ひさひざに萩尾望都の「アメリカン・パイ」(76年作)を読みなおした。 ほぼ10年ぶりくらいなのに(書いていて驚く、じゅ、10年かぁ……)、ちゃんと覚えているんだな自分。 グラン・パもとってもいい人だし、お話もせつないし、やっぱいいよね。これ。 「ポーの一族」とか「残酷な神が支配する」とかとかく大作が目にいきやすい萩尾望都だけれども、中篇、短編にもなんとも捨てがたいいい作品をいっぱい残しているんだよね。 特にこの作品は80年代以降の彼女のどこかエキセントリックであったり、シリアスであったり、という部分がまだ出てきていない頃で、この時期の萩尾望都はとにかく感傷的で詩的なところがホントいいんだよね。 北原白秋や西条八十、立原道造の詩のように、淡淡としていて、画面に風がひゅうっと吹いているようなちょっと肌寒く、せつない感じがある。 それにしても「メッシュ」のミロンとか「マージナル」のグリンジャとかこのグラン・パみたいなキャラって近頃の萩尾望都はあんまり出さないよなぁ。 ああいう精神の統制のとれた成熟したキャラクターが話の中心にいるとみていて安心するんだよね、わたしは。「お父さん」って感じで。 それにしても最後グラン・パの「……だから ……これにはあの子の死んだときの話はないんだ……」のモノローグ部分はやっぱり泣ける。 しかし読み返すに、なんでいちいち少女は死んでしまうのかなぁ……。まぁ、不治の病って設定だから仕方ないっちゃそうなんだけれども……。 ふと大島弓子の「いちご物語」なんかも私は思い出したりもした。あれも「ここから先は断崖絶壁」といわんばかりに少女期で主人公が死んでしまうんだよな。 思うにこの頃の24年組は「無垢な少年・少女は夭折しなければならない」という鉄則があったような気がする。 夭折を免れるにはそれこそ「ポーの一族」のように、永遠の子供でありつづけるしか方法はなかったんじゃないかな。 ある意味で彼女たちは「マージナル」でいうところの「夢の子供」でなければならなかったのかもしれない。 戦後の平和憲法下の民主主義教育が彼女たちをそう育てたのだろうか。もしかしたら「第1次ベビーブーマー」たちは新世代を担う『夢の子供』として、日本の未来と希望の象徴として育てられた、という側面も多分にあったのやもしれない――と考えると面倒くさいのでこれ以上は考えない。 団塊の世代としての「24年組」という分析は面白いとは思うけれども、ちょっとわたしには荷が重いかな。ま、大塚英志先生にでもそれはまかせよう。 ともあれ、しばらくして彼女たちはこの甘い子供の世界から旅立たなくてはならなくなる。 「その先も描かなきゃ。わたし達はいつまでも『夢の子供』でいるわけにも、そのままの姿で死ぬわけにはいかないんだから」 ―――そう思ったのかどうかはしらないけれど、24年組のそれぞれの作家が変節していくのはこの物語の描かれた時期からすぐの話(―――70年代末期から80年代初頭)である。萩尾望都のその「はじめの一歩」はもちろん「訪問者」からといっていいんじゃないかな。 そういった背景を考えるに「アメリカン・パイ」は趣きぶかい良質な小品といえるかもしれない。 この小さくも可愛い完成された世界は、この時だけの輝きに終わる。 この作品はある天才の若描き時代の小さな秀作という名に相応しい作品といえるとわたしは思う。 |