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明菜 よもやま話 まとめ


◆ 中森明菜 「歌姫伝説〜恋も二度目なら〜 Daiichi Special Remix」
◆ 中森明菜 「Crazy Love」
◆ 売上の低迷する中森明菜についてちょっと考えてみた
◆ これからの中森明菜に望むアルバム
◆ 稲垣潤一+中森明菜 「ドラマティック・レイン」
◆ 中森明菜 「90’s Best」
◆ 中森明菜 「夢見るように眠りたい」
◆ 中森明菜 「花よ踊れ」 
◆ 平岡正明 「中森明菜 歌謡曲の終幕」 
◆ 中川右介 「松田聖子と中森明菜」 
◆ 中森明菜のボーカルで「辻ヶ花浪漫」が聴きたいっっ
◆ 明菜に歌って欲しい二曲 〜「この素晴らしき世界」 「約束のイブ」〜
◆ 明菜に歌ってほしい演歌
◆ 明菜とセックスとポルノグラフ
◆ 松本隆の語る「落花流水」
◆ 明菜と由貴は、腐女子のアイドル?



◆ 中森明菜 「歌姫伝説〜恋も二度目なら〜 Daiichi Special Remix」
1.スローモーション【Daiichi mix】 2.少女A【Daiichi mix】 3.スローモーション 4.少女A 5.セカンドラブ 6.1/2の神話 7.禁区 8.北ウイング 9.サザンウインド 10.十戒 11.ミ・アモーレ 12.DESIRE 13.TANGO NOIR 14.TATTOO 15.Crazy Love

 2010年9月より稼動予定のパチンコ「CR中森明菜2」販促用としてプレスされた非売品CD。関連店舗や営業所などに配布されているかと。全15曲。今機で使われる中森明菜の楽曲を全てコンパイルしている。オープニングの「スローモーション」「少女A」のは、インストゥルメンタル。「少女A」「1/2の神話」「十戒」「北ウイング」「Desire」の五曲は前機「CR中森明菜」で使われた音源で、こちらはベスト盤「BEST FINGER」に既に収録済。今回の新録音は「スローモーション」「セカンドラブ」「禁区」「サザンウインド」「ミ・アモーレ」「TANGO NOIR」「TATTOO」に、書き下ろしの新曲「Crazy Love」。再録音は前回同様、原アレンジを忠実に再現するベクトルを向いている。
 なんでプロモーションディスクをわざわざ取りあげているか、というと、今回の書き下ろしの「Crazy love」以外の再録音の音源は、一般向けに発売されないかもしれない――と思っているから。明らかに、パチンコ店のBGMとして流れる用にスペックを落としてチープに作られている感があるのだ。はっきりいえば、通信カラオケよりは上、程度のオケ。原曲の弦やギターの音などを低予算だからと安直にシンセでソレ風に再現している印象になっている。明らかに「BEST FINGER」に収録された再録音源と比べて、手がかかっていない。大手のレコードメーカーがこのままで発売するにはちょっと躊躇するレベルのバックトラックになっている。
 ま、ソレ専用で作った音源なのだからそれでいいのかもしれないのだけれども、勿体無いのが中森明菜の声。彼女、昨年から声がいい意味で変化している――ある面では全盛期に近いなめらかでクリアな質感になっている――それが、ここにがっつり残されちゃってるんだもんなあ。オケは厳しいけれども、明菜のボーカルでいったら、発売しない手はない。って感じなのだ。
 元々がテクノ歌謡で打ち込み度の高かった「禁区」は、オケのレベルも気にならず、ギリギリ感漂うより切迫した明菜の歌唱がすばらしく、今回の白眉かと。久々のスタジオ録音のレア感ってのもあると思うけどもね。個人的には「TATTOO」「TANGO NOIR」「サザン・ウインド」あたりも楽しめたかな(――一方、どれとは言わないけど、原曲の生音度の高い曲は私にはちょっと厳しかった)。――前回いったので詳しく書かないけど、もちろん書き下ろしの「Crazy Love」は傑作。
 ユニバーサルに移籍して以降、うんざりするほどベスト盤やら再録音やらを繰り返してきた中森明菜だし、オケがこのレベルだとすると、この音源を一般発売してくれ、とはちょっといえないんだけれども、完全に埋もれさせるのも惜しいわけで、うーーん、なやましい。
(記・10.08.19)


◆ 中森明菜 「Crazy Love」

 2010年9月から稼動するパチンコCR「CR中森明菜2」に収録予定の新曲。パチンコの発表記者会見が行われた7/13からレコチョクなどの着うた配信が行われているが、その後の展開は未定。
 記者会見上の明菜の「一位をいっぱいとってた昔の明菜ちゃん」うんぬんの卑屈でうしろ向きな自虐発言がマスコミでとりあげられていたけれども、新曲聞いて笑ってしまった。ありゃ、ただの謙遜。今の明菜は、ムチャクチャ精気に満ち満ちて、ちっともうしろ向きなんかじゃない。完全に「オレはやるぜ」モード。聞き手をいてこましてる。
 てか、明菜様、なに、いつのまに、こんなにタフになられてるのですか? 空元気でなく、心にしっかり筋肉蓄えてた強さにみちている。多分、彼女、今がいちばん良い時期。90年代のトラブル期はもちろん、右も左もわからなかったデビュー期よりも、結婚を夢見た天下のスーパーアイドル期よりも、多分、今が良い時期。音の向こうの明菜がそういってる。
 前年のアルバム「Diva」に引き続いてロスレコーディングで、プロデュースはBNA Productions。路線もまんまで同じで、擬似洋楽で、詞は英語と日本語のちゃんぽんで、メロディーにあわせて言葉を軽く載せながらも情感が響いてくる歌唱、つまらぬノスタルジー一切なしで、今のポップスとして真っ向勝負、明菜は図太く堂々と聞き手に屹立している。悲しみにうらぶられる落魄の元アイドル・中森明菜、なんてどっこにも居ない。
 ギターのリフのアホみたいなカッコ良さとか打ち込みのめくるめく感も素敵だけれども、それにしても、今回、やたら、歌詞が刺さる。サウンドだけさらっと聞くと能天気なアゲアゲナンバーにも聞こえるんだけれども、それだけに終わらない深みが詞にある。今回の作詞は遠藤幸三とMiran:Miran、英詩の語呂合わせの部分が遠藤氏でその他がMiran:Miranこと明菜本人と類推するけれども、どうだろ。

Now I'm Oh! Oh! Oh! So Happy
たまに Oh! Oh! Oh! So Sad
絶望と希望の Shout! Shout!
The light ……all light me up!


 多分、このパートは、パチンコに熱狂している瞬間の心理の暗喩なんだと思う。時にハッピーで時に悲しくて、希望と絶望の間隙に思わずあがる絶叫。全部点灯しろ、っていうね。
 でもこれが、浮き沈みの激しい明菜の半生にも聞こえる。それがこの歌の妙味。歌はつまり、ジェットコースターのようにHappyの頂点とSadの底辺の間を怒涛のごとく駆け抜けた明菜流のアンセムなのだ。

Life in short,short and hard


「人生って要するに、短くってハードだわ」こんなクールに言ってのけて決まるのは明菜だけっつう話ですよ。

裸だって/輝ける/そんな自分でいたい
この顔も/私だよ/愛だけが答えじゃない


 とかもよくって、なんだろ、平凡な言葉なのに、歌唱が伴うと経験が裏打ちする圧倒的な説得力が途端に立ち表れる。八の字眉になって線の細いバラードばかりを好んで歌っていた頃の彼女を知っているから、なのかもしれないけどもね。こんな風に言ってのけるのか、今の明菜は、という驚き。

Crazy Love つまずいて Crazy Love 立ち上がり
Crazy Love またひとつ Crazy Love 手に入れる
私だけのカラー 自分自身の人生


 特に好きなのがここで、これはファンならわかる「I hope so」〜「DIVA」の詞の延長の世界。さらっといってるけど、ここ、生半な人生で言えることちゃうわ。味わった辛酸こそが自分の存在証明だってことでしょ。後戻りできないほどに様々な挫折や裏切りやらを経て、傷だらけになりながらもそれでもなお「これがわたしの人生」と誇っている。
 それにしても、これが(半分)明菜の詞だというのだから、ちょっと驚く。「夢を見させて」とか「忘れて」「陽炎」「光のない万華鏡」などなど、内省的で孤独感の強い詞ばかり書いていたのが、ここまで強い詞を書くとは。深い闇を知るからこそより強い光をもとめるのか、という強さ。〆が「all light me up!」=全てよわたしを照らせ、だもんな。
 03年の「I hope so」あたりから少しずつ強さが戻ってきた明菜だけれども、「DIVA」以降は全盛期以上だね、確実に。声も艶々してる。

 って、こんな詞だけピックアップすると、なんか重い面倒な歌に思えるかもしれないけれども、そうでなくって、アゲアゲのハイテンションな空気であひゃーっと頭空っぽにして聞いちゃえる、サウンドも今っぽくって夏っぽくって、なんとなく流しても聞けるし、っていうとってもハードルの低い歌なんだけれども、ちゃんと何度も聞き倒せる強靭さをも有していて、それはなぜかというと、楽曲の芯に自らと自らの半生にきちんと誇りや矜持を持ち、聞き手に開示しながらも、それをただの不幸語りでなくエンターテインとして昇華する中森明菜というシンガーのぶっとい存在感があって、ゆえに、ガキんちょがなーんもしらんで楽しむこともできるし、おっさんおばさんが聞き込める曲としての厚みも保持しているんじやないかな、と(――演歌とか古い歌謡曲やニューミュージックしか聞いてないダメダメな中年は知らんよ?)。
 つまり着うたのペラっとした圧縮音源でなく、ちゃんとした音源で早く聞きたいっちゅーことなのですよっ。まったく。
 もう、今の明菜のサウンド、全然好き。気が早すぎるのは承知で早くこの路線でアルバム欲しいし、プロモーションして、今の中森明菜の音をちゃんと届けるべき人に届けて欲しい。ワイドショーレベルの人種とか、心底どうでもいいから。あの人たち、どうせ音楽なんてまともに聞いてないんだから。
(記・10.07.22)


◆ 売上の低迷する中森明菜についてちょっと考えてみた

 久しぶりにくだらないことを考えてみようかなーと、思う。春だしね。
 去年、中森明菜は三枚のアルバムを連続でリリースしたけれども、セールス的には惨敗を喫したのは、記憶に新しいことだと思う。
 どうしてか。
 おそらく前作「フォークソング」を売り出しすぎてしまったことが一番原因なんだろうと、わたしは思っている。
 多分レコードショップに足しげく通っている明菜ファンの人なら、気づいていることだと思うけれども、あれは、どこもかしこでも余っていた。
 多分、メーカー的には、四種+通常盤の一種を売り出すことによって、店舗での販売スペースをムリクリにでも広げようというそういう販売手段だったんだと思うのだよね。「店舗での販売スペースと売上は正比例する」っていうマーケテイングのお約束もあるわけで、中森明菜のカバーアルバムだからそれくらい売れるだろう、と、そういう皮算用がメーカーにも小売にもあったんだろうと思う。各店舗各一種計五枚が基本入荷数になるけれども、今までの実績から見てなんとかなるだろうと。新聞紙の「押し紙」ほどではないけれども、小売は今後の付き合いも考慮してメーカーの一押しアルバムの「これだけ置いて欲しい」と言った数をできるだけ考慮して入荷数を決めているらしいしね。
 とはいえこれは皮算用で見事終わったわけで。ジャケットが色違いになっているだけの四種の初回限定盤っていうのは、ファン的にはどう考えても意味の薄い四種類なわけで、五パターン全て買ったというファンは、少ないんじゃないかなぁ。かてて加えて、作品的にも明菜世代には縁遠い70年代フォークのカバーで現役ファン以外に訴求が難しく、実際の作品のクオリティーもアレなわけで――で、あまった、と(――どういうリサーチの結果「明菜でフォークカバー」という企画に突っ込んでいったか、いまだにわたしはわからない)。
 不良在庫をたたき出したアーティストの次作品の入荷は極力に抑える――これはレコードショップの絶対的セオリーなわけで(――つまり、できるかぎり多く仕入れて欲しいメーカーと損をしないぎりぎりの数を仕入れたい小売の綱の引き合いで入荷数ってのは決まっているわけですね)、結果カバーアルバムの神通力も通じず、まったくカラーの違うアルバム三枚にもかかわらずともにオリコンデータではほぼ同数の7000〜6000枚の売上にとどまった、と。これ、一昨年に明らかにメーカーとの契約の数合わせ的にだされた「90's Best」とほぼ同じ数字ね。中森明菜のニューアルバムなら黙ってても買ってくれる数が大体これくらいなんじゃないかなーと、私はにらんでいる。「フォークソング2」だけ1000枚多く売れたのはリリース時期に出た「SONGS」効果かな?
 とはいえ、すわ、これはレコードメーカーのゆゆしき失策である、とか、いやいや中森明菜が実働プロモーションを積極的に行わないそれが売上低迷の最大の問題なのだ、――とか、まあ、そういうことここでを言うつもりではないのですね、私は。
 まあ、こんなもんだと思うのですよ、25年以上のキャリアの歌手で、取り立ててトピックがない作品ってのはね。
 トピックがないと売れない?じゃ、そのトピックを作ればいいじゃない。てな流れで楽曲のタイアップを取ったり、芸能記事的な「話題」をふりまいたり、様々な媒体にお金を払って記事書いてもらったりっていう、まあ、そういうやり方もあるんだろうけれども――「カバーアルバム」っていう手段もそのひとつなのだろうと私は思っている。ひとまずスポーツ紙でとりあげてくれるからね――でも、中森明菜にはこういうやり方って合わないんじゃないかなーと、わたしはちょっと勝手に思っている。こういうことは政治力のあるプロダクションの主導ではじめて有効に動くものだと思うしね。
 とはいえ、ただ売れないじゃ先細りの末に次の作品が出せなくなっちゃうよぅ、と、これまたファンとしては困るわけで――という所で続く。



 続き。
 先日のエントリを読んだ鋭い方は「つまりまこりんは売りに焦るよりも売れないことを前提したビジネスモデルを考えるべきっていいたいわけ?」とお思いだと思いますが、まあ、実際そういう話をこれからするわけなんですけれども、とはいえもちろんその一方で、そんなにカバーアルバムで売りたいなら「オリビアを聞きながら」とか「PRIDE」とか「恋におちて」とか「サイレント・イブ」とか「Tomorrow」とかアラフォー女子のカラオケ御用達バラードを集めたカバー出せばいいのに、とか、CGジャケットにするならいっそ「きまぐれオレンジロード」のまつもと泉にイラスト描いてもらったら話題性がもっと上がるのに、とか、おもっくそ下世話でくだらないことを考えてたりもしてるんですが。
 でもね、中森明菜の歴史を振り返って考えると、いわゆる売上の梃入れが見事に成功したためしって、ほとんどないんじゃないかなーと思うのですよね。
 ブティックJOYのCFの「月華」しかり、連続ドラマ主題歌の「帰省」「オフェリア」「花よ踊れ」しかり、割と不発気味。
 よしんばその時は成功しても次に繋がらないわけで、事件後の復帰で爆発的に売れた「Dear Friend」や「二人静」、また02年のアルバム「歌姫2」なんてのは顕著な例で、25周年で色々と出したベスト盤もそうかな。ただ、あれはいつもより売れたね、で終わっちゃってて、それを次に引っぱっていけてない。
 もっと考えてみれば80年代の全盛期においても、大型タイアップ起用による梃入れというフツーのパターンはまったく使わなかったし、アルバム梃入れで珍しく発売時期にあわせて各歌番組で歌披露までした「Femme Fatale」に到っては、当時のオリジナルアルバムでは最低売上になってしまったり、唯一梃入れらしい梃入れで大成功したのは「DESIRE」くらいなんじゃなかろうか、と。
 「まず衆目を集めてから……」っていう手段は、中森明菜の場合、点で終わって線にならない感じがするんですよね。本人の志向っていうのも相俟ってね。
 ――てわけで売れないなりの今ある6000の数をキープしつつこれを、三倍、五倍するのを目標にしたビジネスモデルを考える方がいいんじゃないかなーと、私は思うのですね。明菜世代の潜在的な数十万のユーザーに色目を使うよりもね。――って、これ、ものすごく大きなお世話ですね。まぁ、いいや続けちゃおう。
 ではどうすればいいのか。ほぼ毎年アルバムをリリースして、かつコンサートツアーを開催している、中森明菜よりもキャリアの長い、かつアルバム売上の低いアーティスト――それが参考になるとおもうのですね、
 んで、私がよく知っている人だと沢田研二、加藤登紀子、谷山浩子、この三名がそれに該当するかな、と。
 これをちょっとケーススタディーとして抽出してみますね。

【ケース1 沢田研二】

・85年より個人事務所
・アルバム売上、90年以降3000枚前後
・楽曲は三〜五割は自作・残りは作家への発注、インディー転向によって自作率は増。
・95年以降は完全セルフプロデュース。02年よりインディーズリリース。
・毎年50ヶ所近くの全国ツアーに、特別コンサート、トークライブ、事務所主催自身主演の舞台公演などあり。
・ファンクラブは無料、そのかわり会報は情報メインでシンプル。ファンクラブ専売のコンサートDVD、CD、BOXセットなど多数販売。
・音源制作の費用は大手メーカー所属時から事務所からの持ち出しと本人が発言。曲作りは赤字、CMや映画、舞台で稼いだ金で毎年新曲を作っている、とも。
・歌番組出演は新曲披露がない限り極力しないスタンス――よって、滅多にテレビに出ない状況。

【ケース2 加藤登紀子】

・73年より個人事務所
・アルバム売上 79年よりほとんどの作品がオリコン100位以内ランクインせず。2000枚以下か?
・楽曲は自作とカバーが約半数ずつ。カバー曲は有名無名織り交ぜている。知り合いのミュージシャンにも時折発注。
・基本セルフプロデュースだが、様々なサウンドクリエイターがいれかわりの共同作業で音源制作。
・99〜01年の短い間、自主レーベル――販路は大手メーカー、でリリース。それ以外は大手メーカー所属。
・コンサートツアーは毎年50〜100ヶ所以上。各種イベントにも多数出演。コンサート終了後にはサイン会――という名のアルバムの手売りを毎回行っている。
・テレビ出演は歌以外でもあり、歌よりむしろ情報番組のコメンテーターとしてみる機会が多い。歌のほか、社会運動家としての活動も。
・ファンクラブは充実。会報ではファンとの交流を密にしており、ファンクラブ専売のCD、DVDもある。

【ケース3 谷山浩子】

・77年の本格デビュー以来ヤマハ所属。レコードメーカーもずっとヤマハ系で大手所属。
・アルバム売上 96年より3000枚前後。
・楽曲はほぼ全て自作。プロデュースは80年代後半より石井AQとの共同。
・96年以降、本人のピアノの弾き語りに石井AQのシンセのみというシンプルな音源が増えている。
・90年代は観客が101人の「101人コンサート」、現在はバッキング一切なしのライブハウスツアーを敢行。毎年30ヶ所前後。
・コンサートは観客のその場のリクエストのみで構成されたものや、ゲームコーナーを設けたものなど、アットホームな雰囲気を売りにしている。その日の気分でセットリストを変えることもままあり。
・パソコン通信を端緒に80年代後半からパソコン・ネットを介在したファンと本人との交流がとても密。
・テレビは避けてはいないが、20年近くオファーがほとんどない状態。

 ずらずら列挙して、眠くなっている人が多いやもしれませんが、これらの共通点をつまり、

・コンサートが多い
・ファンとの交流が密

 これに尽きると思うのですよね。会って歌っておしゃべりするっていう機会をとても多く設けている。あのジュリーですら、ファンを集めたトークイベントをやってたりするわけで。活動のベースをファンクラブにおいていて、いい意味でファンを囲い込んでいる。あとさらに言えば

・アルバムの制作を、利益に見合ったスペックダウン、あるいは赤字の補填や、積極的な販促活動など、様々な対策をとっている。

 これもあるかもしれない。売れないアルバムを作るためにジュリーは他でお金稼いで補填し――それでもインディーズになって以降はいささか音が薄くなっている、谷山浩子は打ち込みとシンプルな音作りで制作コストを抑えるようにみえるし(――弾き語りに訴求力の強い彼女だからできることだろうけれどもね)、加藤登紀子はインディーズで出したアルバムでもロスやらウィーンやらの海外録音を敢行したけれども、そのかわりコンサートの後に自らCDを手売りしている。
 もちろんこれらは、そういったことを可能にする側近スタッフとの強固な信頼関係という前提があってのことなのだろうけれども――。

 んで翻って、中森明菜にこれができるか、ということなのですが……、んーー、どうでしょう。
 ホテルの大会場でファン相手にトークライブしている明菜様も、twitterしている明菜様も、ライブハウス回りしまくっている明菜様も、全然イメージできないわ。わりと放置プレイ気味のファンクラブから見ても、そういった方向に今後中森明菜がシフトしていくとは思えない。
 考えてみれば、ここに上げているお三方、ライブ大好き、歌作るの大好き、そもそも人が大好きってメンタリティーなような……、もちろん飯の種という意味合いもあるんだろうけれども、本質的に売れる売れないに関係なく「新作を作りたいから作ってる、ライブをしたいからしている」そういうスタンスなわけで、結局アーティストのメンタリティーに拠るのか、こういうことは。
 ううむ。
 ってわけで、CD売れなくてもライブとファンクラブ活動を活発に行っていれば、なんとかなるけど、それができるかどうかは本人とまわりの人間の考え方やら性格やら次第っていう、身も蓋もない結論になってしまいました。
 私個人の意見で言えば草の根的な活動で自分のやりたい音楽をやっている中森明菜ってのも、いいんじゃないかなーと思うけれどもね。
 20年ぐらい前の、テレビの中にいた豪華絢爛な中森明菜ってのもそりゃ素敵だったけれどもさ。
 以上、ファンの愚考。
(記・10.04.15〜17)


◆ これからの中森明菜に望むアルバム

 リアクションがよかったので、続けて明菜の話題。超個人的に「こんな中森明菜のアルバムが聞きたいなぁー―」という話。もちろん、中森明菜の気が込められた作品ならなんでもいいけれども、という前提で――。

・歌詞がドラマティックで、情熱的で陰でエスニックなアルバムが聞きたい。

 「ミ・アモーレ」とか「月華」とか「TANGO NOIR」とか「AL-MAUJ」とか「落花流水」とか、アレ系ね。
 ここ十年近くの中森明菜のアルバムを見ると、擬似洋楽で詞がわりと意味ナシ系で陽のアルバム(――「DIVA」「Destination」)と、切々としたバラードのアルバム(――「I hope so」「歌姫」シリーズ)は定期的にリリースしているけれども、エスニック色が強いアルバムはそういえば出していないなぁ、と思うのですよ。
 以前リリースした「true album akina 95 best」でレパートリーを《Wild》《World》《Whisper》の三つに大別したのになぞらえると《Wild》と《Whisper》は足りてるから、《World》成分、そろそろ欲しいぞ、と。02年のスパニッシュテイストの「Resononcia」は擬似洋楽成分もあってちょうど《Wild》の《World》の中間なつくりだったしね。
 それに明菜のエスニック路線って全盛期でも、わりとシングルのみで展開していて、アルバムだとそんなにそれのみでまとめたものって、ないんですよね。86年の「不思議」はエスニック成分強めだけれども、あれも実験アルバムだし。
 最近もシングルとかアルバムに1、2曲だけとか、挿し色的にあるだけなので、一度コンセプトをそこにしっかり定めてまとまって聞きたい。

   色んな事情があってカバーアルバムをださなければいけない場合は……。

・マニア以外誰も知らない――けど、中森明菜に似合う曲のカバーをして欲しい。

 選定基準は、アルバム曲か、シングルなら五万枚以下の売上。くらいの勢いで。つまり最近よくある半端に昔のヒット歌謡曲のカバーなんてダサいアルバムでないカバーアルバムにして欲しい。そうであれば、讃美歌でも抒情歌でも洋モノロックでもジャズでもニューミュージックでもアイドル歌謡でもテクノでもなんでもいいや。
 もちろん売れないだろうけれども、なに「フォークソング2」も「ムード歌謡」も明菜ファン以外あんまり買わなかったんだから、気にしない気にしない。
 一例をあげれば……クレヨン社「辻ヶ花浪漫」(――江戸時代の遊郭で愛唱された和歌をベースにしたジャパネスク感覚溢れた作品)ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm1118987、鰐淵晴子「黒いらんたん」(――加藤和彦作曲。幕末の洋妾をテーマにしたアルバムの一曲)ttp://www.youtube.com/watch?v=jZbKRfg9p6U&feature=related とか。

 いや、そんな売れないカバーならいらないし、カバーで大ヒット目指すんだ、というなら……。

・アラフォー女子カラオケ御用達カバー

 明菜世代の女性がカラオケで「歌いたい」という、あるいは明菜世代の男性が「奥さんに歌って欲しい」という、つまり彼らが同時代的に味わったなつかしヒットをピックアップすればまず間違いなしかと。こんなもんカラオケメーカーにリサーチすれば手っ取り早いと思うけれども、「ザ・ベストテン」放送開始の78年からCDシングルの売上が頂点となった95年までの女性歌手のバラードヒットを中心にさぐれば――てか、明菜の個人的なカラオケ十八番ナンバーがそのままになるんじゃ、という。
 「オリビアを聞きながら」「あなたに会えてよかった」「瞳がほほえむから」「会いたい」「悲しみが止まらない」「赤いスイトピー」……、ほらね、こんな感じで。
 なんだかんだいって明菜の個人的カラオケ十八番ナンバーがぽつぽつはいってる歌姫・歌姫2が彼女のカバーアルバムの完成度の双璧になっているので、もしかしたらちゃんとしたアルバムになるやもしれない。
 あと中森明菜に《擬山口百恵》《擬中島みゆき》的な部分を求めているヒトは物凄く多いと思うので、

・全曲山口百恵/中島みゆきカバー

 というのも訴求力あるだろうね。百恵ちゃんは言うに及ばず、みゆきも解脱しちゃったのかこの10年でかつてのような女の業が一気に薄れちゃって(――ゆえにセールスが低迷して)るので、かつての情念のドロドロとしたみゆき歌謡を明菜がリメークして喜ぶ人は多いと思う。もちろんこれら、作品内容的に成功するかどうかはわかりませんけどね。
 おもっくそ下世話で3流な企画だとは思うけれども、ここ最近のいろいろと気を使った挙句にわりと誰得になってるカバーアルバムよかいっそすがすがしいし、下世話も突きつめれば悪趣味という趣味になると思うので、やるなら是非恥じらいを捨てて、明菜の実働を含めたプロモーションもがっつりやって大ヒットを目指して欲しいな。と。
 ただ前のエントリにも書いたように、本人がバリバリ乗り気でないなら、こんな無駄に必死な企画はせんと地道に草の根的に望むべき自分の歌をうたって欲しいわけですけれどね。
 ま、こんな感じでグダグダ妄想しつつ、次の展開なにかなーって、待ってます。

 おまけ。
 去年の中森明菜のライブで歌った薬師丸ひろ子のカバー「Woman 〜Wの悲劇より〜」はどうですか?というお便りに回答。
 「Woman 〜Wの悲劇より〜」に関しては、原典厨の立場になっちゃいます。ごめん。
 私的に「Woman 〜Wの悲劇より〜」は、薬師丸ひろ子の全作品で一番なのはもちろん、松本隆作詞の全作品の中でも、呉田軽穂名義のユーミン作曲の全作品の中でも、ナンバーワンの、まさしく奇跡のような神の領域の一曲で、誰が歌ってもオリジナルには届かないと思っちゃてるので。
 同じくオリジナルが死ぬほど好きなカルメンマキ&OZの「私は風」のカバーはアレンジがまったく変わっているおかげもあってか、別物として好きです――ので、原典に近いハードロックアレンジになったエンプレスバージョンの「私は風」は実はさほど好きくなかったりします。
(記・10.04.21)


cover ◆ 「ドラマティック・レイン」 稲垣潤一+中森明菜 
(稲垣潤一アルバム 「男と女」より)
1. Hello, my friend  2. 悲しみがとまらない  3. あなたに逢いたくて   4. Piece of my wish  5. セカンド・ラブ   6. サイレント・イヴ  7. あの日にかえりたい  8. 人生の扉 9. 木綿のハンカチーフ  10. 秋の気配 11. ドラマティック・レイン
 お久しぶりの中森さん。年末から色々とリリースがあるようですが、その露払い的に、まず稲垣潤一のカバーデュエットアルバム「男と女」で、稲垣潤一の代表曲をデュエット。――ってわけですが、歌いだし、一瞬どっちの声かわからなかったぞ。
 ブルージーに低音がなまめく明菜様と繊細なハイトーンの稲垣さんが、意外にもかなりいい感じで、とろとろに溶け合っていて、うーん、セクシー。一晩寝かせたカレーのようにとろーりとろけてこくうま、といったところですなっ。
 コーダの二人のボーカルが追いかけあうようなところは、これ絶品。
 もともとデュエット曲でないのにここまで持っていった明菜様に感服――ってわけで、ニューアルバムの発売をワクテカで待つまこなのであった。まる。
(記・08.11.22)


cover ◆ 中森明菜 「90’s Best」  (08.02.27)
【Disc 1】  1. Everlasting Love 2. NOT CRAZY TO ME 3. 片想い 4. 愛撫 5. 夜のどこかで 6. Rose Bud 7. 月華 8. BLUE LACE 9. 原始、女は太陽だった 10. 綺麗 11. Tokyo Rose 12. 優しい関係 13. MOONLIGHT SHADOW -月に吠えろ 14. APPETITE 15. SWEET SUSPICION
【Disc 2】  1. 帰省 2. 今夜、流れ星 3. 嵐の中で 4. とまどい 5. Good-bye My Tears 6. 雨の日は人魚 7. 楽園の女神 8. 雪の花 9. BLOWING FROM THE SUN 10. 花曇り 11. 幻惑 12. 月の微笑
【Disc 3】  1. MOONLIGHT SHADOW -月に吠えろ club mix 2. PRIDE AND JOY 3. EGOIST 4. CRESCENT FISH 5. METROPOLITAN BLUE 6. It’s brand new day 7. Stay in love 8. TO BE 9. セカンド・ラブ
【Disc 4/DVD】 〜TRUE LIVE〜  1. Tokyo Rose 2. 飾りじゃないのよ涙は 3. TATTOO 4. GAIA 5. 愛撫 6. ミ・アモーレ(Meu amore…) 7. 原始、女は太陽だった 8. 月華 9. TSURAI・TSURAI 10. 痛い恋をした 11. Necessary 12. LIAR 13. 陽炎 14. 予感 15. セカンド・ラブ 16. スローモーション 17. LA BOHEME 18. DESIRE 19. Tokyo Rose (PV) 20. 原始、女は太陽だった (PV) 21. MOONLIGHT SHADOW-月に吠えろ(PV)
 明菜様の「90's Best」感想書きたいんだけれども、色々と忙しいので、ポイントだけを押さえて。

 ・うを。この時期にこの形態のベスト盤。レコード会社の事情丸見えの年度末あわせのアルバムっ、と最初ちょっと忌避したけれども、思ったより全然いい。 ワーナーからでた「BEST」シリーズ三種を引き継いだ、正統・直球のベストアルバム、「Best4」ってタイトルでもいいくらい。
 ・個人的には、明菜のファンとしてその時時を追っていた頃のシングルなので、感銘もひとしお。
 ・なにより初回特典の「true live」がよいよい。これだけのため買ってもいいぞ。
 ・いぜん「true live」見たときはそんなに印象強くなかったんだけれどもな、今みるとぜんぜんいい。
 ・「true live」、異様なまでにミュージシャンが豪華。総合演出が立川直樹で、バンマスがご存知吉田建、さらに江口信夫、島健、成田忍、山口とも(――廃品打楽器奏者で近頃有名なあの方)、新居昭乃(――アニメ界の歌姫)などなど。明菜のライブって90年代以降さり気にメンバーにお金かけているけれども、この面子は、どうかしている。しかもオープニング3曲はロカビリーバンドMAGICとのコラボだし。
 ・明菜の衣装がいつもの明菜的でなく風変わりなのは、演出の立川さんの意向? 森高風のブルーのミニスカ、「GAIA」での、宇宙をデザインしたような銀色のヘンテコな衣装は当時のユーミンが着そう。
 ・MAGICとのコラボが特によかった。〜「日劇ウェスタンカーニバル」より〜ってキャプションが入っていても信じてしまうくらい、ロカビリーで太陽族な明菜様。「飾りじゃ〜」以来、このラインが最高なのは知っていたけれども、やっぱいいわ。この路線、日本では男ならジュリー、女なら明菜。これを超える人材、いまだあらわれていないのでは。「優しい関係」も歌ってほしかったな。
 ・明菜にとってのロカビリーは、楽曲提供を受けたストレイキャッツのそれでなく、やっぱり50〜60年代のあの時代の日本の風俗なんだろうな。
 ・「Tokyo Rose」とそれに続いた「true best」のwild disc 冒頭三曲と、このライブのMAGICとのコラボ、テーマはやはり「昭和回顧」だったんだな。当時はまったくそれを受容する空気が世間になかったのが惜しい。実際当時のわたしも全然ピンとこなかったし。いまなら、大西ユカリとかCKBとか、あのラインだよね、これ。
 ・明菜にとっての昭和回顧というのは、母の面影を追うことなんじゃないかなと、思った。
 ・ちょっとしたバイトで、清瀬の小さな飲み屋でマンボズボン穿いてカッコよく歌い踊った母の姿に――なんてカッコいいんだと感動した幼時の明菜。そんなエピソードをこのパートから思い出す。この年、明菜の母は亡くなっている。
 ・「MAGIC with AKINAです」という明菜の紹介からバンドとしてみて欲しいという意図を汲み取った。一曲だけの限定コラボなのに、基地まわりキャバレーまわりをこなしまくっている50〜60年代のロカビリーバンドのよう。
 ・男くさいMAGICのメンバーに囲まれて歌う明菜、彼らに呼応するように自分の中にある男性性をフルに引き出して骨っぽくずぶとく歌っている。そこに逆説的な危うい色気がある。はっきりいえばヅカの男役チック。
 ・そういえば、明菜の母って、タカラヅカ志望だったんだよなぁ。明菜の母を再現するなら、ヅカの男役風になるのも納得、か?
 ・明菜、一度バンドやって欲しいよなぁ。こういうぎらついた男に囲まれてね。
(記・08.02.29)


cover ◆ 中森明菜 「夢見るように眠りたい」
アルバム(「shaker」より)
1.満月 2.Spicy Heart 3.夜の匂い 4.MOONLIGHT SHADOW 〜 月に吠えろ (Album mix) 5.おいしい水 6.赤い薔薇が揺れた 7.APPETITE 〜HORROR PLANTS BENJAMIN 8.夢みるように眠りたい 9.桜 10.風を抱きしめて 11.月は青く
 ネット上の意見を見ると、80年代後半の典型的な中森明菜の歌唱法――過剰なロングトーン・ビブラート・母音変化によるつまり「おああぁぁ――っ」っていうアレね、を懐かしみ、その復活を望む声がよくあるけれども、不思議とこの曲が取り上げられることがない。97年発売「SHAKER」の中の一曲。おそらく中森明菜が例の明菜唱法を正面きって使用した最後の曲が、多分これ。
 往年のエスノ路線を髣髴とさせるフラメンコタッチなサウンドに、ひら歌で丁寧に抑えて歌って、サビで荒ぶる野性が大爆発という、実に往年の明菜の歌唱。「このままあぁぁ」で一気に破裂した後、明菜様の声が、何度も爆発爆発大爆発、例のごとく「眠りたい」の部分は「眠りたぁぁぁああ」、「愛せない」は「愛せなぁぁあああ」になってしまうわけで、「DESIRE」「TANGO NOIR」「AL-MAUJ」レベルのぷんぷん匂うほどに明菜唱法、物真似レベルのデフォルメっぷりなのだが、明菜ファンのあいだ――とくに全盛期の歌唱を復活を望むもの間で、まったくもって無視されているのがわたしには皆目わからない。
 結局ああいうこと言う人たちってアルバムをしっかり聞いたりせずに適当に印象批評してるんだろうなと、わたしは思うのですがっ――と軽く喧嘩を売りつつ。
 ともあれ少なくとも97年段階では、中森明菜はボーカルの劣化によって明菜唱法ができなくなったわけでなく「ただ単にしたくないからしなかった」その証拠となる一曲。
 中森明菜の実験的なボーカルディレクション、もちろん好きだけれども、個人的には時々こういう往年の歌唱でファンを安心させて欲しいよな、と思う。やっぱり激情を表現する時は、この唱法が一番しっくりくるもの。
(記・08.03.25)


cover ◆ 中森明菜「花よ踊れ」 (06.05.17/第23位/1.0万枚)
1.花よ踊れ 2.GAME
・「花よ踊れ」
 アゲアゲのラテンフレーバーなJ-POP路線。やたらサンバホイッスルがぴーぴー言ってますが、平板で盛り上がりが欠けるなぁ。 てか、この曲、オケ、うるさい。明菜サマの声はなんか、もうなんだかものすごドス聞きまくってます。怖いかも。

・「GAME」
 郷ひろみですか? これ。
 てか、林田健司のボーカルが全面にフューチャーされたほとんどデュエットソングなんだけれども、無駄にハイエナジーな林田のボーカルがほとんどヒロミゴー。「Flashing Flashing Come on !」の部分のヒロミ指数はただものではない。本家を凌がんばかり。
 80年代、サルサ的な世界を歌謡曲でもっとも上手く翻訳したのが男ではヒロミゴー、女では中原めいこだけれども、 まさしくこの歌の明菜は「女ゴー・ヒロミ」の世界。これが新鮮、かつはまりまくり。こっちの路線もラテンも、全然いけるのね、明菜サマ。 「愛のなんの言ってるけれど、昼ドラマみたい」の部分の中原めいこ指数、ものすごいです。
 この腰の軽さ、馬鹿っぽさと、爽快かつ濃厚な色気。これですよ、これ。このシングル、明菜サマ的には、こっちが本線だよね。 「GOLD FINGER '99」的な確変ヒット期待。ってか、この曲でテレビでヒロミ・ゴーとデュエットしてください、明菜サマ。お馬鹿セクシー全開で。
(記・06.05.16)


cover ◆ 平岡正明 「中森明菜 歌謡曲の終幕」 (96.07/作品社)

 新左翼系の論客として、あるいはジャズ評論、文学評論で有名な平岡正明氏が、歌謡曲評論にはじめて取り組んだのは、78年刊行の「歌の情勢は素晴らしい」(冬樹社)からだと記憶している。
 79年には歌謡曲評論の金字塔となった「山口百恵は菩薩である」を上梓。その後は山口百恵論の続編「菩薩のリタイア」をはじめ「日本の歌が変わる」「歌謡曲見えた」「大歌謡論」「美空ひばりの芸術」「国際艶歌主義」と彼の歌謡評論は続く。 そして、96年に「三波春夫という永久革命」とほぼ同時期に「中森明菜 歌謡曲の終幕」が出版となる。以降平岡氏は歌謡曲評論に関するものを著してはいない。

 冒頭に彼は断言する。
 「中森明菜を葬りさったのはこの日本芸能界のレベルの低さである」
 明菜は葬られ、ゆえに歌謡曲は終わった。
 つまりは、歌謡曲終焉の地に立つ女王、中森明菜の場所から歌謡曲を振り返る、そういう本であり、歌謡曲に断念した平岡氏の、弔辞である。
 「テレビ文化の中に息づく大衆歌謡」として何度目かの黄金期を迎えた歌謡曲、それが成長し爛熟するその過程に、沢田研二が山口百恵がピンクレディが郷ひろみが、いた。 そしてそれが、衰退し終幕を迎える、その時に、ひばりが死に、明菜が自殺未遂をはかった。これが、日本の直近の大衆芸能史である。
 この一冊でこれを確認すれば、いい。


 中森明菜の本ではなく、中森明菜から歌謡曲を見る本――であるから、80年代の中森明菜の作品分析は精査に行うものものの、90年代以降のその後の明菜を平岡氏は「今の中森明菜にはスリルがない」と言下に切り捨て、それ以上は語らない。
 おそらく平岡氏は、山口百恵に対して全楽曲をしらみつぶしに聞き込んだようには(――そうやって全曲レビューしているのよ「山口百恵は菩薩である」と「菩薩のリタイア」では)、中森明菜には触れていないのだろう。
 その点、彼女の熱心なファン(――もちろんわたしもそのひとりなのだが)にとっては食い足りないという思いが残る本ではある。
 とはいえ、この著作以上に中森明菜の楽曲にスリリングに食い込んだ一冊がいまだないというあたり、平岡氏の「日本のメディアの芸能批評はレベルが低すぎる」という、その証左といえるかもしれない。
 平岡正明氏といい、近田春夫氏といい、日本で読ませる芸能批評・楽曲批評をコンスタントに書ける作家、批評家、ライターというのは、その多くが外部の、ざっくり云えばそれで飯を食っていない人間である。
 
 それにしても――。
「『あとがき』は必要なかろう。この本は評判になるまい」
 このラストメッセージは格好よすぎる。
(記・08.07.01)


cover ◆ 中川右介「松田聖子と中森明菜」 (07.11/幻冬舎新書)

 幻冬舎新書。タイトル買い。読む。終わる。つまんにゃい。以上。
 80年代のオリコン年鑑と「ザ・ベストテン」チャートブックと「魔性のシンデレラ 松田聖子ストーリー」と「中森明菜 炎の恋に生きる女」をまぜまぜして、そこに著者の余計な自意識をトッピングして、下手な文章でくるんでみました、という一品。
 山口百恵の退位によって突然宙に浮いた歌謡曲の王位継承権をめぐる若きふたりの歌姫の五年間の相克を追う――という作りになっているが、視座が定まっていない。 アルバム・シングルなど生まれた作品におくのか、歌手本人の実存におくのか、あるいはふたりのゴシップジャーナリズムの歴史におくのか、焦点がボケボケ。タイトルが「聖子と明菜」と対立になっているのに、そこへの切り込み方もぬるすぎる。
 内容も90年代初頭には既に語られていたことばかりで新しい切り口や新しいトリビアはなにひとつないし、著者の聖子や明菜、あるいは歌謡曲に対する情念も文章からあまり感じられない。
 いいたいことがいまいちはっきりせず、そのくせ話の随所で作者のどうでもいい知識の退屈な披瀝に横滑りするあたり、この人はキモオタさんなんだなぁ、お友達にはなりたくないタイプだなぁ、と思うが、ただそれだけ。
 いちいちこと細かなランキングチャート推移を解説したり、また当時の歌謡祭の結果を記述していたりといったそれらがすべて書き方が悪く、どうでもいいところが多く、原典はもとよりネット上に潤沢に揃っているそれらの二次資料に比べてすら見劣りがする。よって資料的価値も薄い。

 創作において必要なのは、知識と霊感。
 どれだけ素晴らしい情報を潤沢にそろえたとしても、霊感の乏しい作り手は模倣と知識の披瀝に終わるし、 どれほど豊かな感受性と表現力を持つ作り手であっても、ある程度の取材や学習をして一定の情報を得ていないと、誰の共感をも呼び起こさない独り善がりの"電波"なものになってしまう。
 こんな当たり前のことを改めて痛感した次第。
 自分も気をつけよ―っと。
(記・07.11.30)


 11/30の日記で、中川右介著「松田聖子と中森明菜」 に関してぶつぶつ言ったけれども、その続き。
 結局アイドル論って、90年代初頭で提示された部分で踏みとどまっているんじゃないかなぁ、と感じる。 この本にしても、そうだし、今年の春に放送されたNHKスペシャルの松田聖子特集にしても、そう。
 凡庸な家庭を築くためにアイドルという仕事を袖にした山口百恵。恋も栄誉も金も、欲しいものをすべて手に入れるために家庭を袖にした、いつまでもアイドルでいつづける挑戦者・松田聖子。 百恵のエピゴーネンたろうとして、しかし最後の最後で家庭に袖にされた不幸なジプシーアイドル・中森明菜。
 家庭を選んだ百恵。仕事を選んだ聖子。家庭にも仕事にも選ばれなかった明菜。――という、こういういかにも女性論的な三者のキャラが骨格としてあって、それに当時の楽曲の解説やら芸能スキャンダルやらでそれぞれを肉付けしていく、というね。こういう形。
 まぁ、非常に安定していて語りやすいっちゃそうなんだけれども、このスキーム、もういささか古すぎやしませんかね、と。 この枠組みで語ると、百恵はともかく、90年代以降のその後も歌いつづける聖子と明菜の、その意味づけというのがまったく抜け落ちてしまう。
 そもそも明菜は86年以降、聖子は92年以降セルフプロデュースに踏み込むわけで、その点についてまったく触れないというのは表現者としての彼女達に対して失礼にあたるのでは、とすら私は感じる。
 確かに、実質アイドル文化・歌謡曲文化は平成を迎えると同時に瓦解していくわけで、また聖子・明菜ともにその時代の潮流と共にマスへの影響力を失い、迷走するようになるわけで、語りにくいというのは、あるんだろうな。
 けれども、彼女達の迷走が語るべき価値がないとは私はちっとも思わない。むしろ迷走であるがゆえに意味があるとすら、私は思っている。 80年代の象徴たるふたりの90年代の迷走は、まさしくバブル期以降日本の、失われた10年の迷走とまったくパラレルである、と。

 例えば、デビューから現在に至るまでの松田聖子の歴史を紐解きながら、 「自由を選んだ女性達の、女性に自由を選ばせた男性達の、辿りついた虚ろで華やかで孤独で幼稚な都市国家、日本」 という感じの、かつての女性論へ自己批判的な総括をすることなど容易なんじゃないかなと、私は思うけれども、どうなんざんしょ、フェミニズムの人たち。

 ま、つまりは、90年代も遠くになった今、80年代アイドルを語るなら、90年代も射程に入れて欲しいぞ、と。
 あと「中森明菜=80年代の山口百恵」って枠組みだけで語るのは、もう飽きた。
 中森明菜が名実ともに山口百恵の影響下にあったのは、せいぜい84年の「十戒」まででしょ。 自己プロデュースを開始して以降現在までの明菜を、強いて誰かに例えるとするなら沢田研二に一番近い。
 セルフプロデュース。ほとんどコスプレな過激な衣装。三分間で異世界を作る。 歌を離れると気さくで照れ屋。伝わってくる私生活は地味で質素。お笑い好きでサービス過剰。馬鹿正直でがんこ。マスコミ嫌い。意に添わぬスキャンダルをたびたびくらう。 テレビ番組でしか芸能に触れていない人からすれば既に過去の人だが、その後もアーティストとして着実に変化・進化。 声質・容姿ともにデビュー期・全盛期・現在と大きく変貌している。などなど。
 沢田研二と中森明菜の共通項を見つけるのは、容易い。
 まぁ、そういった似たもの探しがどれだけ有効かは知らないけれども、「明菜≒百恵」説は、きちんとした論拠なく「そういうことになっている」感じでもう、いいや、と。
(記・07.12.04)


◆ 中森明菜のボーカルで「辻ヶ花浪漫」が聴きたいっっ。

 お元気ですかっっ。
 唐突だけれども、もし中森明菜が「艶華2」を出すなら、絶対、クレヨン社の「辻ヶ花浪漫」を収録すべきっっ。
 ――って、なにその歌、そもそもクレヨン社ってアーティスト知らないよ、そもそも演歌なん?  というご意見、まず喰らいそうだけれども、ま、確かにクレヨン社は80年代末期のバンドブームのアーティストだし、楽曲自体全然演歌じゃないけれども、まさしくこれ明菜の「艶華」的な楽曲なんだよっっ。
 「艶華」ってコンセプトとして、ジャパネスクだったわけやん。西洋から見た日本とその伝統、みたいな。「月華」や「二人静」などのシングルの路線をカバーでやるっていうね。それにベタはまりなんだよ、この「辻ヶ花浪漫」。
 藤原定家の短歌をモチーフに、儚いまじないに自らを恋を賭ける江戸時代の遊女の情念と哀感を歌ったという、まさしくこのテーマだけで、ジャパネスクの明菜でしょ。 サウンドも、琴や尺八に似せたシンセで、もう完璧ジャパネスク。
 これ、偶然、最近聞く機会があったのだけれども、絶対、中森明菜が掘り起こすべき歌。埋もれていい曲じゃないし、誰がカバーするか、といったら、これ、絶対中森明菜。
 一途な女の情念が滴っていて、儚く、不幸が似合っていて、それでいて華麗。この条件を満たすのは、今のミュージックシーンで、明菜しかいないでしょ?
 「想う人に尽くせないのなら なにが黒髪 なんの化粧」ここ、明菜で聴いてみたいいいっっ。
 ちなみにこの「辻ヶ花浪漫」music.jpで210円でDL販売しているので、もしよかったら。

http://pc.music.jp/product/detailartist.aspx?aid=80

試聴も数十秒だけれども、可能。ああ、名曲だなぁ、埋もれさせるにはあまりにも、もったいないなぁ。
(記・07.11.08)


◆ 明菜に歌って欲しい二曲 〜「この素晴らしき世界」 「約束のイブ」〜

明菜のコンサートやディナーショーのアンコールにこんな歌を歌って欲しいな――、これライブの〆で今の明菜が歌ったらきっととても素敵だろうな、っていうのがありまして。 ひとつが、サッチモの「この素晴らしき世界」で、もうひとつが和田加奈子の「約束のイブ」なんですが、って誰も知らない?

サッチモの「この素晴らしき世界」はある筋では超有名な名曲だけれども、明菜様は知らないかな――。
今の明菜様は「絶望を知っているからこそ歌える希望」を歌える歌手だと思うのですよね。 ただ幸せで満ち足りていてって歌でもなく、全てが虚しくどん底でって歌でもなく、 地の底まで落ちたからこそわかる青空の美しさというか、そういう闇に射し込む鮮やかな一条の光のような歌が歌える歌手になったんじゃないかな、と、そう思うんですね。
明菜の歌う「瑠璃色の地球」なんかはそういった雰囲気があってすばらしくって、この部分はもっと伸ばすべきなんじゃないかな、と、わたしは思うのですよ。それにこういう大きな器を持った歌手ってのはそれ自体が稀有だしね。

戦地に赴く若者にあえて「この世界は素晴らしい」とやさしく語りかけたサッチモのように、となるかどうかはわからないけれども、 明菜流に絶望を知るものだからこそ知る本当の希望を歌えるんじゃないかな。
木々の緑、美しい赤いバラ、どこまでも青い空と 白い雲
握手しあい、愛をかわしあう友
今泣いている赤子も いつか成長して 多くを知るだろう
わたしはふと、思う この世界は素晴らしいと
ラストに、アコギ一本でこの歌をかるく語りかけるようにピアニシモで歌ってくれたら、あぁ、今日はいいコンサートに行ったなぁ、って思うこと覿面だと思うんだけれども、どでしょ。 メロデイーラインもシンプルでやさしくあたたかで、今の彼女にあっていると思うんだけれどもなぁ。



もう一つは「約束のイブ」っていう歌で、これはタイトルからいって、年末のディナーショーなんかに歌うとこれほどハマる歌もないんじゃないかなぁ。
「難破船」やら「水に挿した花」やら「予感」やら救いようのないフラレ歌系バラードをレパートリーに持っている明菜様ですが、これはこれでいいんだけれども、こういう暗黒だけでなく救いのあるバラードも欲しいな、と。 もちろん一方で「BLUE LACE」や「宵闇を待って」などのように幸せいっぱいのなバラードも歌ったりするものの、それらは悪くはないけれども、ファン受けにはどうも……、という状況だし。
やっぱり明菜様は恋の歌にしても「明」の世界をただ歌うってのよりも、「暗」を嫌というほど味わったからこその「明」の世界、ってものの方がいいんじゃないかなぁ、と思うのですね。 というところにこの歌はその二つの世界を止揚するような歌になるんじゃないかな、とわたしは思う。 乙女で、「暗」で、切ない恋で、そしてハッピーエンド、っていう、まさに今の明菜に合わせてつくられたような楽曲に思えるんだけれどもな。
ちなみに詞のストーリーはこんな感じ。

去年のクリスマスの終わった淋しい雪の街角、恋をなくした彼女の瞳に彼はあらわれた。 彼は星の王子様。めぐる次のイブは一緒にキャンドルの火を点すんだと、二人はイブの約束をする。
しかし、その新しい恋もまたまもなく破れる。彼の心は一つではなかった。夏の終わり、星は流れた。しかし恋をなくしても時は待たない。 約束のイブがやってくる。忘れると誓いながらも、彼女は雪降る舗道を消えたはずの約束の場所へと向かっていった。 そして彼女は見る。まつげの雪の向こうに、約束の場所で待っていた彼の姿を。

で、そこで明菜が身の内に燃え上がる小さな炎を抱えるように切々と歌うわけですよ。
抱きしめて抱きしめて いたいほど
賛美歌も キャンドルも消えるくらい
って。

あぁーー、絵が見えるなぁ。明菜がこう、歌の中に入っていくのがもう、眼に見えてわかるなぁ。と、妄想するわけですよ、わたしは。 っていうか、このテキストを見た明菜のスタッフは明菜にこの二つの歌を聞かせなさいっつーのっっ、これ今の明菜に向いているんじゃない?って薦めなさいっていうのっっ。
(記・05.11.01)


◆ 明菜に歌ってほしい演歌

 明菜ファン以外のかたも、このサイトをご覧になっていると思うので、告知。

 <中森明菜 演歌カバーアルバム「艶歌」 6/20発売>
 ・ 中森明菜に歌って欲しい演歌楽曲を大募集!


http://www2.universal-music.co.jp/form/akina_enka/

 なんでも、アンケート結果の上位10曲をレコーディングするそう。

 おおおおっっ。演歌かぁ。早速リクエスト楽曲を思案。 って、この一週間ちあきなおみと溝口肇しか聞いていないので、ちあきのレパートリーしか出てこないよ。
 そうだ。そういえば、自分昔こんなテキストあげていたんだな、と思い出す。

 アルバム「歌姫」シリーズの再始動の願いをこめた妄想的な選曲

 ここにあげたものの多くが歌謡曲・演歌の範疇に入るものかな。
 この他は、そうだな、 「フランチェスカの鐘」 とか 「港の見える丘」なんて、楽曲に漂うルーズな良さが今の明菜にあうんじゃかな。 あと、ちあきなおみの 「ねぇ あんた」。あれを明菜で聞いてみたいかも。藤圭子なら「別れの旅」がいいなあ。 研ナオコだと、「雨の日の映画館」とか。あ、研なら「旅立つ男」、これもいい。誰も知らないだろうけれども、これ名曲なんだよね。 そうそう「ざんげの値打ちもない」を収録するなら、幻の「10月の夜に刑務所の鉄格子から月を見ている」4番 (あんまりにも直接的で過激なので、レコーディング時に省いたんだとか) を収録した完全版が聞きたいなぁ。  と、ぐだぐだ考えつつわたしが応募したのはこの3曲。

・ 雨の日の映画館 (研ナオコ)
・ 港の見える丘 (平野愛子)
・ ルージュ (ちあきなおみ)

 「ルージュ」は、入って欲しいなあ。 ちあきなおみの歌だし中島みゆき作詞作曲だしフェイオンのカバーもアジア圏で大ヒットしたし、 今回のアルバムに組み込み安いキャッチの強さがあると思うんだけれども。

 とはいえ。
 レコーデイングに入ったら、作業の早い中森明菜とはいえ、発売約2ヶ月前の告知でしょ。 本当にアンケート結果を反映した10曲になるのかしらん、と、ちょっと疑ってみたりして。 まあ、今後の資料になるでしょうから、いいんですけれどもねっっ。
 みなさんも今後の明菜サマの為にリクエストをかけてみてはどうでしょうか ?
(記・07.04.13)


◆ 明菜とセックスとポルノグラフ

 中森明菜の好きなところをあげたらきりがないけれども、そのひとつに、セックスのある恋愛を自然に歌にしているところ、ってのがわたしにはある。

 「好きな男とするセックスはたまらなくいいものだ」
 これって女性にとっては当たり前すぎる事実だけれども、今の社会のシステムが「女性は男性に比べて性欲が薄い」っていうことにしているせいか、これを自然に表現している歌手っていうのは、実はほとんどいないんじゃないかな。
 振り返って考えてみれば聖子も百恵もみゆきもユーミンも、優れた恋愛風景を歌っているけれども、それらのほとんどが駆け引きという名のパワーゲームってのが非常に多い。んで、そこから解脱すると「母性」なったりね。
 恋が愛になって、少女が母になる。それは当たり前すぎる流れなんだけれども、どうもその過程に絶対としてあるはずの「セックス」っていうのは、正面きって表現するのはどうも難しいみたい。
 もちろん明菜もそういった男女のイニシアチブ獲得合戦的な歌も歌っているんだけれども、その一方で、きちんと性欲も歌にしているように私には見えるのね。
 直截的な世界で言ったら『Femme Fatale』『VAMP』とか。あれらのアルバムの詞の世界なんて比喩でもなんでもなくもうセックスの情景そのもののだし。明菜の歌唱もあるいは吐息まじりに、あるいは咆哮のように、と、そのもの。
 隠喩としてなら「BLONDE」とか「TATTOO」とか、それこそ山ほど。猛る血に任せた「Fire Starter」もあれば、駆け引き上手の「薔薇一夜」、「雨の日は人魚」ではしっとりとストロークの長いセックス描写も。 ――って、こういう歌をおとな(男)が明菜に歌わせているだけなら、多分きっと猥褻で、下卑た歌になるのだろうけれども、決してそうはなっていない。
 明菜は極めて主体的であり、明菜の声はしっとりと、愛にしたたっている。だから、エロティックだけれども、絶対卑猥にはならない。むしろ時には高貴で崇高にすら私には聞こえる。

 みゆきやユーミンや百恵(――というより阿木燿子)や聖子(――松本隆)が、あえて性欲を作品世界に持ちこまないのは、女性のセックスが商品になるとき、ポルノとなってしまうこと、 そしてポルノは、既存の、つまりは男性原理的な社会の支配構造の雛型であり、再生産にすぎないことを、意識か無意識かわからないけれども、知っていたからなんじゃないかなと、私は思っている。
 それはまあ、非常に現代的な課題だとは思うのだけれども、そこを明菜は一足飛びに、男女ともに楽しめる新たなセックスファンタジーを歌で作り出して、ポストモダンしてしまった。
 これは実は云うととても凄いことなんじゃなかろうか。
 ってまあ、また明菜になるとこまっしゃくれたことを言い出す私なんですが、ともあれ、愛しあう過程として当たり前にセックスをする。そのセックスは心地よく、素晴らしい。これは明菜だけの持ちえている世界なんじゃないかなと私は思っている。 そもそも「愛撫」なんてタイトルをつけて、下世話な印象にならず、しかもヒットさせてしま うのは中森明菜だけだよ。

 蛇足。
 ここ20数年の、女性の、自らのセックス表現をめぐる試行錯誤。その結果、漫画の世界では、女性のためのポルノグラフとして、レディースコミックやらボーイズラブ(やおい)やらティーンラブやらが生まれたわけで、この明菜の展開はけっして孤立無援のものではないんじゃないかなと、つけくわえとく。 ただまあ、漫画のああいったのは、男性原理のネガでしかないのが多くて、少々閉口気味です、私は。
(記・08.07.04)


◆ 松本隆の語る「落花流水」

 松本隆の「風待茶房」をうろうろしていると、中森明菜の「落花流水」に関するテキストを見つける。

 http://www.kazemachi.com/cafe05/kisetsu/kisetsu_main_004.htm

 「落花流水」がクミコの作品に近い位置というのが、一瞬、え、という感じ。ちょっと意外だ。 とはいえ、クミコの歌った「鳥の歌」なんて、明菜が歌っても、いけそう。
 松本隆は、90年代の作品からクラシックとポップスの融合をどこか念頭においているように感じられるけれども( 詞作に関しても古典文学を意識したものが多かったりするしね )、 そういう作品を明菜でも1枚、アルバムで残してほしいよなぁ。
 わたしがプロデューサーだったら、全曲松本隆作詞・書上奈朋子作編曲・中森明菜歌唱でクラシックを基盤にしたエレガントでアバンギャルドでエロティックなアルバムを作ってみたい。っていうかただひたすらにそういうアルバムがわたしは聞きたい。

 あ、そうそう、アルバムバージョンの「落花流水」、ミックスを変えて弦の音を前に出し、さらに幻想的なアウトロとイントロをプラスしたことで、しっとり感が一気にアップ。 これはかなり正解。この曲の持つ世界観をほぼ100%表現できているんでは。 エレガントに淫ら。これっすよ、これ。
 って、日記でネタを小出しにせずに、いい加減きちっと「Destination」のレビューを書きたいわ。

 ところで、「落花流水」の本当の意味って、なんなのでしょうか。松本先生。
(記・06.10.24)


◆ 明菜と由貴は、腐女子のアイドル?

 ひさびさにテレビで斉藤由貴を見た。
 吾輩のころより痩せた ?
 てか、ちょっと痩せて髪の毛をアップにした斉藤さんは、ほとんどあのころのまんま。 精神が安定しているからなのかな、自然な若々しさが漂っていて、でも年齢分落ち着いたところもあって。ああ、やっぱ好きだわ。
 猫森集会、愉しみだなぁ。

 私にとっての本当の意味でのアイドルは、実は「中森明菜」と「斉藤由貴」このふたりきりなのだ。
 仕事のクオリティーとか、ビジュアルとか、そういったところとは別次元で好き。マインドの部分で受け入れちゃっている。
 どんな変てこなことや大きな失敗をしでかしても、ぶっさいくな格好していても「いいよいいよ」「わかるわかる」と身内感覚で受けいれちゃう。
 基本わたしはマインド萌え傾向が強いので、どんなアーティストや作家、アイドルもそういう風に愛でがちなんだけれども、このふたりに関しては格別。 なにやらかしても全然揺らがす応援していられる。
 むしろ「うちの中森が」「うちの斉藤が」感覚で勝手に周囲に弁明や謝罪をしたくなっちゃう。
 ふたりとも天然さんで思ったことしか言わないので危なっかしい言動に事欠かないので、そういうのばっかなんだけれどもね。

 それにしても、明菜と由貴ちゃんっていうまったくベクトルとして繋がりが見出せない二人( がんばって、ポニテ繋がりくらいしかねーし )が私にとってのマイベストアイドルなんだろう―― と思っていたら、腐友hisui嬢が「中森明菜と斉藤由貴って、当時の腐女子の人気女性アイドルだったよね」と。
 「え、そうなん」
 「うん」
 「由貴ちゃんは萩尾望都の大ファンだし、ガンオタだし、漫研部長だし、JUNEストだし、おもいっきりマインドが腐女子傾向だから、それはわかるけれども明菜も ? 」
 「うん。明菜も。斉藤由貴ちゃんは「わかるわかる」っていう共感の対象で、明菜は憧れの対象って感じ。今でいうV系アーを愛でるのと同じ感覚で好いとったよ」
 「へー」
 「明菜、コスプレイヤーだしね」
 「あぁ、そうか」
 てわけで、由貴と明菜は全然繋がっているそう。
 てか、おれ、小学生のころから心根は腐女子だったのかよっっ。そっちのほうが驚きだよ。

 ってか、そういえば、清春の今度のシングル明菜の「TATTOO」のカバーなんだってね、hisuiさん。 と、今日は散漫に終わる。
(記・07.06.29)

2008.01.12
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