―――「はがき」要素の妙――― 「ザ・ベストテン」では69回の1位に輝いていている中森明菜だが、実ははがき要素での1位を獲得したことは1度もない。 他のランキング曲の関係から、TOP3に食いこむところまでは行くものの、1位の経験は全くない。 これは中森明菜に限ったことではなく、松田聖子・山口百恵など、女性歌手の全てにあてはまる傾性で、「はがき」ランクでは女性歌手は男性歌手の後塵を拝する形になっていて例外が全くない。 はがきリクエストは圧倒的に男性歌手優位というのは知っていたが、調べてみるまで、ここまで鉄板だとは思いもよらなかった。 80年代の天下の中森明菜が「はがき」で1位をとっていないとは……。 田原・近藤・少年隊・光GENJI・チェッカーズ・吉川・アルフィー・安全地帯あたりより弱いのはまだわかるとして、まさかシブがき・C-C-Bよりも下にくるというのは正直驚く。 中森明菜にとっての「はがき」要素は5〜10あたりの下位で他の要素の足を引っ張らない程度の役割である。 そんな中森明菜の番組最高得点を記録したのは83年1月27日の「セカンド・ラブ」で9839点。この日の各要素の順位はレコード、ラジオが1位。有線、はがきが2位である。 ―――「有線」の女王―――― それでもこれだけの1位獲得を重ねた彼女なので、やはり「はがき」以外の他の要素は圧倒的に強い。 特に演歌・フォーク勢が強く、アイドル勢が弱い「有線」要素において取りこぼしなく最上位に食い込むのは、大きな強味。 「有線」要素はレコードリリ―ス後1番最後に動くチャートでもあるので、ここは他の要素の下降時の1番大きな加点要素になっているようにみえる。 後に明菜自身からも「わたしは有線が強かった」と語っている通り、ここが「ザ・ベストテン」チャートでの彼女の強みであったといえるだろう。 ―――女性アイドルにやさしくない「ザ・ベストテン」―――― 「ザ・ベストテン」の点数計算は各4要素ごとに1位=○○点、2位=○○点とランクごとに点数を割り振り、要素ごとの係数を掛け合わせ全ての要素が満点で9999点となるように作られている。 よって、その週のレコードランキングが10万枚売って1位でも、1万枚売って1位でも、点数的にはまったく変わらない、いわゆる相対評価となっている。 よって必然的に一週だけで猛烈に売ってしまって、楽曲の支持が広範囲に広がらないタイプのヒット曲、熱狂的なファンの支持だけで成り立っている歌手(―――人気の定着していないアイドル系、1番極端だったのがおにゃん子系)、のランクは極めて低い。 コアなファンによる瞬間最大風速は否定され、どれだけ長い期間、どれだけ広範囲にその曲が支持されるか否かが、楽曲の総得点の結果に繋がる。 また同じヒット曲でもアイドル勢と演歌勢を並べた時、シングルのリリースペースの違いから、総得点数をみると演歌勢のほうが圧倒的に強い(―――とはいえ爆発力はないので週間チャートではさほどの強さはない。そのちょうど中間を行くのがニューミュージック勢という感じ。週間チャートでも強く、次曲までの期間が長いので、長期のランクインが可能)。 さらにさきほどの「はがき」要素の兼ね合いもあることを考慮に入れると、「男性の演歌歌手」が総得点数ではもっとも強いということになる。 実際、「ザ・ベストテン」の曲別総得点第1位は五木ひろしの「長良川艶歌」で234,167点である。さらに2位に山本譲二「みちのくひとり旅」、5位に五木ひろし「おまえとふたり」、7位に竜鉄也「奥飛騨慕情」、と男性演歌陣はオリコンのレコードセールスと比べて上位の記録を「ザ・ベストテン」で残している。 中森明菜の曲別総得点数を見てみると、8週1位の自身最長1位記録をもつ「セカンドラブ」が136,913点でトップ。15週チャートインで自身の最長チャートインを記録した「難破船」が128,279点で2位となっている。 以後は、「ミ・アモーレ」「十戒」「DESIRE」「1/2の神話」と続くがこのあたりは11万点台でどんぐりの背比べである。 「はがき」の弱い女性歌手であること。アイドルなので次曲までのペースが短いことを考慮に入れると、このあたりの得点が女性アイドルの総得点の上限なのかな、と思える。案外女性アイドルには「ザ・ベストテン」チャートは優しくないのだ。 ちなみに、他の女性アイドル歌手の曲別総得点を見ると、山口百恵「プレイバック part2」が133,420点、ピンクレディー「サウスポー」が126,334点、岩崎宏美「聖母たちのララバイ」(――当時既にアイドルの枠ではなかったが……)が134,630点、松田聖子「瞳はダイアモンド」が119,418点、わらべ「めだかの兄妹」が135,633点、小泉今日子「木枯らしに抱かれて」が110,791点、斉藤由貴「夢の中へ」が128,356点、中山美穂「人魚姫」が119,447点、工藤静香「恋一夜」が124,994点、と以上がそれぞれ自身の最高総得点であるが、どれも「セカンドラブ」の後塵を拝している。 (―――「夢の中へ」の意外な健闘に驚く。ま、この曲は斉藤由貴の人気よりも断然に楽曲に対する人気が強かったもんなぁ。レコード売上も反初動型である意味一発屋的なランク推移だったし。また一方で松田聖子が意外と弱いな。明菜であれば容易である総得点10万点越えになかなか彼女は届かない。「有線」とリリースペースの差かな。明菜は年3枚だったのに聖子は年4枚だったもんな。これは田原と近藤のアベレージの違いに近いな。) ――――と、ここまでかいたところで何か忘れているなぁ、と思ったら、あぁっWinkの「愛が止まらない」があった。この曲、他のアイドル勢をぐんと引き離してなんと総得点は177,427点で演歌・一発屋並みの総得点。そういった意味ではWinkってアイドルの枠ではないのかも……。 しまった明菜はスゴイという話でまとめようと思ったら、結果Winkはもっと凄かった、もしくはWinkは一発屋的、という結果になってしまった。 ちなみに男性アイドルははがきが強い分女性アイドルよりも上限は上にある様子。チェッカーズ「涙のリクエスト」の153,301点を筆頭に、近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」、田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」、西城秀樹「ヤングマン(Y.M.C.A.)」が「セカンド・ラブ」よりも上位に並んでいる。 ―――曲別総得点で見る中森明菜――― また、明菜の曲別総得点をシングルごとに見ても、そこにはなかなか興味深いデータが見うけられる。 「少女A」から「SAND BEIGE」までのほとんどの楽曲が女性アイドルの得点では上限に近い10万点越えしているものの、「Solitude」以降は、7万点台がアベレージと大きく低下している。 この時期、レコードからCDの転換によってシングルの売上自体が低下して、広範に知れ渡るヒット曲が激減したこと、また「ザ・ベストテン」ランキング要素がはがきリクエスト主体からレコード売上主体へと変更したことなどが原因として考えられる。 明菜もそうであるが、他のランクイン歌手もこの前後を境に曲ごとの総得点数の平均をおおきく落としている。これが解消されるのはCD転換が終了した番組末期88年末〜89年である。そのなかにあって、15週ランクして128,279点の「難破船」は特異なヒット曲の1つといえる。 またレコード売上とは違って意外な楽曲が点数を稼いでいるというのもいくつか見られる。 7万点アベレージのこの時期にあって98,304点を叩き出した「TATTOO」は興味深い。 この曲は楽曲の知名度や人気のわりにレコード売上は前後と比べてさほど伸びなかったのだが、レコード売上には響かなかったものの広範なリスナー広がって愛された分はきちんと有線やはがき、ラジオに反映され、「ザ・ベストテン」での点数はきちっと伸びているようだ。 しかしもっと意外なのが、「I missed the "Shock"」の94,983点で、知名度、人気もまた実際のランク推移の派手さもなにもなかったわりには実に意外な点数を叩き出している。「TANGO NOIR」や「AL-MAUJ」なんかよりも全然上かぁ……。 ちなみにもっとも点数が低かったのが、「ザ・ベストテン」披露がなかった「赤い鳥逃げた」で57,998点、つづいて「Solitude」が72,096点、「LIAR」の72,962点となっていて、案外この辺りは予想通り。(ちなみに豪華版年間チャートからの点数計算なので「Solitude」「Fin」あたりは時期からいって年明け後も下位でしらず数千点プラスしている可能性も捨てがたいので、ちょっと違ってくるかもしれない) ―――ライバルはチェッカーズ?―――― 80〜82年の「ザ・ベストテン」は、80年デビューの田原・松田・近藤(年末デビューなので賞レースでは81年組扱いだが……)の3組がチャート上位で激しいデットヒートを繰り広げている。彼らからデビューが二年遅い中森明菜は3者の人気が落ちつきつつあるところにブレイクしたこともあって、容易に彼らを下して1位を連打することになる。 83年の「ザ・ベストテン」は「明菜祭り」といってもいいほどの1位の連続。わずか1年で21回の1位を獲得する。 しかし中森明菜の天下に忍び寄る黒い陰がすぐに現れる。その名は「チェッカーズ」。明菜から遅れる事1年、83年にデビューした彼らは、翌84年に「涙のリクエスト」で大ブレイクする。ここから明菜とチェッカーズの間に壮絶な1位争いのデットヒートがしばらく繰り広げられることになる。 「サザン・ウインド」。「涙のリクエスト」(7週1位)の1位を牙城を破るものの、わずか2週で陥落、チェッカーズの新曲「哀しくてジェラシー」(5週1位)にとってかわられる。 「十戒」。5週の1位を獲得するも、「星屑のステージ」(7週1位)に撃沈。そのまま4週間2位に滞空するも、再攻撃に勝つことなくチャート下降。 「飾りじゃないのよ涙は」。「ジュリアに傷心」(8週1位)に一週だけ打ち勝つものの、束の間の夢。翌週すぐに1位奪還され、5週連続2位の辛酸を舐める。 84年の1位回数、明菜が13回に対してチェッカーズが22回。 「ミ・アモーレ」。1位を一週だけ獲得するものの、後ろから迫ってきた「あの娘とスキャンダル」(6週1位)にあっけなくその座を明け渡し、そのまま4週連続2位。 「SAND BEIGE」。明菜が1位に駆けあがる暇もなく「俺達のロカビリーナイト」が(4週1位)浮上。ついに1位奪取ならず5週連続2位の結果に。 「SOLITUDE」は両者のガチンコ対決はなかったものの、楽曲自体のインパクトに欠け1位はとれず、なんと中森明菜の85年の1位奪取回数はたったの1回。比べてチェッカーズは16回。 この2年、中森明菜はチェッカーズに対して、ほとんど受身の体制であったが、この攻勢が変わるのが翌86年からである。これは中森明菜が自己プロデュースを本格化させ、歌番組用の「魅せる」シングル作りに変わっていったこと、また一方のチェッカーズの人気が落ち着いてきたことなどが要因として考えられる。 「DESIRE」。「OH ! POPSTAR」が4週連続2位でぴったりはりつくものの明菜は全く揺るがず。7週連続1位を記録し、「SAND BEIGE」の意趣返しをする。 「ジプシークイーン」。「Song for U.S.A.」に中一週だけ1位を明け渡すもののすぐに下し、3週1位に。 ちなみに「Fin」は明菜の1位陥落と共に「NANA」が1位となったがちょうどいい頃合の入れ替わりだったので2曲による競り合いという印象はない。 86年は1位回数、明菜が13回に対してチェッカーズが5回である。 しかしこのデットヒートも87年頃なると、解体してゆく。というのもなによりチェッカーズが「WANDERER」以来1位を奪取していないのだから仕方ない。一方の明菜は少年隊や光GENJIなどの若手を相手に「TATTOO」まで1位獲得のレースに名乗りを挙げることになる。 ともあれ緊張関係の長さから、明菜の「ザ・ベストテン」でのライバルは?と考えると彼らの名前が思わず挙がってしまう。 この印象からなのか、「中森明菜のライバルは松田聖子」というよくある意見にいまいちピンとこない。 ブレイクした時期も違うし、かぶっているところもないし、と私は思ってしまう。 |