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芸能生活25年目突入記念

対談 「中森明菜の魅力を探る」


【目次】

1.  明菜サイト管理人になるまで
2.  マイ明菜ファン史
3.  淋しさと引きかえの表現力
4.  「日本の中森明菜です」
5.  ひらめきとムラ気の自己プロデュース
6.  明菜は語れないし、語らない
7.  「不思議」の挑戦
8.  中森明菜の求める表現
9.  「TO BE」は『不思議』の解決編?
10. そして「Resonancia」へ
11. 変化し続ける明菜の不幸
12. 萌える明菜、「2003LIVE」編
13. 瞬間で魅せる明菜
14. 見て、聴いてこそ、明菜
15. メモリアルイヤーへの期待
16. これからの明菜
17. ひたすら願っています
18. 「25年目突入、おめでとうございます」



まこりん(以下M):こんばんは。「まこりんのわがままなご意見」のまこりんです。
TAI(以下T):こんばんは、はじめまして。今は「Marionette」という明菜サイトやってます。TAIです。
M:こちら、TAIさんをお呼びしまして、久々の対談企画っっ、テーマはもちろん「中森明菜」で攻めて行こうということで、とうとう対談企画の本丸という感じなのですが……。
T:明菜サマの魅力に迫る! と。いやあ、いいですねえ。
M:すばらしいです。明菜様最高です。って、いきなりここで結論出すのもアレなんですが。
T:最高、ってそれじゃあ信者みたいじゃないですか。
M:信者じゃないの?TAIさんは。
T:信者…かもですね。:思いのほか、彼女という存在に感動をさせられ続けて、早20年以上…
M:信者でいいんですよ。素直になれよっっ。

明菜サイト管理人になるまで

M:えーと…TAIさんって誰なん? ってお思いの方もいるでしょうが、その昔「ACADEMIC AKINA」というサイトを運営してらしたのがTAIさんなのですね。
T:はい、そうです。
M:この名前を聞けば、「あぁ」とお思いになるネット歴の長い明菜ファンの人も多いんじゃないかな。
T:まあ、インターネットがちょうど広まっている頃に、第二のマイ明菜ブーム真っ最中でして。若気の至りで評論サイトを立ち上げてました。結構、色んなファンの方々に見て頂いたでしょうか。
M:あのサイト、いつぐらいの時期にやってましたっけ。 何年頃?
T:えっと、多分1998年か99年頃から。4年くらいやってましたね。
M:そうなんだ。私は、ちょうど末期なのかな、そのサイトと出会ったのは。ちょうど「歌姫2」の頃だから。
T:あ、そうでしたか?
M:確かそのちょい前くらいという記憶。
T:ちょうど私、「FELICIDAD」のライブビデオにはまってまして、それで熱にまかせて自分の好きなことを好きなように語りまくった記憶があります。
M:明菜の楽曲レビュー系のサイトの古参という感じで、楽しまさせて頂きました。
T:いやあ、まだ誰もやってなかったというだけで。少しは、楽しんでもらえてましたか?
M:そんな自分を卑下しないでっっ
T:今見ると、いやあ青臭くて。はずかしい〜〜〜んですよね。
M:や、そんなもんっすよ。私も開設当初のテキストとか、隠蔽したいし。
T:ははは。でも、まこりんさんに見てもらってたというのは、とても嬉しいですね。
M:まあ、そんな「ACADEMIC AKINA」を見ていたまこりんさんは、長じて「わがままなご意見」を設立するわけでして…
T:光栄です。
M:ちょうど、時期的に入れ替わりって感じだったのかな? そんなわけでこの明菜対談で、TAIさん、登場、と。

マイ明菜ファン史

T:その頃からずっと、まこりんさんは変わらず明菜ファンで?
M:えーーー。私はずっーーと明菜ファンですよ――。なにいってるんですかーーっっ。
T:いや、私は一時期遠ざかっていたもので…。「APPETITE」を聴いて、まるでエジプトの王墓を発掘したときのような感動を覚えたものです…(遠い目)。
M:ええーーーっ。あんた明菜を捨ててどこいってたのよっっ
M:じゃ一時、完全はなれていたわけです?「APPETITE」に出会う以前…90年代中頃あたり?
T:90年代は、ちょっと他のことに興味がいってたもので、
M:なななんだとーーーーっ。いきなり衝撃のカミングアウトですかい。
T:月華が中ヒットした頃、たまに見たくらいで。あ、これ、な、内緒で!!
M:ないしょってあーーた。
T:オフレコ!
M:人に見せるの前提なのにっっ
T:ははは。なーんってね。
M:はぁーどっこい。――入れといてみた。お約束で。
T:でも、明菜サマから離れていたこと後悔しましたよう。後で90年代のシングルアルバム、買いまくりましたもん。
M:TAIさんの明菜ファンの歴史をひも解くと、どんな感じなの?
T:古くは子供の頃から。年がばれるけど、保育園児の頃、テレビの前で「禁区」とか「十戒」を踊って喜んでいたという姉の証言が…。
M:ははは。
T:割と、子供の頃から刷り込まれてるんですよね。
M:私も「少女A」とか「北ウイング」とかは、ファン以前の頃――ってか、幼稚園〜小学生って頃で…ファンという自覚もなにもない時期だったのに、きっちりフリを含めておぼえていたし。当時の歌謡曲パワーでなぜかかっちり知っていた、という。
T:フリはね。やっぱ子供ながらにカッコいいんですよ。明菜様は。
M:あーー、そうねーー。真似したくなる感じだよね。
T:そう。子供が、出来ないと分かっていてかめはめ波を打つ真似をする感じというか。パワフルかつリズミカルで、ツボにはまる。
M:そういう時期を経て、こりゃ「ファン」だなって自覚する頃ってあるわけやん。「この思いは一体なんなの?」みたいな。「テレビの歌番組のひな壇でちっちゃくうつっている明菜を見ている俺」みたいな。それっていつぐらいでした?
T:本気で自覚したのは、「ACADEMIC AKINA」を開いてからですね。萌芽は、高校くらいかな。TVで見ると、無意識に注目してしまうとか、はありました。わりと遅いかな?
M:すげーーー。じゃーーアレだ、「APPETITE」から本気ファンなわけ?
T:やっぱりファンって、自分からCD買ったりしますよね?
M:うん。
T:それを考えると、やっぱりあの時期なんですよ。それ以前は他のことにお金使ってたから。
M:へーー。なんか他の歌手のファンとかしていたとか?
T:それが、あんまりないんです。私そのへんの好みが非常に偏ってて、日本の歌手で本気で集めようと思うのは明菜様だけ。あとは、気まぐれかカラオケ用。
M:へーーー。私は、まぁサイトでぼちぼち言っているけれども、自覚して明菜を見るようになったのは「TANGO NOIR」の頃で。「明菜だから、見る」って感じで歌番組チェックするようになって、で、中学生になって、お小遣い増えて、CDレンタルショップの会員とか自分名義で作れるようになって、ステレオも買ってもらって、で、明菜音源を漁るようになって、って感じかな。はじめて聞いたアルバムが当時新譜の「CRUISE」。
T:ははあ。私は実は、子供の頃歌番組あんまり見てないのですよ。親が「9時以降はTV禁止」というポリシーでして。「夜ヒット」は…田舎だから映ってなかったかもしれないし。
M:じゃ、80年代の明菜様の勇姿をリアルタイムで見たことない、と。
T:いや、おぼろげにはありますよ。「トップテン」かなんかで見た記憶が…。
M:でもおぼろげなのね。年齢以上に、思いっきり後追いファンなんだ。
T:まあ、後追いですね。
M:まー、子供だとね。せっかく歌番組見ているのを、勝手に親が時代劇とかニュースにチャンネル変えるし。それを子供だから「明菜出るんだから、変えないで」とか恥ずかしくていえないわけで。
T:ただ、姉が買ってきた「BEST1」とか、「AL-MAUJ」とかを結構聞いてた覚えはあります。
M:でも、本当、アレだね。転校したっきり音信不通の小学校のクラスメートを、偶然上京した先で見かけて、また親しくなっちゃう、みたいな、そんな感じなのね。TAIさんにとっての明菜サマは。出会いが二度ある、というか。
T:そうそう。まさしく「プリマダム」の明菜-黒木状態。二度目で深くはまると。
M:どこにぐっときたの? その深い二度目のいきさつとやら、聞きたい。
T:ナンでしょうね、大学生でブラブラしてて、ふとしたきっかけで、買ったアルバム…確か、MCAの「SUPER BEST」ってやつ。あれを買って、一気に覚醒したんだ。と思います。
M:ふえーーー。意外なところでファンって掴むもんだな。
T:あとは、坂道を転がるように。ほんと、きっかけは何でもないところで。
M:へえーーー。
T:まこりんさんは、小中学生の時からずっと連続状態なんですよね。
M:そうですね。連続している。途中興味の振幅はあるけれども、明菜が今どんな活動をしているのか、ってのは、きちんと追っかけてる。新譜も発売日買いだし。
T:各時代のポイントでの想いを記事に残しておられますもんね。意識はずっとあったと。
M:うん。ただ、小学生の頃は、手持ちのお金もないし、歌番組をつけたら明菜出ているし、で、テープとかCDとか買うことはなかったけどね。
T:なるほど。でも、それ以後は、他の歌手と並行してですもんね。すごい、エネルギー要りそう…。
M:や、まあ、根がミーハーなんで。でも、明菜サマは、わりと別格というか、明菜は別腹って感じ。乙女にとってのケーキみたいなもので。
T:なるほど。いい例え。
M:満腹でもいくらでもいけるよっていう。
T:やっぱり、特別、性に合うというか、惹きこまれる魅力があるんですよね。私にとっても。もうこれは、音楽性云々以前に、やっぱり相性と言うものなのかしら、とは思います。半分は。
M:そうなんかね?
T:もう半分では、相性以前に、万人に訴えるはずの魅力があるにも関わらず、世間に理解されていないんだ、という確信もあります。…って、もうこれはもう信者の発言だわ…。
M:や、もう、歌っている明菜サマの魅力がわからないやつなんて、ダメダメっすよ! 人としてどうかってなもんですよ。おこちゃましゃべりする明菜サマとか、ああいうのは理解されなくてもフツーですけれども。
T:まあ、私の同級生には、世代的にちょっと難しいんですがね。
M:んなこといったら私もそうだよっっ。「明菜? 『DESIRE』の人ね」っていう。
T:あの曲は、人口に膾炙しすぎて、逆に本来の魅力自体を語ってもらえない部分があるよね。

淋しさと引きかえの表現力

M:歌っている明菜サマって、好き嫌いは別として、有無を言わせぬパワーってありません?
T:ある!「あの映像をみせれば、今違う音楽にはまってるやつらもきっと刺激されるはずだ!」と思うことは多々あります。
M:「私はファンじゃないけれども、認めざるをえない」って非ファンに言わせる。そういう力はありますよっっ。てか、明菜サマはそれで歌手としてのし上がったんでないかなぁと、わたしは思っとりますよ。当時の「ベストテン」とか「夜ヒット」の映像、改めて観るにすごいじゃないですか。
T:ほんとに、あれはすごいですよね。思わずTVの前で正座してしまうくらい。
M:ああいう映像をほぼ毎日見て、私はファンになったのですよ。こりゃ、もう、ファンになるしかないか、と。
T:それは仕方ない。
M:あの、なんていうかな「今テレビを見ている全員を魅了させてみせる」っていう気迫?
T:そう。声量もあったけど、でもそれだけじゃなくて、ぼそぼそとした囁き声にも確かな力があって。ほんとに、力強い。
M:わずか二、三分で今自分の手札にあるすべての魅力をね、一気にドバーーっと放出する。狙った獲物は逃さない、ここにいる奴全員落してみせるっていう、そういう能力がものすごい。アレは、否定できないよ。
T:なるほど。
M:たとえ中森明菜個人が嫌いだとしても、否定できない、っていう。
T:なるほど。客観的に見たとしても…その部分は確かにある、と。
M:あるんじゃないかな。そういう、ちょっと紙一重的な天才だと、わたしは思うな――。
T:紙一重、とは?
M:結局、その才能って、本人のコンプレックスの強さの裏返しだと思うんだよね。フツーでいるのが不安だから作りこんでしまう、というか、寂しいから人から認められたいから温かい視線を離したくないから、有無をいわせない、っていう。だから中森明菜は、完成度が高ければ高いほど危うさが出てくる。
T:心が餓えているが故の、強い欲求、というか感覚の発露だと。そんな感じなのでしょうか。
M:まーーそんな感じなのかな、と。
T:情念の歌手って感じするものね。演歌って訳じゃないけど。
M:だから、その劣等意識とか、愛され欲求とかが、いい形で昇華されるといいんだけれども、それがよからぬ方向へ…ってのもあるんだよね。特に歌っていないときの明菜さんは、そっち方向に傾きがちだし。
T:ええ。
M:ただ、ほんと、歌わせると、全部それがプラスに転化するのだから、やっぱ生まれもって歌手にしかなれない人なんだなぁ、と思いますよ。
T:それも、天才ゆえのものですよね。ゴッホみたいで、強いエネルギーを自分で制御できなくて。
M:うん。
T:でもやはり、それが作品に込められると、とてつもなく美しい。
M:だから声が出ない、とか、オケがへぼい、とか、そういう次元とは別にもう成立している世界があるんだよね、明菜の場合。もちろん、客観的な技術とかそういう部分で、ここが足りないあそこが足りない。それはわかるけれども、「それでもこれ、表現として成立しているよな」という。
T:一連の作品や舞台を見ても、アラが多くて明らかに天才肌だけど、やはり明らかに魅力的。完璧でなかろうと、一点突破だろうと、彼女にしか表現できない空気というのがあるのよね。
M:他の歌手が技術の修練を重ねて重ねて、それでも手に入れられないもの、そういうものをすっと、手にしちゃうんだよ、明菜さん。それ以外がメロメロだとしても、この一点が、もうとてつもない財産。それを求める為に、みんな四苦八苦してるのを「なんで?」っていう。
T:ある意味、それは彼女の癒えない渇望と引きかえなのかとも思うけど、これも彼女の運命なのかなあ。
M:って、なんかもういきなり核心に入っていますが。

「日本の中森明菜です」

T:私は彼女の歌を割りと表層的・感覚的に受け取ることが多くて。
M:はい。
T:まこりんさんみたいに、彼女を歌謡史の確かな一地点として跡付けたりしたことないんですよね。まあ、サイト見てもらえれば分かるけど。
M:や、そんなことしてませんよ、わたしは。
T:いやあ、まこさんの記事はいいですよ。美空ひばり、山口百恵らがいて、ちゃんとその流れの中に明菜様いるんだ、ってちょっと感動しながら読みましたもん。
M:って、誉めてもお金あげませんからっっ。…でもやっぱり、明菜サマって「日本の歌姫」って感じしません? 非常に日本的というか。
T:確かに。
M:日本的だけれども、世界に通じる魅力というか「日本の中森明菜です」って世界に向けて言ってもおかしくないというか。脱日本的なエキゾチックな楽曲を歌って、きちんと世界も作っているんだけれども、最終的に「日本人」に行き着いちゃい感じがする、明菜さんは。
T:ドロドロとか、うじうじした感じとか、湿っぽいことがすごく魅力的なのですよね。
M:やっぱり「日本の女性」だな――っていう。巫女的な部分とか、情念のありようというか、すっと、海外のどこかの街角に立って違和感がないのに、でも「日本人」みたいな。どこまで言っても日本人。
T:私は洋楽あんまり聴かないから、海外の女性歌手がどういう恋愛歌を唄うのかよくわかりませんが…結局、彼女にしか表現できない「日本的なもの」って、なんなんだろうと。
M:やっぱり情緒だ思うな、わたしは。和の明菜ってのは。
T:情緒か〜。
M:で、それはそのまま「日本」そのものでなくてもいいわけで。
T:ええ。
M:例えば「月華」とか、「落花流水」とか、アレンジとしては中近東系だけれども、「和」な感じしません?
T:あれは、和を意識して作られていると思えますが…。
M:でも音はエスノ系っしょ。ところが彼女が歌うと「和」なんだよ。
T:あ、そうか。
M:「DESIRE」も音は直球歌謡ロックなのに、和服で歌っても違和感がない。それはやっぱ明菜だからこそ、って感じする。
T:音とビジュアルが違うイメージでも、それを一つの空気に纏め上げる力がある、と。
M:そこに滲み出る明菜の「和」イズムというか…。
T:要するに、歌謡曲なんだ。
M:うん。
T:日本の歴史的な、歌謡のソウルを汲んでいるわけね。
M:やっぱり中森明菜という人間性が日本的なのかな、と。魂が、もう、そうなんですよ。
T:分かった!理屈はまだしも、感覚的に分かりました。もうオッケー。
M:なんだそりゃ。
T:いや、彼女という存在が、やはりありうべくして存在していると分かったので、すっきりしました。今までの日本の歴史の延長で。日本人の心の底に訴える歌手として。
M:そうです。
T:平岡(正明)氏も、彼女を歌謡曲歌手としての最後の生き残りと論じていたんですよね?
M:そうですね。「明菜がダメなんだから歌謡界なんてダメにきまっとる」みたいな感じで。あんな才能のある明菜が潰れる歌謡界なんてダメダメだ、て感じのテイストで語っていました。
T:だからやっぱり、こう、どうしようもなく、日本人の心の底に訴えかけるものがあるんですよね。彼女の曲には。

ひらめきとムラ気の自己プロデュース

M:天才天才と先ほどから褒めちぎってますが、「今のテレビで歌う明菜、カッコよくないよ」っていう人多いと思うんだよね――。あの、テレビでいけていない明菜サマというのが切ない。ライブだと全開ばりばりなのに。正味な話、明菜さん、いつも本意気のガチンコ勝負だからさ。ダメな時はホントダメだったりして。それがねーー、なんとかならんかって時々思いますよ。
T:最近でも、ムラが多いよね。
M:うん。いい時はホントいいんだけれども、ダメな時はダメ。これは全盛期からわりとそうなんだけれどもね。
T:楽曲にも、かなり左右されると思うけど。でも同じ曲歌ってても、明らかにだらけてる時がある…。
M:だから、ちょっとは天才よりでなく秀才よりになってほしいな――と思います。
T:ライブでは、大抵素晴らしいのにねえ…。いや、それでもムラはあるか…。
M:明菜に関しては多分直感だけなのがいけないんじゃないかな―と思う。メソッドとして、言語化して確立しているものじゃないでしょ。もう瞬間瞬間のひらめきだけっていう。だから一定の水準に定着しないでムラっぽいのかな――と。
T:以前はよく、プロデューサー明菜としての能力みたいな面がピックアップされてたりしましたけど。この曲は、こう考えてこうした、とか。
M:プロデューサーとしても、ひらめき型でしょ。明菜サマは。
T:確かに。歌唱自体は、もっとそう。
M:これイケるっていう、直感でごり押し。
T:そうそう。そうよねえ。
M:だから「わがまま明菜」って叩かれるのよ。で、明菜はしょげて、「もういいわよ、じゃいいなりのお人形さんになるるから」って逆切れ。この繰り返し。
T:確かに、「明菜の英断」というと、そう決まるまでに大喧嘩したんだろうなあ、と邪推しますよね。
M:明菜のブロデュースって間違いは少ないんだけれどもね。「APPETITE」とか「TATTOO」とか「DESIRE」とか。
T:うん、まあ、勝率は5割以上。
M:これは決まりだよね、って言う、そういうのを大反対を押し切ってシングルに切るしさ。だからフツーに、きちんとプレゼンして、相手を納得させる論理とデータでもって協調すればいいのに、それが出来ないんだよ。あくまで根拠はひらめきだから。
T:ブレーンとか、援助者がいればいいのにね。そういう繋がりも作れないと。
M:まー、ブレーンはそれなりにいるんだろうけれどもね。ただ、援助者とかそういう他人頼りでなく、もちっと、自分だけで、そのあたりなんとかコントロールできんのか、と。もちっときちんとアカデミックな勉強して、相手としっかり論議できる理論を手にして欲しいなぁ、と。……ってかなりよけいなお世話だが。
T:う〜ん…そりゃ、それができれば一番だけど。出来ないからこその明菜様ですよねえ。
M:あーーー。それいいますか。
T:もしくは、年齢相応の成熟を期待する。
M:直感型の天才肌でない明菜サマなんて…っていう。徹底して直感的だからこそ、あの表現力を保っているともいえるわけで。

明菜は語れないし、語らない

T:でも、どうなんでしょ。本人、音楽に関する知識や関心は高いはずなのに。理論立てる力はないのかなあ?
M:音楽は大好きなんだよね、明菜サマ。「歌手になるつもりじゃなかった」とかいっちゃうクセして、結構マニアックに色々と聴いている感じがする。
T:そう。色んな音楽に、敏感にアンテナ張ってる感じはする。でないと、「クリムゾン」とか「不思議」とか「heat」とか、急に出ないでしょ。
M:うん。「歌姫」リリースの時も、インタビュー読んで「明菜、歌謡曲大好きっ子だなぁ」って感心したし。
T:そうですね。
M:「歌姫」のインタビュー時も、語りながら、オリジナルの歌手を分析したりしていたり。「ベストテン」とかも視聴者視線で語りまくったり、「これが良かった」とか、「こういうところを視聴者は見ている」、とか。
T:理論は弱いといっても、やっぱり、自分なりに咀嚼してるのね。気になるものについては。
M:そうそう。だから、相手にスマートにプレゼンする能力が低いだけで。
T:それが彼女の身になっているのは違いない、と。
M:うん。確実に咀嚼しているし、語らせれば、あのたらたらした明菜トークで語りまくる。
T:う〜ん、長そう。(笑)
M:明菜の「フィフティオフ」ってラジオ知ってる?東京FMでやっていた。
T:実際聴いたことはないです。ウワサだけ。
M:明菜が、いきなり鼻歌を歌いだしたり。
T:ええ?!
M:一緒に乾杯しよう、とかリスナーに語りかけたり、「ほらほら早くビール持ってきな」とか、風呂場で風呂入りながら尾崎の「I LOVE YOU」歌ったりとか、すんごいラジオだったんだけれども。
T:何か、パフォーミングアートみたいな、ムチャな構成ですね。ラジオの可能性にチャレンジしている…。
M:ほんと明菜の私生活まるだしって感じの、その日の明菜サマの機嫌に左右されるラジオで、わたしも「これ何事?」って、当時驚いていたんだけれども。
T:はい。
M:でも後年、明菜がラジオに出演して「桃井かおりの「ひとり身ぽっち」ってラジオ番組が好きだった、桃井さんのきまぐれを聴きながら、今日は機嫌悪いな――とか、悪乗りしてるな――とか、探るのが楽しかった」とかいっていて。
T:へえええ。確信犯?
M:そう。桃井流を自分のなかで咀嚼して発展的に再構築して「フィフティ・オフ」だったんだな、と。その時はじめてわかったのね。「ひとり身ぽっち」も、桃井がもういきなりラジオの前で黙ったり、すんごいラジオだったみたいなのよ。本になってて、それ読んだことあるけれども、桃井チョー自由だな、と。だから、そうやって明菜サマはいろんなものから刺激を受けて自分の表現にしているんだな、と。
T:確かに、感度は凄いと思う。明菜アンテナは。
M:自分コーディネイトでいろんなものをミクスチャーしているんだと思う。だから、明菜の魅力は、ぽっと明菜ひとりの感性で生み出したものでなくって、明菜のリスペクトする者たちが、その背後に広大に広がっているんだなぁ、と。…ただあんまり、本人がそこをいわないのがね。
T:それは、惜しいですね。
M:まあ、心憎いとも言えるけれども。だから、音楽にしても、アレもこれもあんなのも、みたいな部分があるんじゃないかな――と。ユーミンとか、百恵さんしか本人は言わないけれども。
T:ファンにも、もっと多様な音楽に触れる機会を与えてくれればいいなあ。でも、逆に「私の唄さえ聴いていればいい」でも確かにいいんだけど。
M:そうねーー。だから、「今はこんな曲聞いてます」とか、そういうのを、せめてファン会報で言うとかさ、そういうサービスくらいして下さいよ、明菜さん。
T:音楽トーク、聞きたいですよね。「今回、この曲はこう作った」とか。
M:昔っからそういうインタビューあんまり受けないんだよね。明菜サマ。
T:結局、作品を聞いて色々こっちで考えるしかない。それはそれで、楽しい作業なのかも知れないけど。ていうか、私は、明菜の歌への感動だけで割りと満足している部分もある。でもファンとしては付属情報というファングッズ欲しいよね…
M:「曲にあるのがすべてです」ってスタンスなんだろうけれどもね。さっきの「ひとり身ぽっち」にしても、まず明菜ファンは、世代からいって桃井の25年以上前の深夜ラジオなんて知らないわけで、かつ明菜の深夜ラジオを知っているなんて、ほんと何人いるんだ、という。本人はわかっているけれども、それ以外は知らないでしょ、ていう。そういうのを少しくらい「ちら見」させてもいいじゃん、明菜サマ、と。
T:私、実際どっちも知らないし。
M:だからさーー。明菜サマ、そういうところ隠さないでおこうぜ。もっと自分の才覚を表に出していこうぜ、と。なんで「不思議」のボーカルをあんなにしちゃったのか、とか、素直に語っちゃおうぜ、と。
T:ただ、今の調子だと、それを聴けるのは明菜様の老後になるのでは…という予感すらします。
M:がーーん。

「不思議」の挑戦

T:「不思議」とか、一部のマニア以外、当時聞いてる人は絶対分からなかったと思う。
M:うん。
T:というか、自分も初めて聴いたとき、困ったし。
M:でもそんな「不思議」もさ、今振り返ると、なんとなく、理由、わかるでしょ。
T:はい。それは、やっぱりあの当時には新しすぎたんだなあ、と。
M:声を言葉を音として捉えるっていう、クラブ系ミュージックとか、リミックスとかフツーにある今となっては全然おかしくない解釈だし。
T:確かに。今では、あらゆる可能性を考えられるけれども、その当時は…。ちょっと思想がバブル後まで飛んでるんですよね。
M:ま、それをエスニック系のプログレロックでやるっていうのは、今でもかなり稀有だけれどもね。今でも異端ではある、あの音は。
T:曲自体は、どれも優秀なんですよね。
M:うん。ものすごいレベル。
T:でも「Wonder」のほうが、ぐっと聴きやすい。
M:でも「不思議」に関しては、あの残響のみ、というボーカルが此岸から地獄の釜を覗き込むようなそんな怪しい雰囲気になっているわけだし、アレはアレでありかなー、と。
T:あり。大あり。まあ、中でも聞きやすい部類ってのはあって、例えば「燠火」のくすぶってる感とか、そのままいいですよね。
M:でもわたしは冒頭三曲の「なにいっているんだ」っていうのが一番ツボです。
T:冒頭で「Back door night」ってのもいいですね。あれは、妖しい。イントロから最後まで、惹きこまれる。
M:あと「幻惑されて」とか。もう声が完全に言葉になってない。ほとんど「怨霊のこだま」って感じ。
T:ただ思うのは、残響だけでも、声は声だなあ、インパクト強いなあ、って思ったです。聴きながら、なかなか、声自体楽器に溶け合うものではないな〜、と。それが、独特の魅力を持っているのは間違いないけど。
M:だから、そのあと、偽英語のアルバム「CROSS MY PALM」つくって、さらに声の意味を抽象化させるわけですよ。
T:はい。
M:もう声から言語としての実用的な意味をざくざく剥奪させるわけで。あれをね、英語に聞こえね―よってのいうのは、間違いなんですよ。あれは自分の声をバックトラックと一体化させよう、という「不思議」の延長戦だから。
T:その間の「CRIMSON」とかも、声の力を変える試みの一つなのですよね。
M:うん。

中森明菜の求める表現

T:一方で歌謡曲の魂を持ち続けながら、他方で歌の言語性を剥奪してみせる…ナンなんだろう、中森明菜って歌手は。
M:明菜の表現したいことって「アトモスフィア」なんだと思う。
T:ある種の雰囲気、ですか。
M:なんていうのかな、言語化以前の、ぼんやりと漂う、あえかな情緒というか。意識の向こうの、あるいはさらに下位の、イドのようなもの、というか。混沌としていてすべての源泉である、みたいなモノ。ただそこにあるのは確かだけれども、言葉という記号で表現できない、名づけられない何か、という。
T:思想的にポストモダンなのか、プレモダンなのか、そんなことはあんまし関係なのかな、本人の感覚では。
M:や、本人はそんな言葉で意識していないでしょ。
T:ほんと、天才肌で、感覚人間なのね。
M:まさしく直感でやっている、と私は思うな。
T:いや、まあ、そうでしょうね。でないと、あの訳の分からない爆発力の意味が分からない。
M:あえて理屈つけてみれば歌謡方向ってのはまさしくプレモダン的な志向で「不思議」なんてのはポストモダン的な志向になるわけだけれども、本人はそんな近代を超克する、なんて意識はさらさら思ってないだろうし。
T:でしょうねえ。結局は、彼女の持つ激しい感情の力が、歌の爆発力の源泉でしょう。やっぱり天才肌。
M:うん。結果、二律背反的なものがぶつかりあったりして、見ていて面白い。
T:よくよく考えたら、「歌姫」と「不思議」とかって、ありえない組み合わせだしね。
M:うん。でも、明菜っていつもその振幅でしょ。「SHAKER」「VAMP」のあと、「SPOON」だし。だから、明菜って、単に古い人でもなく、かといって新しい人でもない。
T:そういうカオスな所も、魅力。
M:それこそメビウスの輪のように、明菜の場合、「未来」と「過去」のような、相反するものが混沌とつながっちゃうんだよね。そこが凄い。
T:最近は特に引き出し広いし、「そのうちこの人、何でも歌えるんじゃないの?」って、思わされる。

「TO BE」は『不思議』の解決編?

M:いきなり関係ないけれども「オフェリア」のカップリングの「TO BE」って「不思議」〜「CROSS MY PALM」の試行錯誤の解決編って感じしません?
T:ああ〜! って、ちょっと待って、今聴いてみますので! ていうか、この曲の存在、あまり注目してなかったですわ…
M:なんだよーーっっ。
T:うーん…当時はそんなこと、まったく思いもよらず…。
M:「TO BE」って、一種トランス的なアプローチだけれども、その向こうにあるのは「不思議」イズムかな、と。ただの英語詞によるトークソングにみえて、声を楽器として、言葉を音として捉えるっていう「不思議」以来の、志向の流れを汲んでいるかな、と。全体からにただよってくる死神の鉞のような気味悪さとかも「不思議」的だし。
T:うーむ…しかし、「不思議」のむき出しな感じと比べるには、洗練されすぎている感じもするけど…、世間の音楽が追いついてきたから上手くまとまった、って感じもする。うん、確かによいですねえ。、「不思議」の音楽は確かにトランスするには独特すぎるけど。そして、全部英語詞なのですね…。
M:てか、今はじめて聞いたみたいなリアクションはなに?
T:いや、だってねぇ、最近このシングル聴いてなかったし、当時の私には分かりませんでしたよ。残念ながら、ほぼ素通りしましたよ、ってここ、オフレコね。
M:声とか言葉とかそういうのを混沌とぐたまぜにして「音源全体から漂うイメージを感じ取ってください」っていう。ただのリミックス作品に見えてこっちが明菜の本編なんじゃ?って私は思ったのにぃーー。時代がやっと明菜に追いついて、自然な形にまとまったよ、という。
T:そうですよね。その通り。あはは……。
M:ってか、前々からひっそりこのことは思っていたんだけれども、ネットの明菜ファンの皆さんははこの曲ずっーーとスルーしていたから、ちょっといってみただけ。「不思議」の明菜は、こんなところにいましたよ、と。
T:すごいなー、明菜様…。いやでも、こんなところにそっと入れられても、気付きませんって! おもむろすぎて。
M:えーーーっ。
T:むしろ、「不思議2」を出して欲しい。

そして「Resonancia」へ

M:や、だから、「TO BE」聴いて、今「不思議」をやるとしたら、こっちのクラブ系でいくんだろーなぁ、と私は思っていたのね。そんな矢先に「Resonancia」が来て、やっぱりね、と。
T:「Resonancia」はあれ、また歌詞が割と記号的なんですよね。
M:あれも言語の意味性剥奪アルバムでしょ。ボーカルはしっかり定位しているけれども言葉の意味がない、という。
T:つらつらっと流れるようで、キレイな言葉を並べてあるんだけど、別に難破船のようなドラマやメッセージがあるわけじゃないと。「CARNAVAL」とか、しょっぱなからそうだし。
M:ボーカルをボケボケにして言葉の意味を霧散させる挑戦は「TO BE」で明菜的には。
T:卒業したのかな。
M:うん。で、次は、はっきり日本語で歌っているのに言葉に意味のない歌へ、っていう。で、「Resonancia」なのかな、と。
T:「CROSS MY PALM」よりはイメージを喚起させるよう、日本語にはなってるけど、と。
M:うん。だから明菜的にはきちんと繋がっている、と私は思うのですねっっ。
T:繋がっているですね〜…ばっちり…。しかも流れ上、確実に、洗練されていってるし。
M:確実に階段一歩ずつあがっていっているわけですよ。
T:自分の中で起こった問題を、徐々に処理していって、自分の解答にしっかりと近づいている…。
M:それがみんななぜわからんかなっっ。ぷんぷんっっ。
T:普通わからないっすよ。私は先に言ったように、明菜様の歌のディテールを一生懸命追いかけて感動してる人だから、そこまであまり深追いしなかったですし。
M:深追いっすか、おれ。
T:まこりんさんは、そこに込められた意味をきちんと解きほぐしているのでエライ。というか、感動しました。すごい!

変化し続ける明菜の不幸

M:だからねー―、明菜のことを「ただの元アイドル」とか「イタいオバサン芸能人」とか、そういう目で見る人とか、どうなん?と。「不思議」以降のセルフプロデュースのアルバム、聴いた?と。 わたしなんて根がミーハーですから、つまらないアルバム三枚つづけばあっけなく過去の人にしますよ。それを今まで追っかけているって言うのはやっぱり、それだけのクオリティーと、変化を示している。その証左ですよ。
T:それは、そうですね。明菜節を自己再生産されるだけでは、飽きたかもしれない。
M:うん、飽きてた。「うわあぁぁ」って、いつも語尾が「あ」だな、とか、いってた。絶対。
T:そうでないから、ここまで来れたわけで。自他共に。
M:だから、歌手・中森明菜の一番の不幸は、「当時の明菜が見たい」ってファンが数多いことだと思う。
T:もう一度明菜節を、と。
M:うん。明菜が変わっているのに、聞き手は変わっていないのね。
T:もたもたしてると、置いてかれちゃうぞ、と。
M:結構明菜さんって、新しい表現法を手にするためなら、今までの手札をあっさり捨てる人だからね。
T:しかしねえ、世間も彼女を懐メロ歌手と扱うのは辛いなあ。勿体無い。
M:まー、確かに、かつてあれだけの影響力を持った人だからそれはわかるけれどもね。
T:確かに、仕方ないといえば仕方ない。
M:だからさーー、ナツメロ歌手の「中森明菜」で活動しながら、覆面歌手として活動を、って、声でわかるか。
T:まあ、もともと振り幅の大きい歌手だし、歌に関しては二足三足のわらじでいけますわな。
M:だから、ホント、歌手としての可能性っていうのはまだまだあるな、と。道はまだ長いな、と。過去の中森明菜に振り回されないで、活動して欲しいな、と。そう思いますね。

萌える明菜、「2003LIVE」編

T:なんか最初から、「歌手・中森明菜」という存在について語ってますが、各曲論とか。
M:あ。じゃ「一番萌える明菜はどれだ」的な話にしましょう。まぁ、わたしは明菜サマはなんでも好きなんですけれども。
T:やっぱり最近で言うと2003LIVEなんですけどね〜。第3部。
M:アレは、よいよい。
T:なんせ、これのおかげで第3次マイ明菜ブームですから。
M:1部も好きだけれども、「燠火」から「薔薇一夜」までが一番いいですよね。
T:生で見たら本当に感動しましたよ。と、ちょっと自慢を。
M:明菜サマは、ツアーでは結構ライトユーザー向け選曲をしがちなんだけれどもあれは、ほんとよかった。オーラスにメドレーとかいいから、これからはこういうのにしよう、と。
T:うん。87年当時、夜ヒットでマリオネット踊り狂ってた頃は、多分周囲はポカンだっただろうけど。ゴールデンタイムにあんなに濃いパフォーマンス見せたら、周りは困ったと思うんですが。
M:夜ヒットって、結構とんでも演出多かったですよね。「えーーっ、そういうことする?」みたいな。でも「マリオネット」はすごかったよね。
T:魔女でした。いや、踊らされてる方か。ああいう幻想的なイメージも、軽くこなせるのが、明菜の世界だな〜、と。
M:明菜さんはねーー、ああいう虚構然とした虚構がいいんだよね。「もしかしたらわたしにも」的な世界は松田聖子さんとか、今井美樹さんに任せればいいわけで、これからも「どれだけ絵空事なんだ」という、そういう世界にぶっ飛んで欲しい。
T:江戸川乱歩張りに、嘘くさい世界をもっと提供してほしいです。あれは、やっぱり明菜様にしかできんわね。
M:衣装もね――、もうどんどんゴテゴテのコスプレ路線で。
T:あのヒラヒラ、よかったですよお。袖の。
M:明らかに舞台衣装としか言いようのないそういう服はなんでもにあうよね、明菜サマ。で、普段着が逆に変だったりするんだけれども。
T:割と私、そういう細かいディテールにいちいち感動するんですよね。ここのギターがいい、とか。
M:はい。
T:「燠火」のゆら〜とした踊りがいい、とか、「月華」の表情がいい、とか。好きなところは、ホントにオタク的に観察しますんで、私。
M:だからそれこそ、瞬間瞬間で聴衆を魅了する明菜サマの本領発揮ですね。もうみんな虜にしちゃうから、っていう。
T:そう。手をくるっと動かす動作すらも、美しい、と。
M:あぁ、「月華」ね。ってわかる自分も相当だが。

瞬間で魅せる明菜

T:まこりんさんの方でこれは! という作品とか映像、なにかあります?
M:わたしはホントなんでもいいわけですから――。ただ、明菜さんのあの舞台での所作、あれは、本当、どこで勉強したのかな――と、不思議。
T:ああ。
M:いわゆる正統派のダンスでもないし、高度なことはさしてしていない、わりにたやすい些細な動きなんだけれども、すごい、ドラマチックなんだよね。 ただフリの通り踊っているなんてのとは全然違う。ここぞ、という時に、ここぞ、という感じで決めてくる。もう、見るからに決定的、っていう。その瞬間を見抜くってのはなんなんだろーか、と。
T:やっぱりいくらかは天性のものじゃないかと。
M:ひとまずアイドル畑で明菜みたいな人は他に一人もいない。日本のポップス界でもメジャーにいるか?という。
T:カメラさんが今回よく撮っているけれども、やっぱりふとした時の表情とか仕種、すごくいいんですよね。これは、技術じゃないし、やっぱり歌ってるときには何か、歌の魂みたいなものが乗り移ってるとしか…。
M:うん。そうだよね。カメラさんもえらい。それだけ、ぐっとくる感じなんだろうけれどもね。「ここを見て」っ明菜がシグナル出しているから撮っているって言う感じなのではないでしょうか。
T:きっと、あのカメラさんは、明菜ファンになったはず。
M:当時の歌番組のカメラさんも、絶対明菜撮るの楽しかったろうなぁ。勢いがすごいもの。
T:勝負でしょう。ある意味。カメラが食われちゃうんじゃないかと。
M:魅せる、ということに関してはハンパない、明菜サマ。もちろんお互いの信頼関係もあってなんだろうけれどもね。毎週出て、映してりゃ、っていう。
T:一人でも大変なのに、陽水と競演してたりしちゃあ、もうどこを撮っていいのやら。あの頃はほんと、色んな企画ありましたもんね。
M:うん。そんな明菜のホームだったテレビスタジオが、いつの間にやらアウェーになっちゃったのが、ちょっと哀しいですが。 個人的には、どの時代にも明菜はいい仕事を必ずなにか残しているので「これ」っていのが示しにくいんですが、88年と94年のライブビデオはこれは見といて損はないかな、と思います。 って、萌え語りしにくいなーー。「FAREWELL」のアウトロで体をねじって、手で顔を隠すところが萌える、とか、言い出すとキリないしさーー。
T:そうですね。
M:Mステの「夢のふち」でぜいぜいいいながらものすごいビブラートいわせるのが萌える、とか。
T:「夢のふち」は凄かった。あと、94年の「ミ・アモーレ」は、個人的にベストテイクでした。
M:あれはフリ的には間奏でスカートパタパタいわせるのがいいよね。

見て、聴いてこそ、明菜

M:とにかくどんな明菜の曲でもいいけれども明菜は「見て聴いてこそ明菜」っていうか、音源だけでもきちっと成立しているんだけれども映像が伴うと魅力が倍加する。
T:それは、間違いなく。
M:だから、明菜を判断するのは、見てからにしてね、といいたいし、レコード会社もさ、映像のベスト盤出したほうが絶対いいのにな――、と私は思う。
T:ああ、それはそう。
M:ワーナーとユニバーサルの二種でレア映像含んだBESTDVDとか出たら、買いますよ、私は。
T:TV映像とかも、いいとこ抜き出せば相当のものになると思うし…TVはムリかも知れんけど、他にも、例の幻の86年ライブとか。
M:あと87、88、91年のライブの完全版とか未発売PV。
T:結構ありそうですよね、探せば。
M:そういうの、かきあわせれば、なんとかなるかな、と。とくにユニバーサルなんてMCA時代の未発売のPVとか、いっぱいあるやん、と。
T:シングルのは、カラオケ屋でしか見た記憶がない。ほんと、勿体無い。
M:それに03年の「マリオネット」とか94年の「ミ・アモーレ」とか、97年の「Fin」とか、ライブのベストカットを色々足していって、BESTDVDつくるの簡単やん、と。
T:うう…全部持ってるけど、あったら買いますわ。それ。
M:これみれば一発で明菜のFANになりますよっていう、そういう必殺技みたいなDVD見たいじゃん、てかそれを使って布教したいやん、と。
T:うん。世間に知って欲しいですよね。というか、知らなきゃ日本人として勿体無さ過ぎる!という、信者的なことも割りと本気で思いますねえ。
M:まー、そういうところが下手なのが明菜サマなのかな、とも思いますが、スタッフは、フォローしろよ、と。
T:ヘタなBEST盤出す暇と予算があればねえ。
M:ねーーー。ボックスとか別にいいからそっちにしてよ、と。
T:いや、ほんと。
M:映像の明菜を出せ、と。今年から来年にかけては25周年メモリアルなわけでそういう商品展開とか、一番しやすいのにさーー、なんで倉庫の中を漁らない、ワーナーとユニバーサル、と。
T:そうですね。メモリアルグッズも未公開映像あったら、案外売れますよ、これ。
M:ひとまず明菜のFANクラブ会員分は捌けるでしょ。
T:たぶんそれ以上は。話題性あるし。
M:歌番組の映像は色々権利があってめんどいのわかるけれどもね。編集したライブビデオの完全版とか、再編集の労力以外そんなに大変な感じしないよ。
T:別編集版とか、買いますね。私。2003LIVEとか。
M:すげーーな、おい。
T:まあ、そのへんまでいくと少しマニアックかな…。あの時の感動を追体験したくてたまらんのですよ、私。
M:とにかく今年はメモリアルイヤーなのでちょっと踏み切ってくれろ、と。ユニバーサルでもワーナーでもいいけれども。

メモリアルイヤーへの期待

T:そう。新アルバムもでるし。ツアーもあるし。今年は、楽しみな年なんですな。
M:そうですよ。
T:一体、どんなアルバムになるんだか。
M:ねーーー。久しぶりだし。
T:ツアーも、それを踏まえたものでしょ。
M:シングルから見るに、打ち込み系のネオエキゾ路線というか、そんな方向かな、とか。でも「ビタスイ」とか「アンバラ」みたいななんでもあり系かな――、とか。
T:それとも、さっき話したように、近年の明菜様が着々と新しいステージを登っているところをみるに、今度も新しい挑戦を、してくれるのか?
M:無茶する明菜もまた、よし。
T:また「SHAKER」みたいな大安定盤を出してくれても良いし。
M:あれは一番安定しているね。90年代のBESTだ。
T:「SHAKER」は、時代性と、娯楽性と、芸術性と、とてもよくバランス取れていると思ったので。
M:うん。
T:聴いてて、時代を外れてないっていうのが、自分的に大きい。

これからの明菜

M:現在の明菜サマの話にたどり着いたところで、今後明菜サマに期待することとか、語ります? こんな明菜が見たい、という。
T:ううん、なかなか難しいですが。まこりんさんは、何かイメージあります?
M:個人的には、歌を歌ってくれればそれでいいんだけれども、もっとトラッドな方向の歌をこれからは歌って欲しいなぁ――とか思ったり。
T:トラッド。過去も踏まえて、歌らしいうたを、と?
M:例えばいろんな民族音楽とか、掘り下げてもいいかな、と。「エキゾ風」でなく、一回本当にしっかりとやってみるのもいいかな、とか。
T:まあ、エキゾ風もある程度、やりつくした感もあるし、新しい異国をもう一度旅してみるのもいいか、と。
M:だから、本当に民族に染みついた歌ってのは、どういうものかっていう、そういうのを肌で感じるのも、いいかな、と。実際に旅してもいいし。砂漠の遊牧民と一週間暮らすとか、本当にしたっていいし。
T:モチロン、比喩的な意味でもありですな。
M:うん。文献や音源を漁りまくるのでもいいし。
T:でも、実際やったらすごいかも。
M:結構、明菜サマってそういう行動力に関しては欠ける嫌いがあるようにみえるし、そういうのも含めて、一度体当たりでつっこんでみては、と。
T:なるほど結局、一つのテーマであったところの「曲と声の関係」についても、ある一定の答えを得た訳だし、まだまだ自分の音楽を掘り下げようとすれば、そういう風になるのかも。
M:まーでもわたしは、明菜が歌うつもりでいるならなんでもいいっすよ。
T:おお。ファンとしては、そうですよね。これからの変化を見るのが楽しみと。
M:気難しいおぱぁちゃんになっても、声が変わっても、昔の歌が昔のように歌えなくなっても、全然かまわない。その時々の今の自分の歌をきちっと歌っていれば、それで、いいよ。
T:最近は安定してるから、安心してみていられますよね。
M:一時よりはだいぶね。

ひたすら願っています

M:で、TAIさんの希望的にはどうよ?
T:そうですねえ。前に、「APPETITE」を「FAN」かなんかで初披露した映像があったですけど。
M:はい。
T:あれが、声が出てないくせにとても好きなんですよね。
M:それはなぜ。
T:本人、すごく楽しそうにノッていたで。
M:ははは。
T:自分ですごいお気に入りだと言っていたのは、本当なんだなあと。
M:はじめて聞いた瞬間から、アレは好きだろうなぁ、とは思ったよ。やっぱジャジーな方向が好きなんだよ、明菜サマは。「TATTOO」とかさ。
T:そうそう。だから、まあ、彼女の本分が発揮されるかどうかは、つまるところ楽曲のよしあしにも関わるわけで、でもシンガーソングライターじゃないから、人の作った歌を選ぶわけで。だから、まあ、彼女の目を開かせるようないい歌が、集まってくれることを祈るわけですよ。
M:あ、明菜サマには、是非とも作曲の基礎の勉強はなさって欲しいっっ。その発言で思い出した。
T:作曲。作詞だけじゃなくチャレンジしたら、新境地かもですね。
M:やーーー、作曲まではしなくていいよ。聖子ちゃんが作曲するようなものだ。って、聖子ちゃんは一時期作曲までやっていたわけだが。
T:いや、聖子にできて、明菜に出来ないはずはない!
M:聖子ちゃん、別にできてなかったからいいよ。作詞も作曲も。そこは、はりあわなくて、いいよ。
T:でも、明菜さんが曲作ったら、多分、すっごい暗いメロディーになるかもしれないなあ。歌詞は暗いし。
M:うん。
T:それはそれで聴きますが。
M:ま、自分で作曲しなくていいけれども、イメージでなく、具体的にこういうリズムとアレンジで、ってのをきちんと発注できるようになった方がスムーズでトラブル少なめでいいかな、と。
T:あはは。それか。
M:直感的な発注でなく、と。まーとにかくTAIさんはいい曲来ますように、と星に願いをかけている、と。それがすべてだ、と。
T:思うのは、明菜様に力を与えるのは、やはり曲の力も大きいでしょう。 だから、歌手一人の力量もあるけど、そっちも同じくらい大事じゃないですか。
M:うん。
T:声も聴くけど、曲もアレンジも味わうものですからね。だから願いを掛けます。というか、ちゃんと戦略立てていい曲を書いてもらってください、明菜さんとスタッフの皆さん。というか、だから、まあ今度のアルバムを楽しみにしてます。と。
M:って結局それにつきるわけですね。
T:好きな曲を歌ってるときの明菜さんは、やっぱりいいですわ。


「25年目突入、おめでとうございます」

M:まとめっぽい感じになったところで、それでは最後に「中森明菜さん、デビュー24周年、おめでとうございます」
T:おめでとうございます!!ほんとに。
M:実は24年前の今日この日、明菜さんは「スローモーション」でデビューしたんですよね。
T:歌手・中森明菜の誕生日。
M:そんなメモリアルな日の対談だったのでしたっっ。
T:おお〜〜〜!すばらしい締め!
M:というわけで、みなさん、今年は明菜サマで盛り上がりましょ――。
T:いや、盛り上がるでしょう。きっと。
M:そうに違いないっっ。いや、むしろ俺らが盛り上げて見せるよっっ、と。
T:私は確信してますから。少なくとも、自分たちは盛り上がるし。
M:そうね。ということで、みなさん、さよーーならーーー。
T:ありがとうございました〜。
M:おしまいっっ。




2006.05.01
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