のシングルとなったのがこの「アンダルシアに憧れて」である。

アンダルシアに憧れて バラをくわえて踊っている
地下の酒場のカルメンと 今夜メトロでランデブー

最初に聞いたのは確か「夜のヒットスタジオ」だったと思う。
あ、これは明菜のことをうたっている。
一聴して、当時の私はそう、感じた。
明菜の「自分に前世があるとしたら私は絶対スペイン人、だから新婚旅行は昔からスペインと決めている」 という話を私が聞いたのはこの歌を聞くより後になるが、すでに当時の明菜はまさしく「アンダルシアに憧れてバラをくわえて踊っている」カルメンのような歌手であった。
明菜の事件を受けて、それを隠すのではなく、あえて明菜のような女性像を前面に出したわけである。

この明菜のようなカルメンと恋に落ちている歌の主人公の男は、ボルサリーノを被ったちょいと粋なやくざ者だ。
そして、この歌はそんなやくざ者の仇な死の歌である。
抗争に巻かれた男はあっけなくマシンガンの餌食となる。いまわの際、カルメンといっしょに踊った鮮やかなアンダルシアの青い空の幻が見えた、という歌だ。
そして愛するカルメンに伝えた伝言が最後、むなしくリフレインする「ちょっと遅れるかもしれないけれど、かならずいくからそこで待ってろよ」。
ちなみに「ボルサリーノ」とはイタリアの高級帽子のメーカーのひとつであるが、同じタイトルのジャック・ドリー監督のフランスのギャング映画も下敷きにしてのことだろう。

いい曲だなぁ、と素直に思った。
歌に物語と抒情があって、芥子粒のような哀しみがそこに散りばめられていた。
明菜とのこともあって少々複雑な気分で彼のことを見ていた私であったが、そういった色眼鏡を外して楽しむことができた。
アレンジの白井良明のフラメンコギターの音色は美しい指の戯れを感じさせるし、金子飛鳥のバイオリンはまるでジプシーのようであった。
ライバルの田原俊彦には大きく水をあけられ―――この時期田原は「抱きしめてTONIGHT」のブレイクで第二期黄金期であった、更に明菜とのトラブルで、歌手として難しい時期であったが、この高いハードルを越えるに充分な名曲といえる。
このテキストを書くにあたってひさしぶりにCDトレイに載せたが、聞くも、全く色褪せていない。耐久度が高い楽曲である。

元々、近藤の楽曲は明菜的な恋に生きる婀娜っぽい一途な女性を仮想の恋人にするとちょうどしっくりくるようなとした男気のあるちょっとやくざっぽい歌が多かった。「愚か者」「青春」などはそのなかでとくに私の好きな曲である。
つまり彼は「明菜の恋人」という噂を盾に歌手イメージを作っていたわけである―――もちろん、明菜も同じく「マッチの恋人」という噂を盾にしてイメージを作っていたところがあるわけで、これは相互補完的だったといえるだろう。
そうした状況下で明菜の自殺未遂という事件が起こる。そこで近藤のスタッフは明菜をイメージ方向へとあえて最接近したわけである。そこで、1つ名曲が生まれたというわけだ。

しかし、明菜のイメージへの最接近の後すぐ近藤とそのスタッフは明菜から大きく離れることになる。89年大晦日の明菜の復帰会見――某暴露本では明菜に「マッチとの結婚会見」と嘘をついてあの席に明菜を座らせたという、を契機に彼女の磁場から離れることが一つの課題となる。
そして、彼のヒット歌手としての命がそこで終わるわけである。
「アンダルシアに憧れて」以降の彼のベストテンチャートインシングルは同事務所後輩主演のドラマ主題歌に起用されて奇跡の大ヒットとなった96年の「ミッドナイト・シャッフル」のみである。

今、これを読んでいる人なら知っていることであるが、この歌の主人公達のようにふたりは結ばれることはなかった。そういった意味でも趣ぶかいものがある。もちろん、歌のように鮮やかで悲しい別れではなく、芸能界の様々な力が働いた結果のドロドロした別れだったのだが。

ちなみにこの曲は真島昌利との競作であった。真島版のリリースは10月21日、2週間ほどこちらが早い。真島版はテンポをかなり上げて、狂い咲きという感じで歌っている。そこにいるのは骨太で男臭く、どこか生き急いでいる男で、それはブルーハーツやハイロウズのものとイコールなのだが、歌のなかにある強い物語性が彼の持ち味である狂気性と混ざり合って実にいい作品にしあがっている。近藤の下手だがどこか抒情的で苦みばしった歌い方もいいがこれもいい。


(※  読者からの投稿より。「アンダルシアに憧れて」は真島昌利がブルーハーツ結成以前に作られた楽曲でライブなどでの披露はCDリリースのはるか以前からおこなっていたらしい。近藤版・真島版のCDリリースはほぼ同時期であるが、通常の競作のスタイルとは違い、元々近藤真彦が歌うことを念頭に作られた楽曲ではないということだそうだ。特に、テキストの内容を変更するほどの事実ではないが、誤解のないよう注をつける。 それにしてもジャニーさん、上手いところから楽曲発掘してくるなぁ。さすがといわざるを得ない。)


2004.07.13
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